牧師室'14.2


◎ 2014.2 ◎
「あなたの名はいつまでも」

わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、
──主の御告げ──あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。

(旧約聖書 イザヤ書 66:22)


  先週・先々週と、記録的な雪が関東地区を襲いました。東京は四十五年振りの大雪とのことです。四十五年前の出来事も、記録として保存され、それが失われない限り、たとえ百年経っても記録として知ることが出来ます。
  ま、百年位なら、ほんのわずかではあっても、実際に経験した人もいるでしょうね。しかし、百五十年後には、記録としては残っていても。だれひとりそれを経験した人は存在していないでしょう。また、今盛んに、ソチ冬季オリンピックで、メダルを狙って記録に挑戦しています。しかし、これもまた、年と共に、忘れ去られてしまいます。
  ですから、記録として残しておくと言うことはとても大切なことと思います。今、熊本ナザレン教会は、来年創立百周年を迎えるに当たり、記念誌を発行しようと準備を進めています。お一人残らず、短くてもいいですから、この記念誌に名を残して欲しいと思います。 けれども、二千年・三千年先まではどうでしょうかね。
  ところが、私たちが手にしている聖書は、新約聖書がおよそ、二千年前、旧約聖書に至っては三千年、四千年以上も前の出来事が書き記されています。
  最初に記してありますイザヤ書66章は、イザヤ書最後の章です。その22節に「新しい天と新しい地」とありますが、これは新約聖書、最後の書ヨハネの黙示録21章1節に記されている「新しい天と新しい地」と同じです。そして続く2節には、「聖なる都、新しいエルサレム」とあります。この「聖なる都、新しいエルサレムは、イエス様が私たちのために備えて下さっている永遠の住まい「父の家」(ヨハネの福音書14:1〜3)です。
  神様がイザヤを通して語られた約束の御言葉は、その通りに成し遂げられています。その頂点とも言える出来事が、イエス様の生涯です。聖書の約束は全て、イエス様を通して成し遂げられていくのです。
  イエス様は言われました。「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカの福音書10:20)と。そして黙示録3:5には、こうも記されています。
  「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。」と主なるイエス様は宣言して下さっているのです。
  新しい天と新しい地は、永遠の住まいですから、決して失われることはありません。そのように、「あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。」と主なる神様は約束なさいました。失礼な言い方かも知れませんが、私には子がないので、子孫はいません。と仰る方もおられるかも知れません。
  けれども、貴方にとって,教会に繋がる主にある兄弟姉妹は皆、貴方の子孫です。熊本教会この百年の歴史の中で、多くの方が洗礼を受けられ、神の家族とされました。
  また、新しい年を迎え、三人の赤ちゃんが与えられ、献児式を致しました。そして先に召された方々も、皆、兄弟姉妹であり、子孫です。
  神様はアブラハムに言われました。 「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5 )と。
  更に加えて「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記 22:17)と。
  私は海辺の砂、いえ、海の底に沈んでいる一粒の砂のような存在です。
  私が地上での生涯を終え、区役所に死亡届を出しますと、戸籍謄本に×印が付けられ、戸籍から消されてしまいます。そして、百年もしないうちに、私のことなど覚えている人はこの地には一人もいなくなるでしょう。
  でも、わたしの名は、別な戸籍、天の御国の戸籍「いのちの書」に記されていて、決して消されることはないのです。それどころか、一度も会ったことのない多くの兄弟姉妹(子孫)と天の御国で会うのですと心から信じています。なぜなら神様の約束ですから。
  これが、決して失われることのない希望です。私が地上で生きる感謝と喜びの日々が約束されているのです。
  「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(コリント第一13:13)とある通りです。そして「希望は決して失望に終わることは無い」のです。