牧師室'16.5

◎ 2016.5 ◎

「楽しみ喜ぼう」

その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。
この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう」
<旧約聖書 イザヤ書 25:9>


  4月14日前震・16日本震、震度7という未曾有の大地震が熊本・大分を襲いました。亡くなられた方々には、心から哀悼の意を表します。そして、あれからひと月が過ぎました。復興にはまだまだ時間が掛かりそうですね。でも『こういう時だからこそ』前を向いて歩んで行かなければならないと、自らを励ましています。一歩ずつ、いえ半歩ずつでいい、前に進んでいきましょう。
  さて、お開き頂いています、イザヤ書は、南王国ユダを中心に活躍した預言者イザヤの書です。
  1章1節にありますように、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤと次々と代わる四人の王の下で神の言葉を語り告げるのです。
  1章2〜3節にこう記されています。「2天よ、聞け。地も耳を傾けよ。主が語られるからだ。『子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。3 牛はその飼い主を、ロバは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。』」と。滅びへと向かう民に向かって神の裁きの預言が続きます。このイスラエルの歴史は、人類全体の歴史を物語っています。神の御声に聞き従わないならば、その行く先は滅びです。けれども、神様は勿論のこと決して人が滅びることを望んでなどおられません。だからこそ、預言者を立てて、警告を与えられるのです。神様は一時も休むことなく今日に至るまで、語り続けておられるのです。そのクライマックスが、イエス様の十字架と復活の出来事です。これほどに、私たちを愛し、救いの道をはっきりと示していてくださる神様は、「なぜわたしの許に帰って来ないのか?」と訴え続けておられるのです。
  イエス様の十字架と復活から、時は二千年を過ぎました。ラジオ、テレビ、インターネットと、あらゆるメディアを通して、神様のメッセージを耳にし目にすることができます。けれどもなぜこんなにも人々の心は頑ななのでしょうか。
  表題のみ言葉イザヤ書25:9ですが、その最初に「その日、・・・』とありますが、「その日」とは、終末、世の終わりを指しています。と同時に、救いの完成をも表しています。続いて『見よ。この方こそ、私たちが待ち望んだ私たちの神。この方こそ私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」とある通り、まさにイエス・キリストの再臨の預言です。
  イエス様の弟子たちが、イエス様に尋ねました。『お話し下さい。いつ、その様な事が起こるのでしょう。あなたが来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』すると、イエス様は答えられました。
  『4 人に惑わされないように気をつけなさい。5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。8 しかし、そのようなことはみな、生みの苦しみの始めなのです。9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。10 また、そのときは、人々が大ぜいつまづき、互いに裏切り、憎み合います。11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』と。今はまさにそのような時ではないでしょうか。
  思ってもいなかったことです。熊本の地が地震によってこんな大きなダメージを受けるなどとは誰が予想できたでしょうか。同じように、世の終わりは突然来るのです。でも、私たちには、主と同じ栄光の姿に変えられる、永遠の命という希望が与えられています。私たちは、主の再臨、再び来られるイエス様を待ち望んでいます。
  どんなに、辛い苦しいことがあったとしても、私たちはすでに贖われた者、救いの恵みの中に生きているのですから、『その御救いを楽しみ喜ぼう』と神様は私たちを励ましてくださっているのです。
  そして私たちだけではなく、この喜びのメッセージは、全ての人に与えられているのです。
ペテロ第二3:9に「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
  今この時、贖われた私たちは、この希望のメッセージをしっかりと握りしめ、『楽しみ喜び』を人々にもたらす者となりたいものです。