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「とこしえに変わらない」
1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。
あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:24〜25)
皆さんの身の回りに変わらないものってありますか? 最近教会には、可愛い可愛い赤ちゃんが次々与えられています。毎週その子たちに会うのが、最近の私の楽しみの一つです。一週間振りに会うたび、その成長ぶりに目を見張ります。 そして、ふと、わが身を見ると『おお!何と様変わりしたことか?』と目を覆いたく・・・とまでは行かないまでも、当然ですが二十代、三十代の時の面影はもはやどこへ行ったのか? 室生犀星の詩によく知られている次のようなのがあります。 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや 実は、私の生まれ故郷弟子屈に、暫く振りに帰った時、驚きました。よく岩の上から飛び込んだ、川の流れは変わっていました。 一番ショックだったのは、高校時代下宿していたそのすぐ傍が、当時の国鉄「弟子屈駅」でした。それが「摩周駅」に変わっていたことです。 友と遊んだ川、毎日のように通っていた駅前の様子は、面影すらも失せてしまっていました。 詩篇102篇にはこう記されています。 102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。 102:26 これらのものは滅びるでしょう。 しかし、あなたはながらえられます。 すべてのものは衣のようにすり切れます。 あなたが着物のように取り替えられると、 それらは変わってしまいます。 102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。 私たちの目に映るものはみな移り変わって行きます。そしていつしか私自身もその姿は失われていきます。けれどもそんな私たちに 「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」 (伝道者の書3:11b)のです。 ですから私たちは永遠なる神様に思いを馳せることが出来るのです。でもそれは、私たちの知恵や知識、力によるのではなく、神様の一方的な憐れみと恵によるのです。 |
その憐れみと恵みはイエス様によって現された、十字架の愛と、復活による永遠のいのちの約束です。 私たちはこの約束を信じる信仰によって、決して変わることの無い永遠の命の希望へと導かれているのです。この信仰に生きる事が、新しく生まれると言うことなのです。ペテロは手紙の中で次のように言っています。 Tペテ 1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」 とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。 「福音」という言葉は、色々なところで使われていますが、「福音」それは、全能の父なる神様の決して変わることのない愛のお心を、独り子なるイエス様を通してお示しくださった「良き知らせ・良きおとずれ」の事なのです。 それをペテロは、イザヤ書40章6〜8の御言葉を引用して、「福音」はまさしく、旧約の時代から、いえ創造の初めから永遠に変わることのない神の言葉なのだと証言しているのです。 それはまさしく、「主の言葉はとこしえに変わることがない」という復活のイエス様にお出会いし、聖霊様の導きの中に確信を与えられたペテロの信仰告白なのです。 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」 私たちは今、主イエス様の苦しみと十字架の道程を思い巡らしながら過ごす受難節を迎えています。 福音書に記されている、あの最後の晩餐から始まる十字架への道、それは想像を絶する出来事なのです。しかも、それが私たちのの罪のためであったということを、私たちはどれ程の重みを持って受け止めているだろうか? しかし、その出来事を遙かに超えて光り輝く栄光のイエス様を私たちは知っています。死を打ち破られた、復活のイエス様です。 川はせき止められ、山は崩され、海は埋め立てられ、時の流れとともに、すべての物は変わって行きます。 けれども、私たちが今こうして移り変わる時の流れの中で、主の前に賛美を献げ、共に励まし合い、感謝と希望をもって生きることができるのは、 「生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」 このように「とこしえに変わらない」福音の言葉を握りしめ、主イエス様に従って行きましょう。祝福をお祈り致します。アーメン |