牧師室 '09. 1


◎ 2009. 1 ◎

「心を見守れ」


力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
<旧約聖書 箴言 4:23>

幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。
<旧約聖書 詩篇 41:1


  新しい年を迎えたと思う間もなく、もうひと月を過ぎようとしています。
時の経つのは速いものですね。
  さて、箴言4章23節に「力の限り・・・」とあります、普通に考えますと、「一生懸命頑張れ」と言っているように聞こえますが、「いえ、もうこれ以上は頑張れません」という人もいますよね。ここは、むしろ「何よりも神を第一とせよ」という意味です。神様を第一とすることによって、私たちの心は、あらゆる悪しき者から守られるのです。続いて、「いのちの泉はこれからわく」とありますが、これは「心の豊かさ」=「ゆとりある心」を表しています。心が豊かで、ゆとりのある心で過ごすなら、自分のことよりも、他者に向かって心が開かれていくのです。心豊かで、ゆとりがなければ「弱っている人に心を配る」事は出来ないのではないでしょうか。
  私なんかもよく経験するんですが、入院している人をお見舞いに行くと、多くの場合、こちらのほうが励まされて帰って来るんです。自分が具合が悪くて寝ているのに、見舞いに行った私のことを思いやる言葉をかけて下さる。これは、「心豊かで、ゆとりがある」証拠です。
  しかし、それは分かっていてもなかなか自然には出て来ないのですよね。そこで、箴言4:23「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。」つまり、神様を第一として、神様と共に歩む生活の中で、「心の豊かさ、ゆとりある心」が湧いてくるのだと言うのです。
  ところで、「神様を第一とする生活」の秘訣は、なんでしょうか。ちょっと、先の箴言20節から見てみましょう。
  4:20 わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
  4:21 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
  4:22 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
とあります。
  言うまでもないことですが、神様のみ言葉に聞くと言うことです。み言葉に聞くと言いますと、聖書を読まなきゃ、と思うのですが、もちろんそれも大切なことですが、むしろ祈りによって神様との交わり、会話を楽しむことです。
  私たち人間同士でも、本当に親しく交わりたいと思うなら、顔と顔を合わせ話をすることではないでしょうか。
  私たちは、神様に祈り、神様との交わりを通して「心豊かにされ、ゆとりある心」が与えられ、人を思いやることが出来るのです。
  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。
主はわざわいの日にその人を助け出される。(詩篇41:1)
  イエス様も、山上の説教の中でいわれました。「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです」(マタイ5:7)と。
    与えられたこの一年、いいえ今日というこの一日を、共に主にあって強められ、お互いに心配り合う歩みでありたいと思います。
  「人間的な思いで愛するなら、いつか疲れるのです。私たちは神様に愛されている愛の利息で、人を愛するのです」(小島伊助師)。
  貴方の上に神の祝福を祈ります!!