|
「人生楽ありや苦もあるさ」 水戸黄門の主題歌にある一節です。 世に生まれてきて、私も60年を過ぎました。もちろん楽しいことも沢山ありました。しかしそれは過ぎ去った過去の思い出としては大切なものですが、それ(青春)を取り戻すことは出来ません。 苦しいこと悲しいこともまた数え切れないほどありました。でも考えてみればそれらのものが私を訓練し養い、今の私に育て上げてくれたのではないかと思います。 体力は衰え、走ることもままならず、すぐに息切れします。目も老眼が進み、眼鏡なしには聖書も読めません。 時代も変わりました。ある人が言いました。「この先、人類に希望はあるのだろうか?」と。私の答えは「あるとも」です。どこに希望があると言えるのですか? それは、私たちを創造し、全てをご支配なさっている神の御言葉にです。 イスラエルの民は国を失い、他国に囚われの身となっていましたが、神様は預言者イザヤを通して、必ず解放の時、回復の時があることを告げるのです。 約束の通りイスラエルの民は、エルサレムへと帰ってきました。しかしその後、民は離散し放浪の民となってしまいました。ところが、2000年もの放浪の旅を続けたイスラエルは、1948年、国を再興したのです。奇跡です。そうです神の言葉の奇跡です。神様の言葉にこそ「希望がある」のです。 連日30度を超える暑さも、やがて秋を迎えると涼しさがやってくると思えば耐えられるのです。 私の残された人生、あと何年でしょう?「死」その後私はどこへ行くのでしょう。神様はこう言われるのです。 「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(イザヤ51:11)と。 神様はひとり子イエス様を通して私を贖って下さいました。そして、私は喜び歌いながらシオン(天の御国)に帰るのです。 |
その「とこしえの喜び」の約束があるから、たとえ悲しみ嘆きがあったとしても、希望を持って生きる事が出来るのです。神様は約束しておられます。 14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネの福音書14:1〜3)と。 3月11日、日本を襲った地震と津波、そして原発事故。5ヶ月経った今も4700人以上の方々が行方不明となっておられる。残された方、身内の方々に、どのような言葉が掛けられるのだろうか?考えれば考えるほど言葉にならないもどかしさを覚えます。しかし、こういうときだからこそ私たちは「奇跡の神の言葉」にお委ねするしかないのです。 物質的、精神的ケアーはもちろん欠かせません。けれども神に贖われた私たちは、神のことばに信頼し、世が与えることの出来ない永遠の喜びがあることを伝えなければならないのではないでしょうか?そのための愛と、知恵と力と勇気が与えられるようにと祈らざるを得ません。 愛する皆さん。共に祈りましょう。「悲しみ苦しみの中にある方々の上に神様の慰めと励ましがありますように」と。そして貴方の上に神様の祝福がありますようにと祈ります。 |