牧師室'12. 7


◎ 2012. 7 ◎
「口を大きくあけよ」

わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。
あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
(旧約聖書 詩篇 81:109)


  昔、私が幼少の頃、我が家では雨が降るとよく雨漏りがしました。その度に洗面器やバケツを持ってきて雨漏りのする場所に置いたものです。しばらくすると雨漏りの位置が変わっていたりすることも度々でした。ところで、誰も、雨漏りを受けるのに、瓶やコップを持って来るようなことはしませんよね。出来るだけ、口の広い容器を持って来るのは、常識以前の問題ですよね。
  よく小鳥が雛に餌を与えている場面を見ることがありますよね。ピーピーピーと大口を開けて餌をねだる雛は、必死です。親鳥はそんな雛のために、餌をとりに出かけて行きます。
  さて、今日の聖書詩篇81篇は、イスラエル民族がエジプトから連れ出された時の様子を詠った詩篇です。奴隷の地エジプトから出ては来たものの、道中は荒野の旅でした。道なき道を、ただ神の導きに従い、指導者モーセに率いられて進む旅は苛酷なものでした。そんな試練の旅でしたが、神はその中で腹が減ったと言えばマナを与え、のどが渇いたと言えば水を飲ませ、肉が食いたいと言えばうずらの肉を飽き足りるほどにお与えになりました。荒野の旅は、神への従順を学ぶための訓練の期間でもありました。
  繰り返し繰り返し神に呟く民、けれども、恵み豊かな神様は、「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう」と言われるのです。神はケチなお方ではありません。溢れんばかりに満たして下さるお方です。
  ある時この詩篇の御言葉から教会学校の先生が、子供たちに献金のお話をしました。「あなたの口を広く開けよ、私はそれを満たそう」そして、あのマラキ記書3章10節を引用して、「 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の主は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」
  お小遣いの十分の一を感謝して献げましょう。そうするなら神さまは溢れる祝福を与えて下さいます。
  次の週、一人の女の子が献金の時、バックの中から大きな財布を取り出して、献金をしました。そして、その財布の口を開けて,ジーと中をのぞき込んでいるんです。先生が「どうしたの」と訪ねると、その子は『先生が、十分の一の献金をすると,財布をいっぱいにしてくれるって言ったよね』・・・。子どもって、とても素直ですよね。さあ、この先生はこの後どのように対処したのでしょうか?あなただったら・・・!
  それは兎も角としまして、エジプトの奴隷生活から自由にされたイスラエルの民は、その様にして下さった神様より、腹が減った、のどが渇いた、肉が食いたい、と自分たちの現状の満足を願ったのです。イスラエルのある人々は荒野で,神様に向かって心を閉じてしまいました。そのような民に対して、神はこう警告されています。
 「しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。 それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんぱかりのままに歩かせた。」(81:11~12)と。
  神様は決して無理矢理に私たちに恵みを詰め込もうとはしません。私たちが心を開くのを待っておられるのです。でも、ちょうど幼な子が、「いらない!」と言ってしまった手前、引っ込みがつかなくて、ますます「いらない」っと強情になるように、神に対してそのような態度をとってはなりません。
  主なる神様は『あなたの口を広くあけよ」と言われます。それは、大きく開けた口を、空にせよと言うことでもあるのです。ものがいっぱい詰まった口の中には、それ以上入れることは出来ません。
  私たちの心も、エジプトの民のようであったら、神様の恵みを受け入れるスペースはないのです。
『わたしが、あなたの神。主である。・・大きく口をあけよ。』