牧師室'11.11


◎ 2011.11 ◎
「わが旅の道連れ」

私の祈りを聞いてください。
主よ。私の叫びを耳に入れてください。
私の涙に、黙っていないでください。
私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。
(旧約聖書 詩篇 39:12)


  ナザレン教会の宣教宣言に「教会は神の国を目指して世を旅する神の民の群れであると同時に、この世に神の福音を宣べ伝え、御旨を表す使命を授けられて生きる神の民の群れです。」とあります。
  教会が旅する群れであるということは,私たち一人ひとりもまた、世を旅する旅人です。そして、私たちは皆同じ目的地、「神の国」を目指して旅する,旅の同伴者なのです。
  「旅は道連れ世は情け」とよく言われますが、誰と道連れになるかは、大きな問題ですよね。共に主を賛美し,祈り,励まし合える道連れがいるなら,最高の旅ですよね。
  教会に集い、御言葉に聞き、祈り、賛美し、分かち合うこの時もまた旅の途中の大きな喜びの一つです。
  そして、なによりも神様が約束して下さったように、神様ご自身が旅の道連れとなってくださっています。
  イザヤ書46:4に、「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」と主は仰るのです。私たちの旅の終わりは、一人のように見えます。でも私たちの中におられるイエス様は、決して私を捨てて一人ぽっちにはなさらないのです。ですから、私たちは世の終わりに臨んでも、恐れる事は無いのです。
  とは言っても生きている限りは叫びたくなる時も,涙を流すこともあります。それが現実です。そのような時に、慰め励ましてくれる道連れがいるなら,それもまた、共に味わう旅の良さではないでしょうか。でも、もしそうでなかったとしても、私たちには,私たちの叫びを聞いてくださるお方がいるのです。涙を流す時、涙をぬぐい慰めてくださるお方がいるのです。

  それは3000年ほども前に詩篇の記者が、「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。」と歌ったように、主なる神様は、今も、変わらず、私たちの叫びに御心を止めてくださる道連れなのです。
  何よりも神様は創造の初めに私たち人間を、神様との交わりに生きる者として創造されたのです。
  『26神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
  27神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』(創世記1:26-27)
  神様が、人を神様の「かたちとして、神に似せて」 創造されたということは、神に向かう者、顔と顔とを合わせて交わりの中に生きる存在として、人を創造されたのです。ですから、神様ご自身が、今日も私たちの旅の道連れとして、神様との愛の交わりの中に生きる存在として、共にいてくださるのです。そして、そのことを確信し地上において神の民として共に歩む旅の道連れとして私たち一人ひとりををこの教会に招いてくださったのです。喜びも、悲しみも分かち合う旅の道連れ、それが私たちです。その私たちの旅の真ん中に、主が道連れとしておられます。
  「苦しい時には叫べばいい、悲しい時には泣くがいい、十字架のイエス様が、苦しみを喜びに、復活のイエス様が、涙を笑いに、変えてくださるから。」アーメン!