『SSのお部屋』

Preludio

「よく頑張りましたね」

 焦点を定めることさえできないぼやけた風景の中、耳に届く声。
 それに混じって私の足元あたりから聴こえてくる、賑やかな二重唱。
 それは新しい命の証。

 頬を流れる水滴が増えていく。
 じっとりと汗ばんだ手のひらに伝わる暖かな感触を確かめるように、今残っている力の全てをそこへと込める。

「……よく頑張ったな、遙」
 優しい声に導かれるように視線を泳がせ、ぼやける視界の中に声の主を捉えようと首を動かす。やがてその姿がくっきりと浮かび上がる。

「……たか……ゆき……く……ん」
 いろいろなことを伝えたい意志に反抗するような、休息を求める自分の声帯と荒い呼吸がもどかしい。

 ねえ、たかゆきくん……
 わたし、なれたんだよね?

 お母さんに、なれたんだよね……

優しい時間に包まれながら…

Atto:1 今は、前を向いて歩いて行こう…

「あ、これはアレですな。キミ、産婦人科に連絡取ってくれ」
「えっ? あ、あの……」

 その日は朝からひどく気分が悪かった。正確には明け方というよりは夜中あたりからで、何か悪い夢を見た後のようにまだ暗い時間に目を覚ますと、おなかの下の方から押し上げるように悪寒が走り、弾かれるように駆け込んだ洗面所でひどい吐き気に見舞われたのだ。

「どうした、遙?」
 さすがにこんな時間にバタバタしてしまっただけに、孝之くんも起こしてしまった。
「う、うん……。どうしたんだろう、何だか気分が……」
 心配気に私を覗きこむ孝之くんの優しい顔に、その場は少しだけ気分も持ち直したものの結局、朝になっても吐き気が治まらなかった私。孝之くんが医者に診てもらおう、と言ってくれた。

「え? で、でもお仕事……」
「ああ、それなら心配はいらないよ。いろんな意味で頼りになるサブチーフがいてくれるからね」
 私の問いに答えながら慣れた調子で携帯を操作している。ほどなくして相手が出たようだ。
「……ああ、そうなんだ。だから病院に寄ってくからちょっと遅くなるって言っといてくれないかな? は? ミーティング? 何をこういうときに限って今さら……。大体、いつもなし崩し的に……って電話口で怒鳴るなよ。じゃあ、頼むな」
 孝之くんの口調から、いつも二言目にはその名前が出る大空寺さんという人が電話の相手なのだろう。

 連絡を終えた孝之くんに病院まで車で送ってもらう。行き先は「欅総合病院」。私たちの住む柊町には大きな総合系の病院がなく、隣町の橘町にある大学病院もいささか不便な立地。結果、消去法の形で欅町の総合病院に向かうことになった私だけど、やはり体が覚えているのだろうか、躊躇いとも抵抗ともとれるかすかな震えが、私を包んでいた。

「大丈夫だよ、遙。ちょっと診てもらうだけなんだから……」
 そんな空気を察したように言葉をかけてくれた孝之くん。運転席に視線を向けると、孝之くんも複雑そうな視線で前方を見据えていた。

 欅総合病院。
 そこはほんの数年前まで、私がいたところ。
 それに遡る3年間を「眠って過ごした」場所。
 交通事故の後遺症で、いつ目覚めるとも知れない眠りに落ちた場所。
 孝之くんを、平くんを、茜やお父さんお母さん、そして水月を悲しませ、絶望の底に突き落とし、人生そのものを狂わせた、場所。

 涙を流し続けた、時間。
 暗闇の底でもがいていた、時間。
 どんなことにでも縋り付きたかった、時間。

 私はそんな「辛い時間」のほとんどを眠って過ごした。
 だから、その多くを知らないまま、今に至っている。
 様々なことを変えてしまった3年間。
 抜け落ちてしまっている時間のことを、孝之くんも、水月も、平くんも、茜でさえも多くを語ってはくれていない。それは多分、今はまだやめておこう、いずれ話せる日が来ると思うから……ということなのだろう。

『そうやって、いつか笑える日がくるから……』
これは退院の日、主治医の香月先生からもらった言葉。
『……いつか、みんなで笑える日がくるよ』
 これは退院の日、私たちの「輪」から水月だけが離れていったとき、いつか再会できる日を信じて私が口にした言葉。
 やがて水月が帰ってきて、私たちはまた4人に戻ってかつてのあの日々と同じように「笑って」過ごしてはいるけれど、それはそんな過去を完全に清算した上で「そんな頃もあったよね」と、思い出話として「笑って」いるわけではない。

 今私は孝之くんと結婚し、水月は平くんと結婚前提の付き合いをしている。
 お互いにその先に待つ「幸せ」を手繰り寄せようと、今という時間を前へと進んでいる。

 そう、今は前へと進む時。
 まだ、立ち止まって振り返る時ではないのだから……
 そんなもの想いに耽っているうちに、車が病院に到着した。

「ゴメンな、さすがに診察終わるまで引っ張れないから、仕事行くよ。大丈夫だと思うけど一応、お母さんにも連絡しておくから、何かあったら些細なことでも連絡するんだぞ」
 正面玄関の車寄せに停めてもらい、車を降りる。
 まだわずかに体に震えが残ってる。表情からも不安が取れていなかったのだろう、孝之くんも心配そうに運転席から私を見上げている。私も本心は一緒に行ってもらいたかった。
「う、うん。ありがとう孝之くん。それじゃお仕事、頑張ってね」

