2019年01月01日更新

新年あけましておめでとうございます。11月末、2ヵ月半に及ぶ入院生活から復帰することができました。
一昨年の9月から頭痛や首の痺れというような症状があり検査をするために入院しました。通常大学病院というところは3〜7日程で検査結果が出るのだそうです。私の場合はなかなか病名が特定できず、途中で神経内科〜脳外科〜第3内科と医療チームが変わったためかなりの日数がかかってしまいました。最終的には開頭して患部から組織を取り出し生体検査をやってようやく病名の特定にまで至りました。結果は難病に指定されているふたつの疾患の組み合わせで、山梨大学附属病院でも過去に3例しかない珍しい症例なのだそうです。

病名がはっきりするまでは治療に入れません。頭痛が酷かったので鎮痛剤とアイスノンが手放せない状態が50日あまり続きました。この間、突然極彩色の発光体が回転しながら目の前に現れたり、景色はちゃんと見えているのに差し出した自分の両手だけが見えないとか怖い経験もしました。でも、この先自分がどうなっていくのかという不安はありましたが不思議と心は落ち着いていたように思います。さすがに「ここではまだ死ねないよ…」です。
自分の中では「人生60年、そこからはおまけ」という考え方が若いころからあって、過去にそのような発言もしてきたわけですが、今回の入院を経てその考え方は傲慢だったかもしれないと思うようになりました。一緒に事務所をやっていたカメラマンの御子柴滋さんの口癖、「オレは人生舐めてっからね」が好きでしたが、人生舐めたらいけません…罰が当たります(^_^;)

昨年は、家内が6月に聖マリアンナ医科大学病院で10時間にも及ぶ開頭手術を受けたばかりだったし、「夫婦そろって立て続けかよ」と、神様に文句を言いたくなるような一年でしたが、今年は「災い転じて福と為す」年になるといいなぁと思います。この文章を読んでくださった皆さんにも今年はよい風が吹きますように。

ところでこの「Kohsei On The Web」、ただいまブログ形式への移行を考えておりまして、このHP自体の更新は今回が最後になるかもしれません。「死んだ?」と思われないよう、なるべく早く作成したいと考えておりますが…果たしてどーなるか!?




2018年07月23日更新

毎日とんでもない暑さがつづく八ヶ岳です。標高1000mの高原でこの状況なのですから、“下界”は殺人的な猛暑かもしれません。お身体お大事に。

Top
の写真は、息子の部屋の新住人?キセキレイの雛です。部屋の主がいなくなった途端に巣を作られてしまいました。


さて、私の写真学校時代からの友人、大久保浄氏の写真展が8月3日より新宿のオリンパスギャラ
リーで開催されます。
『台湾 旅する気分』…なんともライトなタイトルですが、実
際は「センチメンタル・ジャーニー」といったほうが相応しい作品かもしれません。
当時から“巨匠”と呼ばれ、その圧倒的なセンスと技術力とで教授陣からもいちもく置かれる存在でしたが、プロの道へは進まずアマチュアの純粋な視点で旅を撮り続け、自分探しを続けてきた写真家です。私が師匠の長濱治以外に最も影響を受けた“3人のO君”のうちの一人。

恒星というペンネームの名付け親でもある“巨匠”大久保ジョー、久々の写真展です。
お時間のある方はぜひ足を運んでみてください。








2018年02月24日更新

前回のWhat’s Newに続き、またまたライブの撮影中に感動的な曲と出会ってしまった!その曲は、中島みゆきさんの『夜会工場vol.2』ラスト前で歌われた「あなたの言葉がわからない」である。特にエンディングのアレンジが素晴らしく、鳥肌が立ちっぱなしの撮影でした。それにしてもみゆきさんにはいつも感心させられます。撮影する度に天才を感じさせてくれるアーティストは長い音楽カメラマン人生のなかでもそうそうおりません。これほど才能のあるミュージシャンを撮影させていただけることをほんとうに幸せに思います。いまから映像作品の完成が楽しみです。

