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「謙遜と感謝の祈りを」
私の祈りが 御前への香として
手を上げる祈りが 夕べのささげ物として
立ち上(のぼ)りますように。
(旧約聖書 詩篇 141:2)
辞書で「香り」を調べますと、『良い匂い』とあります。旧約の時代には、羊を全焼の生け贄として献げるときに立ち上る煙と共に、芳しい香りを放ち、それは、主へのささげ物ででした。出エジプト記29:18 節、「その雄羊を全部、祭壇の上で焼いて煙にする。これは主への全焼のささげ物で、主への芳ばしい香り、食物のささげ物である。」それが、動物だけではなく、乳香などが用いられるようになり、幕屋や神殿での礼拝を献げるときに欠かせないものになっていました。 また「香り」が天に昇ることから、主に捧げる祈りを象徴的に示しています。 『私の祈りが 御前への香として 手を上げる祈りが 夕べのささげ物として 立ち上りますように。』(詩篇 141:2 )と詩篇の記者は歌いました。 また、香りは祈りだけではなく、神様の御前における敬虔な生涯、いつも神様の臨在の中に生きる、きよい生涯をも教えています。 その姿は、イエス様の生涯を見ると分かります。 22:39 それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。 22:40 いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。 (ルカの福音書22:39−40) 「いつものように、いつもの場所に」これがイエス様の、敬虔と、きよい生涯のお姿です。 また、「新約聖書」には、イエス・キリストの誕生を祝し、東方の三賢人(博士)が「黄金」・「乳香」・「没薬(もつやく)」を捧げたと記されています。「黄金」は「王権」を、「没薬」は「死」を、「乳香」は「神権」を象徴していて、救い主イエス様に捧げるに相応しいものと考えられています。 「乳香の香りは、森林を彷彿させるような爽やかで清涼感のある香りで、不安を和らげ、前向きな気持ちにするような効果がある」と言われています。 ところで、コリント人への手紙第二2:14に「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。」と記しています。 キリストを知る知識とは、 |
イエス様ご自身を知ることであり、それは言うまでもなく、イエス様の十字架と復活を信じる信仰のことです。 「キリストを知る知識の香り」とは、 イエス様を信じる私たちが「いつものように、いつもの場所」で祈り、イエス様との交わりの中で、福音の香りを放つことが出来る者とされていくのです。 私たちが努力して香りを放つのではないのです。「私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。」とありますように、私たちを通して、イエス様ご自身が香りを放ってくださると言っているのです。 同じコリント人への手紙第二2:15に「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」 イエス様の十字架と復活の信仰をしっかりと握りしめ身につけ、困難の中にあっても、謙遜と感謝を持って主に従う者を、神様は必ず勝利へと導いて下り「私たちをキリストによる凱旋の行列に加えるのです。」 イエス様を信じる者は、神様に献げられた者です。と言うことは、イエス様の十字架と復活を信じる者たちは「神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」 けれども、気をつけなければならないこともあります。それは、新聞・雑誌・テレビ・ラジオだけではなく、スマートホンなど、手軽なものから様々な情報が簡単に手に入る時代になっています。 あの手この手で、魅力的なものへと引きずり込み、十字架と復活のイエス様を見えなくしてしまい、良い香りではなく、悪臭を放つものに引きずり込もうとサタンは企んでいるのです。 でも大丈夫です。復活されたイエス様は、助け主なる聖霊様をお遣わしになり、私たちの、弱さの中に働いてくださるのです。 「いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」(ルカの福音書22:40 )と言われましたね。 イエス様が、そうなさっておられたように、私も日々祈りの香を主の前に献げつつ、良い香りを放つ者としていただけるように、謙遜と感謝を持って主に従う者でありたいと願います。 |