牧師室'11. 6


◎ 2011.6 ◎

「信仰とは」

18:43 それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」
18:44 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
(旧約聖書 列王記上 18:43〜44)


  「信仰とは」などと言うことを今更申し上げるまでもないかも知れませんが、あえて、申し上げますなら、信仰とは、聞き従うことと言えると思います。
  そこで、聖書に記されている人物を通してそのことを確認したいと思います。その人物はエリヤという預言者です。
  イスラエルの三代目の王ソロモンが死んだ後、イスラエルは北王国イスラエルと南王国ユダに分裂してしまいます。その北王国に神の預言者として立てられたのがエリヤです。
  そのとき北王国イスラエルの王はアハブと言いますが、その妻イゼベルの建てたバアルの宮に仕え、イスラエルを導いてこられたヤハゥエなる神様に背を向けてしまうのです。その王の前に現れたのが預言者エリヤ(主は神である、と言う意味)です。
  17章の1節を見ますと、エリヤはアハブ王にこう告げます。
  「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」と。
  はたしてその通りこの地に雨は止められた。それから、かなり経って、三年目に、主はエリヤに言われました。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう」と。しかしその前に、エリヤには成さなければならないことがありました。それは、偶像に仕える預言者たちとの戦いでした。バアルに仕える450人、そしてアシュラの預言者400人です。あの有名な、「火をもて答える神、その方が神である」(18:24)、と言って850人と戦うのです。結果はご存じの通り、エリヤの信じる神の圧倒的な勝利でした(列王記第一18:22〜40)。
  戦いの後、エリヤはアハブ王に大雨が降ると告げ告げます。雨の降る気配など全くない。
  しかしエリヤは、神様のお言葉に全幅の信頼をもって、アハブ王に「雨が降る」と告げたのです。そしてエリヤは彼の若い者に「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」この「七」という数字は、完全数です。徹底的に神様に信頼する。と言う意味を持っています。空を見上げても雲一つない快晴。しかし七度目に空を見た若者が叫びます「あれ、人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています。」
  神様が言われたことは必ず成ると信じることが「信仰」です。
  エリコの堅固な城壁が崩れたのも神様のお言葉に従って七度町をを回ったからでした(ヨシュア記6章)。ナアマン将軍の病が癒されたのも、七度水に身を沈めたからでした(列王記第二5:14)。   聖書は、その様にして神様に従った人々に対する神様の真実な姿が記されています。私たちは、この様な神様のみ業を昔起こった出来事として読むだけではなく、今も私たちに語りかける、変わらぬ神様のお言葉として聞き、信じ、従うのです。
  たとえ今は、何も起こらないように見えても、やがて手ほどの雲が現れ、更に大雨が降り始めるのです。
  熊本ナザレン教会はやがて100周年(2015年)を迎えようとしていますが、神様は今日まで変わらぬ愛をもって導いてくださいました。その意味で、もう既に、手程の雲は現れているのです。主が備えてくださった一人ひとりの信仰を通して、雲は空を覆いつつあるのです。そしてやがて大雨が降り出すのです。「信仰とは」まさしく、神様の言葉に聞き信頼し、今あることを感謝して生きることだと思うのです。 主に贖われたすべての人、先に天に帰られた方々をも含め、今日まで、主にお仕えしてこられたお一人ひとりに感謝!!