さて、HPトップをご覧いただいてお分かりのように、亡くなった加川良さんのトリビュート・ライブ『ラブ・ソング』が、45日下北沢GARDENで行われます。この一年間、全国でいくつか追悼コンサートが行われたようですが、加川さんの命日であるこの日は、一人息子でありミュージシャンでもあるgnkosaiさんが務めます。出演は有山じゅんじさん、金森幸介さん、金子マリさんたちベテラン勢に混ざって、加川良をリスペクトする若手ミュージシャンが多いのが楽しみです。加川さんはご自身をフォーク歌手と括られることを嫌がっていましたし、若いロック系のミュージシャンが大好きでした。人気の『ハンバート・ハンバート』だって、デビューした頃から「彼らはええよ〜」と言って僕に紹介してくれたこともあり、彼らの「夜明け」という曲をカバーしていたほどでした。

 

つい最近俳優の大杉漣さんがお亡くなりになりました。実は大杉さん、若い頃から加川さんのコアなファンでもありました。告知されてはいませんでしたが、実は45も出演される予定があったのです。加川良のファン同士としてお会いするのを楽しみにしていた矢先の訃報でした。






2018年01月02日更新

新年あけましておめでとうございます。
なかなか更新されないHPですが、本年もよろしくお願いします。


昨年とうとう還暦を迎えました。
僕はこの年齢になっても本音と建前を上手く使い分けることができません。
本気でつ
き合いたいと思った人間とはいつも直球勝負です。
なので誤解を生むこともあります。


悔やまれるのは、聞こえていたにもかかわらず気づけなかった相手の言葉があることでしょうか。
もやもやした気持で迎えた年の瀬、榊いずみ(橘いずみ)さんのデビュー
25周年ライブ。
アンコールで歌われた「サルの歌」に感動させられました。
撮影しな
がら泣きたくなったのはいつ以来のことだったろう…
2018年、僕と僕の大切な友人にいい風が吹いてきますように。


 

1969
年、日本で最初にオールドタイムのアルバムをリリース
した「The Mountain Ramblers」の皆さんです。




2017年04月11日更新

加川良さんが逝っちゃった

DVD60(ろくまる)』の本編終了後、次回作に入れようと考えていた曲『ビールストリート』に乗せて僕は、“ 2018 『70(ななまる)』 Coming Soonというテロップを入れた。そうなのだ、今年は三作目の映像作品を撮影する年だったのだ。
 
69歳で亡くなっちゃうのも加川良らしい。そんなふうに諦めるしかないか
加川さんとのお付き合いは、僕がカメラマンの丁稚時代にライブへ通って写真を撮る
ようになってからだから、もう35年以上も前のことである。

 その後もお付き合いが続き、20年前の『50(ごぉまる)』、10年前の『60(ろくまる)』と、二本の映像作品に監督兼カメラマンとして関わらせてもらった。よほどご縁があったのだろう、7年ほど前から加川さんは僕の住む八ヶ岳に引っ越してこられたのだ。ご自宅は僕の家から車で10分。記念すべき初ビデオ作品『50(ごぉまる)』を収録したライブハウスからは車で僅か1分あまりの距離なのだった。
ご近所だからといってプライベートの付き合いが増えたというわけではない。彼から何らかのアクションがあるまで、こちらから連絡するのは控えていたのである。公私の区別をつけるそれが暗黙の了解事項だったような気がし、遠慮していたのが本音である。でも、いつだって「今年こそ桜吹雪をバックに写真を撮らせてもらおう」と考えていたし、次回作『70(ななまる)』の撮影プランも計てていたのであった。

 加川さんと最後にあったのは一昨年の37日。先に紹介したライブハウスでおこなった僕のバンド演奏を観に来てくれたときである。「行くかも」とメールが来たので楽しみにしていたら最後まで姿を現さず、がっかりして外で煙草を吸っていたら、ふっと暗闇から現れ「コーセイ君、お疲れさまぁ」だって。「小斎さんも人が悪いなぁ」と僕。寒い晩だったにもかかわらず、店には入らずずっと窓越しに見てくれていたのであ
そんな人だった。


