牧師室'14.5


◎ 2014.5 ◎

「備えられた結び目」

キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。  (新約聖書 エペソ人への手紙 4:16)



  皆さんは、「塩狩峠」ご存じでしょうか。恐らく『塩狩峠』と言えば、三浦綾子さんの小説を思い起こす方が多いのではないでしょうか。「塩狩峠」は、北海道上川郡比布町と上川郡和寒町の間にある峠です。
  そこを宗谷本線(そうやほんせん)が走っています。北海道旭川市の旭川駅から名寄市の名寄駅を経て、稚内市の稚内駅を結ぶJR北海道の鉄道路線の途中にあるのが塩狩峠です。
  三浦綾子さんの小節「塩狩峠」はそこで実際に起こった脱線事故を題材に書かれた小説です。列車が峠を登っている時に、連結部分が外れて、後ろの客車が逆走し、転覆寸前に、永野信夫さんが線路に飛び降り、客車を止めたと言う事実に基づいて書かれ、映画にもなりました。
  当然の事ですが、機関車と客車、客車と客車を繋ぐ連結部分がいかに重要かという事です。それは、物と物だけではなく、人と人との間柄においても言える事ではないでしょうか。あの東北大震災の後、大切な言葉としてみんなの心に残ったのは、『絆』という言葉でした。
  人と人とを繋ぐ『絆』それはお互いに、お互いを思いやる心です。それが大きな輪となり、日本中がある意味一つの輪となったのです。
  日本人といえども皆違うのです。違っていて当たり前。違っていて良いのです。その違いを認めて、相手を思いやる心が人と人とを結び合わせるのです。違いを認めて受け入れるか、退けるかで組織も、人もすべてが変わっていくのです。
  それは教会も同じです。教会のような、色々な人、性別・年齢・職業の違った人々の集まりは他にあまりないのではないでしょうか。
  健康な人ばかりではありません。病気と闘っている人もいます。人前で話す事の得意な人、苦手な人……。違いを言えば切りがありません。
  でも聖書が記すように、「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」(エペソ 4:11)そして、教会をからだにたとえてパウロ先生はこう言うのです。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ 4:16)。
  そして、私たち一人ひとりが主にあって備えられ結び合わされ、それぞれの役割を担っているのです。その結び目を、連結部分を繋ぎ止めてくださっているのが、十字架のイエス様です。私たちはイエス様の十字架によって赦されて今を生かされているのです。私たちは、赦されているから赦すことが出来るのです。そして、イエス様に繋がる事によって、イエス様を信じる者、全ての人と繋がりを持つのです。
  そしてパウロ先生はとても重要な事を示しています。それは『成長』という言葉です。
  それは、個人的な成長と共に、教会全体の成長です。そしてこの成長は、増え広がるという意味もも含んでいます。
  イエス様に結ばれ、互いに許し合い、それぞれに与えられた役目を果たしていくなら、教会は成長し、増え広がるのです。
  私たち一人ひとりも備えられた結び目なのです。
  そして、何よりも主イエス様が私たちをここにおいていてくださる事が最高の祝福なのです。私たちはイエス様によって結び合わされ、愛のうちに建てられているのです。それが教会です。イエス様抜きにお互いの交わりは生まれなかったのです。あなたと私を結び合わせてくださるのも、十字架のイエス様なのです。ハレルヤ! 感謝!