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ハイドンと言う人が、イエス様が十字架の上で発せられた七つの言葉をもとに、「イエスの十字架上の七つの言葉」と言う壮大な曲(73.17分)を作りました。その七つの言葉は、 @「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているか分からないのです。」(ルカ23:34)から始まります。 A「よく言っておく。あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいるであろう。」(ルカ23:43) B「女よごらんなさい。これはおまえの子です。そして子よ。これが母です。」(ヨハネ19:26〜27) C「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てられたのですか。」(マタイ27:46/マルコ15:34) D「ああ、わたしは渇く」(ヨハネ19:28) E「すべては終わった。」(ヨハネ19:30) F「主よ。、わたしの霊をみ手にゆだねます。」(ルカ23:46)です。 この曲には、主の叫ばれたひとつひとつの言葉の後に続けて歌が続きます。全てを取り上げていきますと、73分という長い曲ですので、それは省略させて頂きますが、今日取り上げました、第5番目「わたしは渇く」の後に続く歌詞だけを紹介いたします。 イエスは叫ぶ、「ああ、わたしは渇く!」復讐などをせず、怒りを静めなさい!人よ、憐れみで心を和らげ、心の中に慈悲を呼び起こしなさい!イエスは叫ぶ。「ああ、わたしは渇く!」人びとはイエスに苦汁を混ぜたぶどう酒を差し出した。このようにしてイエスの渇きは癒された。残酷な行いはさらに続くのか。良き行いの人、イエスは、もはや痛みに耐えられない。 詩編に記されている預言の成就です。さて、この十字架の主イエス様のお姿を想像できるでしょうか? |
十字架上のイエス様のお姿は私たちの罪のために、身代わりの供え物となって下さった神様の愛そのものです。イエス様の苦しみの叫びの中に神の愛を見ることが出来るのです。従って十字架上での七つの叫びは全て、私たちに対する神様の愛の叫びなのです。『渇く』という主のお言葉を聞いて、きっと思い出して頂ける御言葉があると思います。それは、ヨハネの福音書4章の出来事の中で語られたイエス様さまのお言葉です。「スカルの井戸辺」の出来事で一人の女性との出会いの中で言われた有名なお言葉です。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、私が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命への水がわき出ます。』(ヨハネ4:13〜14)。『私が与える水』とは、十字架の上で流された血潮による罪の赦しと、甦りによって与えられた永遠の命です。これは、決して枯れることのない、イエス様さまから流れ出る愛の泉です。水はすぐそこにあります。でもその水をすくって飲むのは私たちのすべきことです。 私はどうも普通の人より乾きに敏感なようです。ですからいつも、ペットボトルに水を入れて持ち歩いています。しかし、心の『渇き』にはどれだけ敏感だろうか? その渇きに気づかせてくれるのは、御言葉に触れた時です。私が『渇いている』のを最もよくご存じなのはイエス様です。ですから、御言葉によって、イエス様は私の『乾き』をいやして下さるのです。白川水源に湧き出る水は、いくら飲んでもまた渇きます。しかし、イエス様の内にこそ私たちの『乾き』を永遠に癒す泉があるのです。しかもこの水は、私たちの内から湧き出ると言われるのです。それは、信じる私のうちにイエス様がおられるからです。 日々御言葉に聞き、祈り、感謝と喜びをもって歩んで参りましょう。 |