 僕のNo.1ヒーローだった加川良。中学時代、盛岡から一関まで見にいったのが僕にとっては初めての長旅であり、道中は大変緊張した。それだけに当時の相棒イサトさんのピアノから始まった1曲目『偶成』での感激はいまでも鮮やかに記憶に残っている。カメラマンと歌い手としての付き合いが始まり、小斎さんと呼ぶようになってからは一緒に旅をし、酒を呑み、いろいろと勉強させてもらった。みな楽しい思い出ばかりである。
以前、小斎さんは「自分は加川良というミュージシャンをプロデュースしているのだ」と話してくれたことがあった。あの気難しいところもあった小斎さんが、映像に関しては僕の100%好きなように作らせてくれた。こいつなら間違った作品は作らないだろうと信頼してくれていたのだろうと思いたい。

 小斎さんありがとう。加川良のファンでいてよかった!

吉田恒星

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入院中の加川良さんに金森幸介さんが寄せた文章を紹介させていただきます。
お二人の関係は、僕が加川さんに「今度、幸介さんに会うんです」というと、「アホ!って言っといて」。幸介さんに「小斎さんが引っ越して来ました」というと、「アホ〜言うといて」そんな微笑ましい間柄でした。

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旧友からメールが入った。


アホ!」、と将軍様を何回も褒めちぎり、
最後は、こんな言葉で終わっていた。 
元気です。ワッハッハ!」
 
病気で、入院しているくせに・・・、だ。

昔々、我々二人は、 在版ラジオ局でDJをしていた。
週に一度、深夜の1時から5時まで、
1年くらいはやったと思う。
もう45年ほど前の話になる。

去年、久しぶりぶり、ブロッコリー!
一緒にライブをして、楽しかった。
舞台上では、お互いの悪口ばかり云い合った。
本当に仲が悪いのか?
そう勘違いした人達もいたみたいで、
こちらにとっては、してやったりだった。


我々は、楽しく、お互いを罵り合いながら、
ずっと長い間、友情を育んできたのだ。

元気です。ワッハッハ!」 、って?
女の腐ったのでかまいませんよ派のくせに、
そんな、男らしいってわかるかい派
みたいな事云うて・・・。


ホンマ、ちゃんと、帰ってきてや〜〜ッ!
また二人で、仲悪そうなライブしたいから。


12
9日  金森幸介






2017年01月01日更新

 昨年は「HEARTBEARTSDVDのリリースがあったので、ずっとSHYの写真を表紙に使用してきましたが、今年の春先にCD「八ヶ岳の笑い声vol.2」の仲間たちと2回目のライブをやることになりそうなので、そのメンバーの集合写真をトップにしてみました。音楽のジャンルはさまざまですが気の良い仲間たちです。
 
 さて昨年のお正月、「今年は久しぶりに目標を持つことにしました。頑張ればな
んとかなりそうなものから、かなり無謀なことまで…2016年の年末は笑っていられるか、はたまた自己嫌悪に陥っているのか」と書いたわけですが、無謀と思えた目標もクリアすることができ、ここ数年ではもっとも充実した一年だったように思います。ちょっと不謹慎かもしれませんが、幼い頃より漠然と「人生60年」と思い込んでいた自分にとって、今年以降はオマケのような想いがあります。だからこそなのでしょう、年齢を重ねる毎にもっともっと自分を解放させてゆきたいという気持ちが膨らんできます。
 
 
趣味のほうでは新たなチャレンジをするつもりです。ひとつはこれまでその才能がないと諦めていたオリジナル曲を作ってみたいということ。もうひとつ…これは内緒にしておきますが、自分自身の壁を破りたいという意味では曲づくりと一緒なのかもしれません。

肝心なことを忘れていましたフェードアウトとならないよう本業を頑張らなくては(笑)




 





