牧師室'11. 7


◎ 2011.7 ◎


「恵と平安があるように」


私たちの父なる神と主イエス・ キリストから、
恵みと平安が あなたがたの上にありますように。(2節)
(新約聖書 コリント人への手紙第二 1:1〜5)


  暑中お見舞い申し上げます。暑い・暑いと言っても涼しくなるわけではないのですが、ついつい口を突いて出るのは『暑いですね!』です。個人差もあると思いますがこの季節は冷えたスイカが一番?ですね。時には一個丸かじりしたいな、なんて思いませんか?
  それはさておきまして、私たちに与えられている今日は、かけがえのない今日です。そして、『主の恵みと哀れみとは永久に尽きることがない。』と謳った詩篇の詩人のように、私たちも主の恵みと哀れみによって今日という日が与えられているのです。ですから、感謝して生きることが出来るのです。
  さて、コリント人への第二の手紙手紙はパウロ先生が書いたものです。1章1節から読んで参りますと、その語り口は非常に穏やかです。けれども読み進めていきますと、その内容は私たちの想像を遙かに超えた、苦難と試練の中にあることが記されています。
  特に11章23節以下を読みますと、心が痛くなります。
  むちで打たれ、石で打たれ、難船し、眠られぬ夜を過ごし、飢えと渇き、寒さに凍え、死に直面したこともあったのです。
  加えて、教会への心づかいにより、気の休まる暇がないと言うのです。けれども、パウロ先生の心は穏やかでした。「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安があなた方の上にありますように」と。彼自身の内に、「父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安が」与えられているから、それを経験し実感しているから言える言葉なのです。
  この恵と平安はイエス様ご自身の内にあるのです。
  「恵」とは受けるに値しない者に与えられる神様の「愛」です。この神様の愛が私たちに注がれているので、そこに平安があるのです。そして、この平安が私たちに生きる希望を与えてくれるのです。
  「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ロマ 5:5)とある通りです。イエス様を信じ受け入れている私たちはこの愛の証しを持っているのです。それが「平安」です。
  「神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。」(Tヨハ 5:10)。神様の愛は私たちに、もう既に与えられているのです。
  あのパン食い競争を思い出してください。パンは目の前にぶら下がっています。5人で走るなら5人分パンは用意されています。あとは、かじりつけばいいのです。パンを口にしなければゴールには行けないのです。
  神様は一人も滅びることがないようにと全ての人の為にひとり子イエス・キリストを世にお遣わしになったのです。「恵」も「平安」もイエス様から来るのです。
  ですから信じるだけでいいんです。
  今更言うまでもないことですが、私たちは既にその「恵」も「平安」も頂いているのですから、感謝して今日という日を歩んで参りましょう。暑い日が続きます。お体大切にお過ごしください。