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新型コロナウィルス感染症、2020年の2月末頃から始まったこの騒ぎも丸二年を迎えようとしています。 今まで出来ていたことが出来なくなってしまったことの寂しさは、全世界の人が味わっています。 私たちクリスチャンにとって一番の打撃は、共に集まっての礼拝その他の集まりができなくなってしまったことです。地域や教会によって対応は様々かと思いますが、今は忍耐の時と思っています。 「教会は、社会に迎合してしまっている。」とか「世と妥協してはいけない」と言う声も聞きます。 それはそれぞれの思いがあってのことだろうとは思いますが、教会も決して単独で存在しているのでなく、社会的責任をも担わされているのではないかと思います。 いつまで続くのだろうと、不安の中を過ごしていますが、今は忍耐の時、必ず新型コロナウィルス禍にも収束の時が来るのです。主の時を信じ、主に祈り、委ねて今の時を耐え忍んでいるのです。 「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」(コリント人への手紙 第一 10:13) ところで突然ですが、最近はどうなのでしょう、あまり聞かなくなりました。「頭を雲の上に出し・・・富士は日本一の山」。先程、出来ていたことが出来なくなってしまった寂しさ、と言いましたが、私は役柄、飛行機で出かけていくことが多かったのです。しかし、この二年一度も飛行機に乗っていません。特に熊本空港から羽田に行く時に、必ずアナウンスがあるのですが、「ただいま、左方向に富士山がご覧頂けます」と。わたしはこれが楽しみで、空いているときには通路左側の窓側座席を取り、スマホで撮影するのが楽しみです。当然ですがその都度違った表情を見せてくれます。因みに富士山の写真は私が撮ったものです。ここ二年はその機会がなかったので、残念です。 そして、その時に必ず思い起こすのが、詩篇121編の御言葉です。「1 私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。2 私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」 飛行機からですと、富士山は見下げるかたちにはなりますが、天と地を造られた方の偉大さ、日本一の山富士山も、上から見ると本当にちっぽけな山。 |
その富士山を眺めている私は、雨の一雫にも満たない、なんとちっぽけな存在だろうかと思います。 そんな小さな私に「7主は すべてのわざわいからあなたを守り あなたのたましいを守られる。8主はあなたを 行くにも帰るにも 今よりとこしえまでも守られる。」(詩篇 121:7〜8)と神様は御言葉を通して励まし続けていてくださるのです。 新型コロナウィルスのオミクロン株の感染者が増え続ける中、「まん延防止等重点措置」が再び熊本にも発出されました(1月21日〜2月13日)。 残念ながら集まっての礼拝もその他の集会もできなくなってしまいましたが.今しばらく忍耐をもって主の時を待ちたいと思います。 さて、登山家の方には申し訳ないのですが、危険を冒してまで高い山に登ろうとは思わないのですが、でも、写真やビデオなどで、山の頂から見る景色には感動します。富士山が世界遺産に登録されましたが、その時「一度は登ってみたい」と思いましたが実現してはいません。 ところで、山だけではなく、神様がこの世界に与えて下さった自然界は、まさに神様ご自身を身近に感じさせて下さいます。 イエス様も、「野の花を見なさい、空の鳥を見なさい、」と言われ、神様の創造の御業に目を留めるように導かれました。 詩篇121篇の作者は、「1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。2 私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」と歌っています。 天も地も、山も海も花も小鳥も、すべてのものを創造された神様は、私たち一人一人をも、神の作品としてお造りになりました。 「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」(エペソ人への手紙 2:10) とありますように、神様が私たちを神様の作品としてお造りになられたのです。ですから私たちを守ってくださると仰るのです。私たちは信仰を持って、神様のお言葉を信じ、従って行きましょう。 祝福を祈りつつ! |