牧師室'12.11



◎ 2012. 11 ◎

「すばらしい真珠」

すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、
行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
(新約聖書 マタイの福音書13:45〜46)

  聖書の中には、真珠にまつわる話が幾つか記されています。その中でもよく知られているのは、「豚に真珠」です。この機会ですから幾つか見てみましょうか。
  「知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。」(箴言 3:15)
  この知恵とは、神に喜ばれる生活をするために必要な知識。とあり、「神を恐れることは知識のはじめである。」(箴言1:7)とあります。 箴言の中からもう一つ、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。」(箴言 31:10)ウ〜〜ン、なかなか含蓄のある言葉ですね。そして、「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」(マタイ 7:6)
  さて、二千年前、真珠は宝石の中でも最も高価なものでした。黙示録 21:21には、「 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」とあり、真珠がどれ程高価なものであったかを知ることが出来ます。そこで、真珠を専門に扱う商人がいて、彼らは光沢・色・形・大きさなど高い値で売れる良い真珠を手に入れようと必死であったのです。
  そこでイエス様はこのようなたとえ話をなさったのです。「また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」(13:45〜46)
  私たち人間の歴史は、いつの時代も「良い物、更に良い物、いやモット良い物、もっとモット・・・」と、飽くなき探求を続けているのです。そのことによって引き起こされる争いや悲劇は後を絶ちません。
  その一つが、原子爆弾であり、原子力発電所の事故とも言えるのではないでしょうか。
  いえ他にもいろいろあります。最近のことを言えば、ノーベル賞を受賞した山中教授の「ips細胞」の発見でしょうか。詳しいことは分かりませんが、がんや糖尿病、難病の克服、壊れた臓器の再生医療・・と言われ、世界中の注目を浴びています。すると直ぐに、私こそ、その先駆けだと称する偽物が出現する有様です。
 しかし、このように人はいつも良い物を、良いものをと求める思いがあるからこそ、今日の文明社会というものを築き上げてきたのです。
  ですから勿論それ自体は決して悪いことではありません。しかし、それ故に失ってきたものがあまりにも多いのではないでしょうか。イエス様は世の終わりについてこう仰いました。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ 24:12)と。
  いじめという問題一つをとっても正にそういう時代が来てしまったと言えると思うのです。
  だから「真珠」が必要なのです。今最も必要とされている真珠、それはイエス様の十字架によって与えられた「愛」という名の真珠です。すべての人はこの「すばらしい真珠」を必要としているのです。
  もっと便利な生活を、もっと楽な生活をと求めてきたものを売り払って、「愛」という名の真珠を買い取らなければならないのです。いえ、しかしもう既にそれは与えられているのです。しかも、無料でです。値なき者に、信じるだけで与えられるこれが福音です。イエス様の十字架の死によって、この「すばらしい真珠」は、もう既にあなたのものなのです。感謝あるのみです。