牧師室 '09. 7


◎ 2009. 7 ◎

「神は私の味方」


8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
<新約聖書 ローマ人への手紙 8:31>




  さて、このローマ人への手紙を書いたのは、偉大な使徒パウロ先生です。そのパウロ先生が7章の終わりにおいて、『7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。……… 7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。』と自らの弱さをさらけ出しています。
  しかし、そう言う弱さ、みじめさを認めながらも、パウロ先生こう言うのです。『7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。』と。
  そして、8章に入りますと、『8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』と、自分の弱さを知ることなしに人は助けを求める事はしません。弱さを認めるなら、助けが必要なことを自覚するのです。
  ですからイエス様はこう言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ 2: 17 )と。そこでパウロ先生はこう言うのです。『神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。』御存知のように、パウロ先生は病を負っていました。そしてそれを取り除いて下さるようにと一生懸命(三度も)に祈りました。しかしそれは取り去られることはありませんでした。が、主なる神はこう言われたのです。『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と。
  そうです、イエス様はいつも、どんな時にも、私の味方として共にいて下さるのです。
  私が短大の一年の時に、一年先輩に(年はずっと若い)K・K(旧姓)さん(現在はF・Kさん)がおりました。卒業間近のときに、ナザレン神学校の校長(当時は喜田川信先生)が、『K君、君は、入学願書の連帯保証人のところに、『イエス・キリスト様』と書いてあるが、両親とか、出身教会の牧師先生とか誰かおらんのかね!」すると彼女は、「はい、この方が最も確かな保証人です。宜しくお願いします。」「・・・」そして神学校に進み、卒業して牧師となりました。現在は牧師先生と結婚しその教会でご奉仕しています。
  しかし、今癌との戦いの中におります。膵臓癌と言う事でしたが、肺にも転移していると言う事です。最近は連絡を取っていませんが、放射線や抗がん剤の治療を受けずに、漢方薬によって治療を続けています。
  その彼女が、神学生3年のときに、私と一緒に横浜教会に派遣されました。そして卒業を迎えた最後の聖日「神が私の味方なら」と題してローマ書8章から宣教をされました。最後に「信仰を与えられ、献身に導かれ、今第一線に遣わされようとしていますが、どんな時にも、神様がわたしの味方として共にいて下さることを確信して、歩んでいきます」と。 8章35節には、『私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。』そして、37節に『私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。』
  今もその信仰に立って、癌に立ち向かい戦っているに違いないと思います。神学生の時に与えられた主の約束は今も、決して変わることがないからです。