牧師室'15.7

◎ 2015.7 ◎

「あなたがご存じです」
彼らが食事を済ませたとき、
イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」
ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」
イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。  (新約聖書 ヨハネの福音書 21:15)


  イエス様はたびたび弟子たちと共に食事をされました。私たちもそうですが、食事を共にすると言うことは、お互いに心開かれるときでもあると思うのです。家族と食事を共にする、一家団欒の時です。友達同士での食事では、楽しい話に花が咲きます。そのように、食事というのは、日常生活の中では、人と人との交わりの基本の基本だと思います。
  ある人は、「食べるために生きている」と言います。ある人は逆に「生きるために食べているんだ」という人もいますが、食べると言うことは、生きるためには、絶対に欠かせないものです。
  有名な御言葉に「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」(マタイの福音書4:4)とありますが、「パンだけで生きるのではなく」とは、パンはなくても良い、とは言っていません。パンも必要だけれど、霊的な食物、すなわち、神の言葉がなければ、霊的成長、霊の養いは得られない、という意味です。
  さて、今日の聖書の箇所はイエス様が甦られた後の記事ですが、「彼らが食事を済ませたとき」とあります。
  特に男性は、おなかがすくといらいらして、人の言うことを素直に聞くことが出来ない、とよく言われます。もちろん100%ではありませんが、自分のことを考えてみると、確かにそうだと納得できます。
  それはともかくとしまして、イエス様が大切なことをお話しになるときは、たいてい食事の時でした。
  その最も有名な記事は、最後の晩餐です。特にヨハネの福音書では、13章から17章の終わりにかけて、大切な、大切なお話がたくさん記されています。弟子たちの足を洗われたのもこの時でした。そして、弟子たちの裏切りの予告もされました。
  また、世を去った後、住むべき場所の用意が出来たら迎えに来ると(14章)。また、父の約束の聖霊様をお遣わしになる事(14章後半)等々、大切な事をたくさん弟子たちに言い残されました。
  その後、イエス様は、十字架にかけられ死なれました。けれども三日目に甦られ、その甦りのお姿を何度か弟子たちに現されました。
  今日の聖書の箇所、ヨハネの福音書20:14節を見ますと、「弟子たちに現れたのは、三度目である」と記しています。
  21:15に「食事が終わると、」とありますから、イエス様も弟子たちと食事を共にされたのでしょう。
  お腹も一杯になり、機嫌の良いペテロにイエス様は「ヨハネの子シモン、あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と尋ねられました。ペテロはイエス様に「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」と答えました。するとイエス様はペテロに言われました。「わたしの小羊を飼いなさい。」と。しかもイエス様は同じ問いを三度もなさったのです。
  イエス様はこのことを通して、三度もイエス様を知らないと言ったペテロに、やり直しが出来ることをお示しになられたのです。
  人生色々と失敗をすることもあるでしょう。でも大丈夫、イエス様の恵みによって、必ずやり直しが出来るのです。
  十字架の死をもって私たちを赦し、愛して下さっているイエス様は、あえてお尋ねになるのです「あなたは私を愛するか」と。私はなんとお答え出来るだろうか?
  「主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」としか言うべき言葉は見つかりません。
  そんな小さなものに過ぎませんが、神様は言われるのです。
  「あなたは、わたしの目には高価で尊い」(イザヤ書43:4)と。
  そのように仰って下さる神様は、独り子イエス様を信じる者の、全てをご存じであるにもかかわらず「私を愛するか」と問われるのです。これは、私たちが、神様に赦され愛されていることを、より深く自覚させようとなさっての事です。
  「主よ。あなたがご存じです」と、神の深いあわれみを感謝し、日々歩んで行きましょう。