2016年05月01日更新

 HEARTBEATSにとって、最初で最後のライブDVDが本日201651日、発売となりました。
バンド解散から29年ぶりに行われた、昨年「8/8 ROCK DAY OKINAWA」でのステージを完全収録。彼らの育ての親である黒川修司氏による、バンド結成時に触れたライナーノーツ。彼らの全盛時に撮影された数々の写真等、ブックレットも充実した内容となっています。400枚限定ですので興味のある方はお早めにどうぞ。\3,000(税込)。ダイジェスト映像がYouTubeにアップされていますのでご覧ください。(クリックしても見られない場合は、アドレスをコピー&ペーストするか、新しいタブを開いてご覧ください。)

https://www.youtube.com/watch?v=IE2EJmd5Hs0





 昨日、駒ヶ根カントリーカフェで行われたThe Blueside of Lonesomeのライブに行って参りました。噂には聞いていたものの、ヴォーカル、コーラス、演奏、アレンジ、ステージ進行と、全てにバランスのとれた素晴らしいバンドでした。紅一点坂本愛江さんと、最年少手島宏夢くんの姿勢が、リーダー笹部益生さん始め、大御所メンバー達に良い刺激を与えているように見受けられました。僕が知る限り、純粋にブルーグラスという音楽だけでメジャーシーンで勝負できる可能性を持ったバンドは彼らが初めてかもしれません。彼らがFuji Rockに招待されたのも頷けます。それにしてもプロフェッショナルなバンドは観ていて気持ちいい!
 YouTubeに動画が沢山出回っていますが、ぜひ生でご覧になってください。






2016年01月07日更新

 新年あけましておめでとうございます。
若い頃は、年末に1年を振り返って来年こそはと夢の実現に向けて計画を立てたものですが、それが叶ったからなのかどうか、この数年は夢などは持たずにおりました。ところが昨年、これまで縁のなかったエレキギターにチャレンジすることができたり、本業では友人のHEARTBEATS29年ぶりにライブをやってくれたおかげで編集作業ができたりetc…このところ楽しくってしょうがない。気持ちが前向きだと良いスパイラルが生じるようです。
ちなみにエレキを持って演っている音楽はグループサウンズ!いま思えば、ワイルド・ワンズの加瀬邦彦さんが亡くなったことも影響しているのかもしれません。そういえば坂庭省悟さんが亡くなったときもナターシャセブンのコピーバンドをやったっけ。その経験がいま、メインのブルーグラス・バンドへと繋がっているわけです。やり続けるって大切ですね。GSがきっかけで将来ヘビーメタルでも演るようになったら凄いかも!?


 


 冗談はさておき、エレキギターを練習していると左手の母指球が腫れて痛くなります。これまでハイコードとはまったく無縁だったので、楽器によって使う筋肉がこれほどまでに違うということに驚いています。かなり痛いけれど、アコギを弾き始めたころ指先が痛かったのを思い出してちょっと新鮮な気分です。
そんなこんなで、今年は久しぶりに目標を持つことにしました。頑張ればなんとかなりそうなものから、かなり無謀なことまで…2016年の年末は笑っていられるか、はたまた自己嫌悪に陥っているのか、楽しみです。本年もKohsei On The Webよろしくお願いします。






2015年08月13日更新

 88日開催の『8.8 ROCK DAY OKINAWA』で、ハートビーツ29年ぶりに一夜だけ復活するらしいという噂を耳にし、居ても立ってもいられず沖縄まで出掛けてきた。ハートビーツはShyVo)、ジョニー(G)、アキオ(Dr)、タカシ(B)の4人からなる沖縄出身のロックバンドである。当時沖縄のバンドには、時代の背景もあってかヘビーな印象がつきまとっていたのだけれど、彼らには他のバンドにない明るいイメージがあって僕は大好きだった。1982年、レコード各社争奪戦の末に日本コロムビアよりデビュー。アルバム2枚を発表するもその後は陽の目をみることなく5年後に解散してしまう。

 この日のコンサートは、日本ハードロック界の伝説的存在「紫-MURASAKI-」の40周年がメインだったためハートビーツは8曲のみの演奏であったが、伝説という意味では彼らも負けておらず、その姿をひと目みようとする観客でホールは満員だった。「今が一番いいかも」とメンバーがいうだけあって全盛時を彷彿とさせるようなパフォーマンスに興奮させられたが、それ以上に客席の鳴り止まないアンコールの拍手に感動した。あれほど気持ちのこもったアンコールを聞いたのはいつ以来のことだろう…。

