牧師室'14.12


◎ 2014.12 ◎

「その光が、来た」


1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
(新約聖書 ヨハネの福音書 1:9〜10)


  メリー・クリスマス!
  今年もクリスマス・シーズンを迎えました。
  熊本教会で一番最初にクリスマスのお祝いをするのが、シメオン会です。
  クリスマスの出来事は、神様の約束の成就です。それは、アダムが罪を犯した、そのときから神様のお心を動かした愛の現れ、救いの出来事なのです。
  創世記3章に人が蛇に誘惑され、罪に陥る姿が描かれていますが、その誘惑した蛇に向かって、神様はこう言われました。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創3:15)と。蛇はサタン(悪魔)です。その子孫と「女の子孫」との間に、とあります女の子孫とは、新約聖書の光に照らしてみるなら、イエス様を表しています。すなわち、神様は罪に陥った人類の救いを、このときすでにご計画なさったのです。
  そのご計画を成し遂げるために、選ばれたのがアブラハムでした。神様は「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創12:3)と言われ、救いの歴史を担うイスラエル民族を起こされました。このように聖書の中心は神の救いの歴史です。その頂点に高くそびえ輝いているのが、十字架の出来事なのです。イエス様が十字架上で最後に、「完了した」(ヨハネの福音書19:30)と言われたように、神の救いのご計画は十字架をもって完了、成就したのです。
  そして十字架の出来事は、イエス様の誕生なしには、あり得ないのです。
  私たちの罪の贖いのために、命を捨ててくださったイエス様のお誕生を、畏れおののきつつ、感謝をもってお祝いするのが、「クリスマス」です。
  このように、イエス様の誕生は、旧約聖書において、神様が約束なさったメシヤ預言の成就なのです。
  そこで、シメオンの話に戻りますが、シメオンは神様から「主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。」(ルカの福音書2:26)のです。そして幼子イエス様にお出会いしたシメオンは、神様を褒め称えて言いました。
2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
  このシメオンの言葉は、イザヤ書52:10「主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現した。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。」との預言の成就だったのです。
  イエス様は「異邦人を照らす啓示の光」として神様がアブラハムに「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」との約束を果たしてくださったのです。そしてヨハネもまた1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。とイエス様のお誕生を神のお言葉の成就として、書き記したのです。それは、まさしく神の愛のお心の現れなのです。
  「そのまことの光」と言うのですから、「その」という限定された「光」です。そしてその後に続く1:10には「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」と、「この方」ですから、明らかにイエス様を表しています。
  ですからイエス様は、暗闇を照らす光として世に来られたのです。それは神様の愛です。
  「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)のです。
  「世を愛された」という「世」は私たち一人ひとりのことです。私たち一人ひとりのうちに「その光が、来た」のです。私たちは神様の愛によって光の下に導かれるのです。光は言葉となって、私たちのうちに宿るのです。
  それが、みことばに生きると言うことです。みことばに生きるために、そして、光の下にとどまり続けるために、互いに愛し合うようにと招かれているのです。
  ですから、私たちは、私たちの所に来てくださったイエス様の光の下に一人でも多くの方をお招きして、喜びを分かち合うのです。
  メリー・クリスマス!