牧師室'13.7


◎ 2013.7 ◎
「神の国はあなたがたのただ中に」

いいですか。
神の国は、
あなたがたのただ中にあるのです。
(新約聖書 ルカの福音書17:21b)


  この度の一週間の入院生活の中で、正直申しますと、床に伏す身になり、孤独感に襲われました。そして不安とか恐れとかが、心にのしかかってくる。そのような中でひとり口ずさんだ賛美があります。
  新聖歌349番です。「移り行く時の間も」という題の賛美です。 その一節は、
  移り行く時の間も
  悩みに勝つ力
  父より受けしわれは
  心に恐れなし
  愛に満てる御神は
  恵を日々与え
  悩み苦しむ時も
  憩いと安き賜う
二節もとても良い詩なのですが、飛ばして三節です。
  悩み苦しむ時も
  主の約束頼み
  安けく過ぎ行くため
  主よ 御言葉賜え
  疲れし時に助け
  御手にすがるわれを
  常に導き給え
  御国に入る日まで
とあります。
  不安・恐れはある。でもそれを包み込み憩いと平安を与えて下さるのは、神様の約束の言葉です。
昨夜、入院中の吉持先生から携帯に電話が掛かってきました。お互いに励まし合った事ですが、吉持先生曰く、「私たちは幸せですよね。御言葉による励まし、そして多くの方が祈っていてくださる。肉体は痛み、弱きを覚えているけど、心は平安でいられる。感謝ですね。」
  「アーメン!」同病相憐れむではありませんが、共に主の御名をあがめた事でした。
  その時思ったんですね。「ああ!ここに神の国がある」と。
  話はがらっと変わりますが、日本の高度成長期、バブルと言われた時代によく耳にした言葉に「家付き、カー付き、○○抜き」と言うのが流行ました。サラリーマンにとって、マイホームを建てるという事が生活設計の頂点だった時代です。
  私が郵便局に勤めていた時に、庶務の仕事を手伝う事がありましたが、住宅ローンの貸し付けの書類が机に山積みになっていたのを覚えています。
  どこに(土地)、どんな建物で、間取りは・・・など自分たちで考えて、住みやすい家を建てる訳です。建て売りもありますけどね。
  けれども、数年すると、戸が開かなくなったとか、雨漏りがするとか、色々なトラブルが起こる。夢のマイホームは建てたけど、その後のメンテナンスもまた大変な訳ですね。そればかりではありません、不慮の事故に見舞われ家を失う事もあります。そしてやがて住み慣れた家を離れ、神の国へ帰る時が来るのです。
  でも聖書は、神の国は死んだ後に行くところだとは教えていません。
  イエス様は「御国の福音」を宣べ伝えたと聖書は記しています。御国、神の国こそが福音なのです。福音の中に神の国はあるのです。ですから、イエス様が「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」と言われたのです。この『御国の福音』を宣べ伝えるために来られたイエス様を信じる人の内に既に神の国は存在していると言っているのです。
  ある人がこう言いました、「死は死ではなくて眠りです。そして目が覚めた時、そこが神様の備えてくださった家なのです。」と。
  もしこのまま地上での歩みが終わったとしても、目が覚めたそのところが神の国なら、神の国というのは、特定の場所ではなく、神様が共にいて下さるところならどこでも、そこが神の国なのです。
  「 17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
  イエス様が共にいてくださると約束された、その御言葉の中に神の国はあるのです。つまり、今、既に私もあなたも神の国にいるのです。死んでよみがえられた復活のイエス様と共にです。これこそ永遠の希望です。