 29年もの間、何か忘れ物をしていたような気がしていたのはメンバーだけでなく、あの時代を知る友人やファンにとっても同様である。ハートビーツは我々の青春そのものだった。終演後「俺たちが売れなかったのは容姿のせいかな?」という自虐的な話で盛り上がる楽屋にいて、僕は何となく忘れ物を見つけられたような気がして感無量だった。


 


 今回の仕掛人は、いまでは沖縄の大スターとなったジョニー(ジョニー宜野湾)である。彼とのことは当HPコラム欄の「神様からの贈り物」にも書いているのでよかったら読んでみてください。

 HPの表紙はこの日の主役『紫-MURASAKI-。まるで外タレそのもの…カッコいい!
写真左よりジョージ紫(Key)、ChrisB)、JJVo)、ChibiDr)、GGG)、清正(G






2015年05月03日更新

 4
20日、ミュージシャンで作曲家、音楽プロデューサーでもあった『ザ・ワイルドワンズ』のリーダー加瀬邦彦さんが亡くなられた。W.ワンズといえばGS(グループ・サウンズ)を代表するバンドのひとつである。12弦ギターのイントロが印象的な代表曲、『想い出の渚』はいまでもFMからよく流れてくるが、なんといっても僕にとっては小学生の頃大好きだったコカコーラのCMソングである。コ〜クと叫べッばそれだけで〜 若さ〜がッ うれしいのさ、コッカコ〜ラ、スッカッと爽やか〜 コーカコ〜ラ〜。あれから37年後、まさか自分がW.ワンズのオフィシャル・カメラマンを務めさせていただくことになるとは思いもよらなかった。

 加瀬さんの華々しい経歴をあらためてここで紹介する必要はないと思う。僕が特に書き留めておきたいことは、そのリーダーシップの見事さだろう。W.ワンズのメンバー、鳥塚しげきさん、島英二さん、植田芳暁さん、全員が明るく謙虚で、人間的な魅力に溢れた方達なのだが、それもこれもリーダーの加瀬さん自身のお人柄に拠るところが大きかったのではないかと思う。

 加瀬さんがオーナーの『銀座ケネディハウス』では月に1度、W.ワンズの名付け親でもある加山雄三さんのライブがおこなわれている。なんとギャラ無しだそうだ。加瀬さんのオファーに対し加山さんが出した条件はただひとつ、「焼き鳥を奢ること」であったそうな。二人の関係が感じられる微笑ましいエピソードだが、加山さんにとって加瀬さんは慶応の後輩であるばかりでなく、それ以前から自宅でギターの弾き方を教えのような存在なのである。加山さんの心痛も如何ばかりであろうか。

 HPトップページで紹介した写真、この頃の加瀬さんは治療の影響かいつも毛糸の帽子を被っていたけれど、少し前に鳥塚さんもガンを経験したとかで、「まるでワイルドガンズだね」というジョークが飛び出し全員で笑った。この日の加瀬さんはとても気持ちが良さそうだった。湘南の海をバックにもう一度撮影させていただきたかったけれどその夢ももう叶わない。


 





2015年03月19日更新

 このところ訃報が相次いだwhat' newですが、私自身も最近自覚させられるのが体力の衰えです。ちょっとハードワークをしただけで腰痛から肩こりまで、以前はお風呂に入って一晩眠ればケロッとしていたもですが今ではなかなかそうはゆきません。頭だけかと思ったら全身の血の巡りも悪くなっているようです。でも、歳をとるって悪いことばかりではありません。一昨年から続けてきたバンド活動ですが、最近とあるアマチュア音楽コンテストでグランプリをいただきました。ほんと、人生悪いことばかりじゃないです。もともと音楽好きだった私がミュージシャンを目指さなかったのは、単に才能のなさを自覚していたからに他なりません。それゆえ写真の世界でやってゆこうと決心をしたわけですが、実は音楽カメラマンとして独立してからも汗だくになって歌うアーティストを目にする度に「映像も楽しいけれど、ステージ上のミュージシャンには敵わないよな」というのが常に心の中にはありました。

