牧師室'14.7


◎ 2014.7 ◎

「遠い昔から」

主よ。あなたは私の神。
私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。
あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。
(旧約聖書 イザヤ書 25:1)



  真っ黒な空に「ピカッ」「ゴロゴロ〜〜」光と音の饗宴というと美しいようですが、ひかるたびに「ドキッ」とします。 そんな嵐の日にある姉妹を、天に送りました。92歳でした。大正・昭和・平成とおよそ1世紀を歩んでこられた姉妹。31歳の時に洗礼を受けられましたので、信仰歴61年、紆余曲折、色々なことがあったこととは思いますが、最期は娘と孫、そしてひ孫が見守る中、安らかに、眠りにつかれました。その一週間前、私が交わした最後の言葉は「ありがとう」でした。
  神様の約束の御国へと旅立って行かれた姉妹のすべてを主は受け入れ、平安へと導いて下さいましたことを、信じて御手に委ねます。
  さて、私たちクリスチャンにとって生きるとは何でしょうか。
    人それぞれに色々な表現の仕方はあるかと思いますが、私は「神の約束に生きる事」だと思います。すなわち、信じて生きる人生です。
  聖書が描く世界はそのような人々の姿で溢れています。へブル人への手紙11章を読むと、「信仰によって誰々は・・・」と、旧約の人々の信仰列伝を記しています。そして、さらに「・・・預言者たちについて話すなら、時が足りないでしょう。」(11:32)と記しています。それは、熊本ナザレン教会の100年の歴史の中に於いても同じ事が言えます。私たちもその神の歴史に名を連ねる一人ひとりなのです。さて、今日の御言葉は預言者イザヤが記した信仰告白の言葉です。
「主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。」(イザヤ書 25:1)
  神様の「遠い昔からの不思議なご計画」とはなんでしょうか?それは、救いとさばきを含んだ全人類に対する神様の御旨です。
  私たちは、自分の明日のことさえどうなるのか分かりません。けれども神様は私たちのために遠い昔から不思議なご計画をもっておられるというのです。
  私たちも、色々な計画をもって日々生活をしています。今日は、午前中は買い物へ、そのあとシメオン会。明日は病院の予約日、来月はちょっと旅行へ…等。せいぜい数年先まででしょうか。
  100歳を超えた、日野原先生は、10年先の講演のスケジュールまで一杯だと言うことですが、何年何月何日天の御国へ、と言う計画は立てられないでしょう。しかも私たちの計画は、その通り果たしうるとは限らないのです。失礼ですけど、皆さんあと何年生きる予定ですか?私たちの計画は途中で挫折してしまったり、予算が立たなくなったり、腰が立たなくなったり・・・。
  でも神様のご計画は着々と、粛々と進行しているのです。神様の人類に対する最大のご計画は、「平安を与える計画で有り、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)とあります。そしてそのご計画は、イエス様の十字架と復活によって実現したのです。そしてその計画は、全ての人のためなのです。ですからこの計画は、今も進行形なのです。ですから聖書は、「今は恵みの時、今は救いの日」であると語るのです。
  「主はこう仰せられる。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。』」(イザヤ書 49:8)
  「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Uコリ 6:2)と。
  預言者イザヤによって語られたことが、イエス様の十字架と復活によって実現したのです。 「1:9このご計画によって神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召して下さいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、
  「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。」(Uテモテ1:10)とある通りです。
  ですから、今の時、どのようなことがあったとしても、私たちの人生が、神のご計画の中にあると知るなら、すべてを委ねる信仰へと主が導いて下さるのです。何よりも、今日一日を『ありがとう』と感謝して生きる者でありたいと願います。