牧師室'14.10

◎ 2014.10 ◎

「しっかりと立つ」

  あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、
強くし、不動の者としてくださいます。  (新約聖書 ペテロの手紙第一 5:10)



  『はえば立て、立てば歩めの親心』とはよく言われることです。わが子の成長を、目を細めて見つめているほほえましい姿を見ることができるのは何と素敵なことでしょうか。親バカと言われようが、わが子は可愛いに決まっている。
   先日大阪出張の時、買い物にスーパーに行きました。そこに1歳半〜2歳くらいの男の子が、あっち行ったりこっち行ったりチョロチョロしているんです、傍にはお母さん、お父さんの姿はありません。大丈夫なんだろうかと思いつつ周りを見ると、物陰からじっとその子から目を離さず見つめている若い男性が、右へ左へと向きを変え、見ている。きっとお父さんでしょう。わが子がどんな行動をするのか、笑みを浮かべながら見ているのです。勿論何か危険があったらすぐに飛び出して行けるくらいの距離にです。その姿を見ながらフト、心に浮かんだのが,冒頭の御言葉です。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(ペテロ第一 5:10)
  何故、『あらゆる恵みに満ちた神』が、私たちが『苦しみ』の中にあるのをしばらくの間放っておかれるのだろうか?
  よく聞く話ですが、ライオンは自分の子どもをわざと崖から突き落とし、這い上がってくる子どもだけを、傍に置いて育てていくと。
  人間は、わが子をそのようにはしませんけれども、「かわいい子には旅をさせよ」と言います。あのスーパーのお父さんのように、でも決して見失うことのないようにと,心を配っている。
  神様は、私たちのお父さんです。
  『あらゆる恵みに満ちた神』です。「恵みとは、受けるに価しない者に与えられる神の愛」です。それは、「キリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身」の『愛』です。それはすなわち,十字架の『愛』、命がけの『愛』です。
  ですから、もし苦しみの中にあるとするなら、それは、私たちを神様の前に「完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださ』るために他ならないことを、信仰を持って受け入れようではありませんか。
  「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」<Tコリ 10:13>とある通りです。
  このコリントの手紙を書いたパウロ先生は、イエス様を信じる人たちを迫害していたのです。けれどもイエス様に出会い、正に受けるに価しない者に与えられる、恵みに満ちた神様の愛を身を持って体験したのです。ですから信仰を持って断言するのです。「脱出の道も備えてくださいます。」<Tコリ 10:13>と。また、ペテロの手紙を書いたペテロは、イエス様と三年半も寝食を共にし『あなたは、生ける神の子キリストです』<マタイ16:16>と、素晴らしい信仰告白をしたにもかかわらず、十字架を前にして、『あんな人知らない。関係ない。誓っていうが知らない。』とイエス様を三度も知らないと言ってしまった。そんなペテロを『あらゆる恵みに満ちた神』は、ペテロを赦し、福音を宣べ伝える最も尊い働きへと遣わされたのです。ですからペテロは断言するのです。「不動の者としてくださいます。」<第一ペテロ5:10>と。
  私たちは、このように実際に、主イエス様と共に生きた主の弟子たちが、聖書を通して、証して下さる神様の御言葉に信頼し、『この恵みの中にしっかりと立ちなさい。』とペテロが勧めているように、私たちを十字架と復活の恵をもって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神様ご自身が、私たちをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださる、との御言葉に「しっかりと立って」日々喜び、祈り、感謝しながら確信を持って歩み続けようではありませんか。
  はいはいでも良いんです。うろうろチョロチョロでも良いんです。神様はそんな私を決して見失うことなく、暖かい眼差しで見つめていてくださるのです。そして、「不動の者としてくださいます。」ハレルヤ!