 そんな私のバンドが並みいる強敵を押さえてのグランプリ受賞です。二十数組の応募者の中から十二組が本選に出場し腕を競ったわけですが、コンサートが終了し審査結果の発表が進むにつれてのドキドキ感は、しばらく忘れていた入試発表のアノ感覚でした。僅かに期待していた特別賞と奨励賞で名前が呼ばれなかったのであきらめかけ、さらに優秀賞でも名前が出なかったことで帰ろうとしたら、なんと優秀賞はもう一組あるとのこと。「やった!まだ運が残ってた」と、いちるの望みをかけて発表を聞いていたら(神様が我々のために粋な演出を考えてくれたのだと思ってしまうところがおバカです)無惨にも別なバンド名が呼ばれてしまいました。「恥ずかしいカッコ悪る過ぎる」と、応募したこと自体を後悔し、小さくなって会場の外へ出ようとしたようとした瞬間、「グランプリは…○×!!」と我々のバンド名がコールされたというわけです。瞬間、思わずガッツポーズをしている自分がいました。メンバーと供にステージへあがり、審査員の先生方から賞状や賞金をもらったときの晴れがましい気分といったらなかったです。好きで一生懸命頑張っていればこんなこともあるのだなぁと、つくづく感じた出来事でした。




2014年11月10日更新

 またしても訃報です。ミコさんことカメラマンの御子柴滋さんが1030日にお亡くなりになりました。映像集団『SKY』の中心人物であり、ワガママな私をそこに迎え入れてくれた恩人です。酒と魚、ジャズと駄洒落、ミジンコをこよなく愛する人でしたが、ひとたびファインダーを覗くと寸部の無駄のない絵をつくる強烈なカメラマンでもありました。一般にはアングラ劇場時代の写真が有名ですが、70年代以降は商品撮影から単行本の表紙まで幅広く手掛けていたようです。80年代から90年代にかけてはメジャーアーティストのフィルム撮影やビデオ撮影にかかせない存在でしたが、50才を境にアルコールで体を壊してしまい、この数年間は入退院を繰り返し仕事のできない状態でした。自然と撮影仲間たちと会う機会も減ってゆくわけですが、傍からみれば辛いように思われるかもしれないこの状況も本人はいたって平気だったかもしれません。「来るもの拒まず、去る者追わず」という主義でしたし「ケ・セラ・セラ」が口癖の筋金入りの『自由人』だったのですから。「我しゃ知らんけんネ」とか「我しゃ人生舐めてるけんネ」という語録だってあります!?こうして文字で書くと、とんでもなくいい加減な人物に思われるかもしれませんね(笑)。でもそうではありません。でなければみんなからこれほど愛されるはずありませんもの。
 ご本人は名声とかにほとんど興味ない人で、ライバル関係でもあった故ヒロ伊藤氏や井出情児氏のように有名ではないかもしれません。でも私の周囲では「(三人の中で)最も才能があったのはミコさん!」との評価が多いように思います。通夜の晩はSKY』の同志だった古川誠、千葉真一両カメラマンと、昔ミコさんから貰ったコルトレーンのCDを聴きながら飲み明かしました。「好き勝手に生きて、晩年は良きパートナーにも恵まれ、最後まで幸せな男だったよね」とは、我々の共通した意見です。最後に以前ある音楽番組の収録時、女性歌手が古い友人だということは聞いていたのですが、スタジオの片隅で彼女が「ミコちゃん」と語りかけているシーンを目撃していまいました。 ミコちゃん…”そこだけ誰も入り込めないような温かな空気が流れていたわけです。元カノだったのかなぁ?その時のミコさんのはにかんだ表情が忘れられません。


 




2014年09月04日更新

久しぶりにトップの写真を変えてみました。デビュー間もない頃のBlancky Jet City真冬の九十九里で撮影した、彼らとの最初のフォトセッションからの一コマです。


×

 ヒロ伊藤氏のお別れ会。成長したひとり息子に会ってみたくて参加を決意。その息子G君は、まだ幼かった頃に亡くなった母親とヒロさんの良いところを受け継いで育ってくれたようだ。「あのイガグリ頭がもう大学院かぁ」。多くのゲストが笑顔で故人を忍んでいるというのに、ひとりだけ涙涙の一日だった。

