牧師室'16.1

◎ 2016.1 ◎

「神の民よ、喜び、楽しめ」
シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。
−−主の御告げ−−
(旧約聖書 ゼカリヤ書 2:10)


  私たちには、神の言葉として、旧約聖書39巻、新約聖書27巻、併せて66巻が与えられています。
  旧約聖書は古い約束(契約)ですが、その中心はメシヤ、救い主が来ると言うものであり、イエス様の到来(クリスマスの出来事)をもってその約束(契約)は成し遂げられました。
  新約聖書は新しい契約ですが、その中心は救い主イエス様は再び来られると言う、再臨であり、これはまだ実現していません。ですから旧約聖書・新約聖書のどちらもその中心はイエス様が来ると言う約束です。
  ところが、旧約聖書にも、まだ実現していない、イエス様の再臨の(契約・預言)が沢山記されています。
 このゼカリヤ書にもそれを見ることができます。今日の箇所もその一つです。
2章11節に、「その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。」とあります『その日』とは、主の再臨(終末)の時を示しています。
  ですから、私たちにとっては、旧約聖書も、古いけれども今の私たち、そして全ての人に対して神様が語られている新しい言葉なのです。
  このゼカリヤ書は、紀元前(BC)520年頃の出来事が記された書物です。すなわち今から2500年も前です。しかし神様はゼカリヤを通して「あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。――万軍の主の御告げ――そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。」(1章3節)と大いなる約束(契約)を与えられるのです。
  そしてこれは、今、この私にも語られていることなのです。たとえ、過去の人々が、神様の契約に聴き従わなかったとしても、今、あなたが主なる神様を、信じて聴き従うなら、神様はあなたのただ中に住んでくださるのです。
  では、私たちはどのようにして神様が私たちのただ中におられるかを知ることができるのでしょうか?
  それは、十字架と復活のイエス様を信じる信仰によってです。
  このイエス様を信じることがすなわち、『わたしに帰れ』と仰る神様に帰ることなのです。
  そして、私たちはそれを実感として味わうことができるのです。イエス様を信じる私たちは、嫌々ながら聖書を読むことはないでしょう。辛いこと悲しいことがあったとき、御言葉は、私たちを慰め、励まし、力を与えてくださいます。
  「シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。−主の御告げ−」(ゼカリヤ書2:10)と主は言われるのです。私たちが神様の許に帰るなら神様は必ず私たちのうちに来て、喜び、楽しみを与えてくださるのです。
  それが神様のお約束であり、ご計画だからです。神様の約束のお言葉には力があるのです。御言葉に聴き、神様の約束に信頼するなら、私たちの理解を超えた神の力が私たちのうちに働くのです。
  十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(コリント人への手紙第一 1:18)
 私はそのような神様の力を何度も目の当りに致しました。それはイエス様を救い主と信じ、信仰告白をした人の姿を通してです。
  特に、病床洗礼においてです。顔つきが変わるのです。それは、その場に立ち会った方々も同じように感じたと話してくださいます。
  詩篇の記者は歌いました。『彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。』(84:6)皆さん、思い出してみてください。信仰告白して洗礼をお受けになった時、いかがでしたか?
 そして何よりも礼拝に集い、愛する兄弟姉妹と共に、主を喜び賛美するとき、確かに主なる神は私たちのただ中におられるのです。アーメン