Noah」


2013324日の朝、我が家の家族の一員であるノアが亡くなった。

「貰い手がいなかったら明日にでも川に沈めるつもりだった」と平気で言う飼い主の言葉を聞いたとき、いまだにそんなことをする人がいるということが俄には信じられなかった。ノアは生まれてまだ数ヶ月のハスキー犬の雑種であった。家族と相談し無事に家まで連れ帰ったのはよいのだが、当時の私達家族は村営住宅住いの身で当然ペットを飼うことは禁止である。そんなわけで幼いノアには可哀想ではあったが、一緒にいたのは最初の時だけで間もなく2kmほど離れた現在の自宅が建つ場所で面倒をみなければいけなくなってしまう。

   



家族は毎日団地から通って食事を与え散歩も欠かさなかった。その後「Natural Box」というアンティークショップを近所にオープンしたのを機に今度はそちらに引っ越しすることになる。それからは店のマスコットとして大勢の客に可愛がられ、ようやく彼にとって落ち着ける場所ができたと喜んだのであるが、店の場所が夜間は真っ暗闇で人通りもない県道沿いだったので、時が経つにつれ「可哀想」という声が我々の耳に届くようになる。たまに店の前を車で通り過ぎる人々は暗闇の中にいるノアを見てそう感じたのかもしれない。しかし、家族は本当に彼の面倒をよくみていたと思う。


             


僕自身は、どちらかというと犬が苦手であったことにノアが来てから初めて気づくことになったのだが、彼をいい子だと認めているにもかかわらず、家内や娘がノアを抱きしめたり顔を舐められたりしても平気な姿を見ると信じられない気分になるのだった。僕は家族のようなスキンシップをとることは最後までできなかったのである。自分は動物を飼う資格なんかないのだろうなと何度思ったことだろう。ノアもそんなことは百も承知で、たまに頭を撫でたりすると「今日は一体どうしたの?」といった風なのだった。僕はきっと犬の人間に対する従順さがうっとうしかったんだと思う。


   



店をオープンして2年目の頃のエピソードをひとつ。店に空き巣が入りヴィンテージギターを盗まれたことがあった。窓を破って侵入し、最も高価な2本のギターだけを盗って玄関から立ち去ったという犯行だったのだが、このとき玄関の前に繋がれていたノアがどういう態度をとったかきっと喜んで尻尾を振っていたんだろうと思うのである。番犬にはまったく使えない気の優しい犬であった。犯人もきっとノアが人間好きな犬であることを知っていたに違いない。


                                     


昨年あたりから瞳の色が薄くなってきたり耳が遠くなってきたり「ずいぶん年をとったなぁ」という印象はあったものの、まだ食欲もあったし夕方になると散歩をねだったりしていたのでそれほど心配はしていなかったのだが…正月休暇で一年ぶりに帰省した娘が一週間後職場に戻って以降は急速に衰えが目立ちはじめ、亡くなる前日は食事もとらなくなっていた。そろそろお迎えが来るのだろうなと覚悟はしていた。

   


ノアが亡くなった日曜の朝、心配で早起きしリビングにゆくと息子がソファで寝ている。どうやら夜遅くまで彼のそばに付き添っていたらしい。すぐに様子を見に行くと小屋から這い出て土の上で息も絶え絶えの状態であった。体が冷えきっていたのですぐに毛布を掛けてやる。それからしばらく「ありがとう」と言いながらずっと鼻の上を撫でつづける。水を口に含ませてやりたくて掌にすくって口元に近づけたら思いきり親指を噛まれてしまうのだがそのまま噛ませておいた。なんとなくノアに許しを請いたい気分だった。もう意識は朦朧としている。「そろそろだよ」と家内を起こし一緒に見守ることにする。遠くから午前7時の時報が聞こえてきた頃、ノアは家内に頭を抱かれたまま静かに息を引き取った。
享年
15飼い主に最後の最後までなんにも迷惑をかけないで逝った立派な犬だった。

   

この家に来てノアは幸せだったんだろうか亡くなってからその事をよく考えた。彼が一番好きだったのは娘と家内だったのは間違いない。ノアが我が家にやってきた頃息子はまだチビだったので、彼の序列としては息子はというような意識だったかもしれない。いずれにしても娘が社会人になって自宅をはなれてからはその代わりに息子が一生懸命面倒を見ていたように思う。なので、一家の主に多少問題点はあったかもしれないが、概ね幸せな一生だったのではあるまいかそんなふうに納得しているのである。