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新しい年を迎え、新聞、テレビ、その他の雑誌に「希望」という字やことばが行き交っています。しかし、水を差す訳ではありませんが、言葉とは裏腹に正月早々、嫌な事件や、出来事が起こっています。病院で私の目に入ったニュースは、医療の初診料が4月から140円引き上げになると言うことです。消費税も上がり軍事費や東電への融資額は桁外れ、いったい日本は何処へ向いて進んでいくのだろうか?そう考えると「希望」は見えては来ません。 正月早々こんな話で申し訳ありません。でも人類史はアダムとエバの時代からず〜〜とそうだったように思います。それが「罪」の中に陥った人間の姿なのです。聖書は正にそのことを、私たちに教えていてくれているのではないでしょうか。 人はどうしても、目先のことが優先され,世の終わりのことなど余り考えようとも致しません。ですから人は甘い言葉にだまされるのです。「気をつけよう。甘い言葉と暗い道」。イエス様も仰いました。 15:11口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。(マタイの福音書15) 15:18しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。(マタイの福音書15)と。 でも、私たちには人を生かし喜びに満たして下さる御言葉の約束があります。 5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5:1〜5)と。 ですから私達は今、こうして感謝の内に、楽しい集いを持ち、共に祈り、お互い辛い事や悲しいことや、文句も言いたくなるような状況の中にあっても励まし合うことが出来るのです。 イエス様はそのために私たちのために命を捨てて下さったのです。それは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためなのです。ですか「このままでいいのです」。ですからパウロ先生もこう言っています。 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。(テサロニケ人への手紙一 5:11) |
私たちはともすると、人や状況を見て、自分を比べたりあきらめたり、不平不満を言ったりしがちです。でもそれも言ってみれば,互いに励まし合い、互いに徳を高め合うために必要な事なのかも知れません.むしろそう言い合える信仰の友がいるという事は、素晴らしいことだと思うのです。繰り返しますが「このままでいいのです」。主はそのままのあなたを受け入れ、赦し、助け、励まし、愛し、受け入れていて下さるのです。 ですから、お任せするのです。全てを委ねて生きることは、とても楽です。全ての責任は主イエス様が取って下さるのです。 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Tペテロ 5:7 ) と、ペテロは自分が受けた神様の子・イエス様のお心を示して下さいました。 内村鑑三氏が「聖書の読み方、来世を背景として読むべし」という論文に、山上の垂訓を中心に語っていますが、そこで語られていることは、主の再臨の時に全てが完成する。という意味のことを言っています。 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイの福音書5:3) 「現世における貧は来世における富を持って報いらるべしとの事である、これは約束である」と。 そして最後に、「来世的ならんことを,主の懼(おそ)るべきを知り、活ける神の手に陥るの懼るべきを知り、迷信を持って嘲(あざけ)らるるに拘(とら)われず、今日という今日、大胆に、主の和らぎの福音を説かんことを。」と勧めています。 私たちにはこのように、来世(永遠のいのち)への希望の虹が輝いているのです。今も、昔も「救い」と「永遠のいのち」の信仰の心は少しも変わってはいません。それがイエス様のお心だからです。一人でも多くの方に福音が宣べ伝えられることを祈りつつ「今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合」って今日の日を生きて行きましょう。それが100周年へと繋がっている私たちの今日なのです。 「このままでいいのです。」 |