●まへがき 迂拙が小學生の頃、正字・正假名遣ひが大東亞戰爭後しばらくまで遣はれてゐたことは知つてゐましたが、なぜ戰後纔(わづ)か50年程度で讀めないのか、あるいは身の囘りになぜ、50年まへの文字がないのか不思議でしやうがありませんでした。 暫くして、その事を忘れ勉學に勵んでゐた頃、圖書館でsc恆存著「文化なき文化國家」に出合ひ、迂拙の戰後體制の疑問へ答へてくれました。 さらに、氏が正字・正假名遣ひで書かれてゐるので、ひじやうに興味を持つて讀むことが出來ました。 はじめは、正字が殆ど讀めませんでしたが、漢和辭典を調べていくと、なるほど正字のはうが一見むづかしさうだが、つくりが良く判り、理解しやすいことに氣が付きました。さういへば、英語の先生が「單語の綴りが短いものよりも長いはうが覺えやすい」と言つてゐたが、これと同じ理屈だと思ひました。 その後、sc氏の著作をはじめ、正假名遣ひの本に接しようと、專門書を探しました。ほぼ正確に書けるやうにはなりましたが、初めのころは、間違へが多くありました。例へば、「用ゐる」が正しいのに「用ひる」としたり。 學んですぐに出來ることは不可能と思ひますので、あせらず實踐しながら間違へながら徐々に覺えていけばよいと迂拙は思ひます。 普段は、英語を學ぶときも同じやうに、言ひ囘しを參考にしたりするのにもやはり、正字・正假名遣ひに接するのが一番だと、付け加へておきます。また、sc氏が「私が書くほかのものを讀まなくてもいいから、これだけは讀んでいただきたい。」と言つてゐる名著「私の國語教室」を是非とも讀んで頂きたい。(慷慨の士) |