 「コーセイ!そろそろ生まれそう、頼む!」夜中にヒロさんからの電話で起こされる。事務所に泊まり込んでいた僕は伊藤家に急行。夫婦を乗せて麻布の病院に向かったはいいけれど、「破水したかも」という利恵さんの声に焦ってしまったか、右折するところを左折しちゃったもんだから「バカーッ!」とヒロさんに笑われたんだっけ。まるで昨日の出来事のように思い出すあれから23年が経ったわけだ。

 この日展示されていた故人の愛器。このライカを持ったヒロさんはほんとうにカッコ良かったです。




×

  久しぶりのリンドバーグのライブ収録のため、どしゃ降りの中央道を走行する。大型台風に負けないためにセレクトした音楽はインダストリアル系のヘビーメタル。カメラマンとしてのデビューがメタルブームとシンクロしているため、ヘビメタは今でも大好きである。肝心のリンドバーグのほうは、ライブはもちろんPVの撮影もしたことがあるのだが、あまり印象に残っていない、ということはあの頃興味が持てなかったのだろう。で、この日の出来はどうだったかというと、渡瀬マキロックしてた。サイコー!!


×

  その昔TV東京でオンエアされていた、新星堂「エバーグリーンミュージック」で撮影したことのあるボリビアのバンド「ルス・デル・アンデ」。そのリーダーで、日本のフォルクローレ界の第一人者である木下樽惇(タカアツ)さんが、八ヶ岳のフォルクローレバンド「ピミエンタ」のライブのゲストとして来るというので観に行ってきた。いまでも彼の地のバンドを継続しているという話しを伺い、「ぜひまた日本ツアーを!」とリクエストする。
You Tubeにかっこいい映像があったので興味のある方はご覧ください。演奏も素晴らしいけれど、撮影も…いいよ!?

https://www.youtube.com/watch?v=FM4Yn3BbwnQ


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  十数年前から自宅のある八ヶ岳でアンティークショップをやっているのだが、この日、なんとリス(ニホンリス)が来店したのだ!!反射的にドアを閉めてしまい(笑)逃げ回るリスには悪いけれど1時間ほど遊ばせてもらった。こんな経験、都会じゃできないよね? 1ヶ月前には自宅に隣接する山小屋に色鮮やかなニホントカゲがやってきたし、3枚目の写真は、以前我が家の窓ガラスに激突して動けなくなったメジロの幼鳥です。田舎暮らし万歳ッ!ってところでしょうか。


          



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 ビデオカメラマンの先輩、古川誠氏より「遊びにおいで」とのうれしいお誘い。聞けば、引っ越し先の飛騨高山にある唯一の映画館「高山旭座」が八月いっぱいで閉館するのだけれど、ラストに上映するのがなんとこの欄で紹介したこともある板屋宏氏の映画初監督作品『もういちど』なのだという。もちろん撮影監督は古川さん。 
劇的なシーンばかりが強調される現代にあっては少々地味な内容の映画かもしれ
ませんが、モチーフが落語というのも素晴らしいし、監督本人が書いた心温まるシナリオもよかった。知らず知らずのうちに目頭が熱くなっているそんな映画でした。


http://moichido.jp/





2014年05月22日更新

お世話になったカメラマンの訃報が届きました。その方は鶴田勝洋さんといいます。
1980年前後、私が修行していた写真スタジオの一番の常連さんが鶴田さんでした。当時スタジオマンは陰ではツルさんと呼んでこの売れっ子カメラマンを慕っていましたが、まさか30年近い月日が過ぎた後で再会し、再びお世話になるとは思いもよりませんでした。 「吉田くん、青山スタジオにいたんだって?オレのこと覚えてないかなぁ、よく行ってたんだけどなぁ?」。 「あ〜ッ!!!もしかして鶴田さんですかッ!?」。当時あった口ひげがなかったので最初は分らなかったのですが、そこにいたのはまぎれもないあの優しい鶴田カメラマンでした。あの日の出会いが、現在私がブライダル写真も手掛けるようになったきっかけなのです。
ここ数年鶴田さんは肺気腫を患っていて、若い頃のイメージが強烈に残っている私などには痛々しいものがありました。晩年は酸素ボンベを最強レベルにしないと生活できない状態だったようですが、息子さんに話しを伺うと、医者が驚くほどの精神力で最後まで仕事をバリバリこなしていたようです。スーパーカーを乗り回し、美味しいものを食べて、お洒落で女性にもモテて、最後までかっこいいカメラマンを貫き通して逝ったように思います。ツルさん、またお会いしましょう。ありがとうございました!


