牧師室'12.10


◎ 2012. 10 ◎

「主の足跡」

義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。
(旧約聖書 詩篇85:13)




  暑い暑いと言っていた日々も、朝晩はグッと気温も下がり、足早に秋へと進んでいます。緑一色だった南天の木も、黄色からオレンジ色へと姿を変えています。
  そしてやがて葉は枯れ、土へと帰っていきます。けれども季節が変わり春を迎えると、ピチピチした若葉が再び萌え出でるのです。そんな自然の営みの中から、神様は永遠の命の美しさ、素晴らしさを教えてくれます。
  そう考えると、年を重ねると言うこともまた、永遠の命の美しさに向かって時を過ごす、素敵な営みであることを思わされました。
  それにしても、日本は長寿国ですよね。2012年(今年)の調査 によると、百歳以上の方が、51,000人を超えたのです。因みに男性は6,634人に対して、女性は44,842人ということです。(熊本1,107人)
  それだけの時を与えられていると言うことですから、やっぱりどのように生きるのか、ということはとてもとても大切なことだと思うのです。熊本ナザレン教会のシメオン会の方々は、口々に「信仰を持っていて、本当に良かった。」としみじみと言われます。
  この一言には重みがあります。そしてそれが、熊本ナザレン教会の100年の歴史を刻んできた、お一人一人の信仰の証なのです。
  詩篇85篇13節に「義は、主の前に先立って行き、主の足跡を道とします。」とあります。ここで言われている「義」とは、神の救いと理解することが出来ます。
  そして、イエス様が歩まれた十字架の道こそが「義」そのものなのです。主の歩まれた十字架の道は、私たちに対する模範の足跡です。しかし、当然のことながら私たちはイエス様が歩んだようには歩めません。

  けれども、私のために十字架の上で命を捨ててくださったイエス様を私の救い主と信じ仰ぎ、信仰によって、甦られた主と共に永遠の御国に向かって人生の旅を続ける、これこそが年を重ねてもなお美しく、輝いて生きる素晴らしい人生の秘訣なのです。
  ヘブル人への手紙11章は、繰り返し繰り返し「信仰によって・・、信仰によって・・・」と語っています。これは、神様のご命令と、それに伴う約束の言葉を信じる「信仰」です。ヘブル人への手紙11:3に「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」
  私たちが、神のことばを信じ、イエス様に従っていくことによって、私たち自身の信仰の足跡が、教会の歴史として刻まれていくのです。
  旧約聖書・新約聖書に登場してくる多くの人々、さらには、キリスト教の歴史の中に刻まれた多くの、聖徒(クリスチャン)達の信仰の証もまた、「主の足跡」と言えるのではないでしょうか。
  熊本ナザレン教会はやがて100周年を迎えることですが、今日まで歩んで来られたのは、愛する多くの信仰の先輩達がおられたからこそです。と言うことは、教会に繋がるお一人一人の歩んでいるこの時も、砂の上に残された足跡が、波に流され消し去られるようには空しく消え去ることは決してないのです。
  それは楽な平坦な道ばかりではありません。けれども、主であるイエス様がいつも共にいて下さると、約束して下さっているのですから、大丈夫です。安心してお委ねしようではありませんか。愛する皆さんの上に心から祝福をお祈り致します。