もう一人、訃報です。名前はヒロ伊藤さんといってワンハンド・ヒロと呼ばれたロックカメラマンです。ロックミュージックの世界ではNo.1の井出情児さんと並び評されるカメラマンでした。私にとっては最も敬愛していた先輩であり、友人であり、師匠でもあり、ずっと兄貴のように慕っていた人物でした。それほどの付き合いをしていたのですが、訳あってこの20年あまり個人的な付き合いはまったくなくなっていました。
ライバルを失った情児さんは電話の向こうで泣いていましたが、私自身はヒロ伊藤が逝っちゃったなんて信じたくありません。いま言えるのは「勝手に死ぬんじゃねーッ
ヒロさんのバカヤロー!!」ってことだけです






2014年03月23日更新


記録的な大雪の雪かき作業で腰を痛めてしまい、元に戻るまで
1ヶ月を要しました。始めの10日間などは寝返りをうつたびに激痛が走って眠れず、歩く際は杖を使って一歩づつスローモーションといった具合で散々な目に合いました。みんなが苦労している時でも、心のどこかでこの大雪を楽しんでいたのですが罰が当たったんでしょうか!?








2014年01月01日更新

あけましておめでとうございます。

参加しているバンドのライブ活動が年末まであったため、例年とは違った年末年始を
迎えることになりました。大晦日のカウントダウンライブを撮影していた頃が懐かしくもありますが、自宅で美味しい酒を飲みながら紅白歌合戦を楽しむのもなかなか良いものです。きのう
大滝詠一さんの訃報に接し、今朝はCD『ロングバケーション』を久々に聴きました。あらためて大滝さんの才能の豊さに感じ入ったわけですが、30年も前のこの作品が日本のポップスアルバムのベスト3に入る名盤である、と私は信じて疑いません。あまり知られていませんが岩手出身というのが私の秘かな自慢でした。

さて、昨年の撮影で特に印象に残っているのが、写真では
じゅんじ&希花CD2人のイメージどおりの撮影ができたと喜んでいたら、決まったアルバムタイトルがThe Rambler」。タイトルと写真が合わなくなり結局ボツ。力が抜けました〜(笑)。ビデオのほうでは、5月に板屋組の面々と岩手で収録した臼澤みさきコンサート。そして9月に国立競技場で行われたのライブ撮影でしょうか。特に後者は、日本の音楽シーンを代表するグループなだけに、最高水準のステージとエンターテインメントを楽しみながら撮影することができました。この日会場には7万人もの観客がいたらしいのですが、それでもチケットの入手はとても難しいという話しをスタッフから聞きました。最もメンバーに近いポジションのカメラを担当させてもらった私は久々に気合いが入りながらも、たいへん充実した楽しい時を過ごさせていただきました。

プライベートでは、愛犬ノアの死と娘の結婚式がありました。新婚生活は沖縄でスター
トするのですが、僕が「カメラマンになろう」と決意したのは沖縄を旅していたときですし、親友
翁長裕氏も沖縄の人。最も仲良しだったハートビーツも沖縄のバンドです。なんだかご縁を感じずにはいられません。娘の結婚相手は佐賀出身の九州男児。実家は農家で6人兄弟の長男坊(!!)。しかしながら、本人、ご両親ともに良い方でほんとうに安心しています。こちらも良いご縁をいただきました。

クリスマスにやっと届いた「マイギター」のことは次回紹介させていただきます。
本年も
Kohsei on the Webよろしくお願い致します。





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