 不安には違いないけれど、孝之くんにあまり心配かけられないし、これは私の悪癖だけど、孝之くんがそばにいることで無意識のうちに依存し、必要以上に深刻に考えてしまう。そんな心境に陥りたくなかったのだ。
 それに、そのときの私には「もしかしたら」という意識もあったのだ。だけど孝之くんがそばにいる、私の不安に優しい言葉をかけてくれる、そんな状況に甘えてしまっていたのも本当。だから孝之くんの「仕事これ以上、抜けられないから」との言葉に、ある意味ありがたさも感じていた。

 まずは受付、そしてとりあえず外傷ではないので内科の診察室へと向かった私。そしてそこで「産婦人科に行って下さい」と言われた私は、先ほどの「もしかしたら」を確信に変えられたのだ。

 そして帰宅。
 朝の早いうちからバタバタしたこともあって滞っていた家事。白陵大学の短期課程を卒業後、孝之くんと結婚していわゆる「主婦一年生」となったばかりの私だから、一通り終えた頃には外はすっかり濃紺色の帳が降りてきていた。夜の7時。確率的にはかなり低いけれど、残業がなければもうしばらくで孝之くんが帰ってくる時間。いつものように夕食の支度に入ることにする。

*          *          *

「そっか、3ヶ月になるんだ」
 予想に反して定時帰宅してきた孝之くん。珍しく定時に帰れたよと言っていたけど、本当のところは無理を言って定時上がりにしてもらったのだろう。

「うん、内科のお医者さんも産婦人科に連絡してくれた後『つわりかもしれないってことに気付かなかった?』って看護師さんと一緒に笑ってて……」
 専門じゃない私だって気付いたのに……、と苦笑いしていた内科の先生の顔が浮かんだ。

「いや、俺もさ。あの後お母さんに連絡したんだけど、吐き気を催しているんだって言ったら『それってつわりなんじゃないの?』って逆に言われちゃってさ……。まったく冷静に考えれば分かりそうなものなのに、こういうときってなかなかそうもいかないよな」
 大空寺あゆさんにも皮肉混じりで相当言われてしまったそうで、頭を掻きながら話している。

「ゴメンね、心配かけちゃって。お仕事も遅刻させちゃったし……。それに、ね。私、ホントは『もしかしたら』って思ってもいたの。その、生理も遅れてたし……」
 何を言ってるんだろう、私。知らず知らずに言わなくてもいいコトまで口にしてしまうのは私の悪いクセの一つ。水月にもよく引っ掛けられる形で利用されちゃったりもしてる。

「い……いや、それ以上は言わなくていいよ。それにしても……あ、何て言えばいいのかな?」
 視線をあちこちに泳がせながら、しどろもどろの口調になっている孝之くん。何が言いたいのかは大体分かっていたし、こういうことは男の人からは言い出しにくいってことも分かっていた。私も余計なことを言ってしまい、孝之くんちょっと困らせてしまっていたから、一呼吸置いてから、こう口にした。

「ねえ、……お母さんになるんだよね、私」
 その一言に反応するように、微妙にきまずそうだった空気が優しい眼差しと声を伴わないうなづきが形作るそれに変わっていき、柔らかく私を包みこんでくれた。
 無意識におなかに伸びる手。隣に座った孝之くんの手がその動きを追いかけるようにそっと、重なり合う。

 ここに私たちの幸せの一つの証が、カタチとして宿っている。
 孝之くんと見つめ合う。
 自然にまぶたが下がり、ほどなくして唇に優しい感触。
 重なり合った手が互いを求めるように静かに、絡み合っていく……

 私たちの幸せの、ハッキリとした形。
 いろいろなことがあったけれど、そんな私たちが前へと進んでいることの、一つの証。
 そんな「形」を確かめながら二人で、そして支えてくれるみんなと一緒に、私は「今」を歩いている。

 だから今はまだ、過去を振り返る時ではない。
 ゆっくりと、でもしっかりと前を向いて、歩いて行こう………


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Atto:2 笑って話せる日を夢見て…

「ほおー、そっかそっか、まずはおめでとうと言わせてもらうよ、遙さん。……そっか、孝之もちゃんとやることやって……って、いでででっ!」
 にやけ顔からしかめ面へ、まるで猫の目みたいに表情を変えつつ呻き声を上げる平くん。見ると水月がいたずらっぽさを浮かべた視線で睨みながら思い切り、平くんの背中をつねっていた。それにしても「やること」って……。私と孝之くん、同調するように向き合った顔が、それぞれ赤面と苦笑とに彩られた。

 色々と整理したいことがあるから、と私の退院の日を境に一人になることを選んだ水月。そんな水月が私たちのところに戻ってきてから、早いものでもう一年が過ぎようとしている。
 再び一緒の時間を過ごせるようになった私たち。水月が戻ってこられた大きな理由に平くんの存在があったらしくて、今二人は結婚前提のお付き合いをしている。

「自業自得だ、慎二。全く、相変わらずデリカシーってもんが欠けてるなお前ってさ」
「お前に言われたかないぞ、孝之。大体だな……」
「はいはい、そこまでそこまで。まったく二人揃ってホントにデリカシーないんだからぁ。成長って言葉とこれほど無縁な連中も他にいないよ、ねーっ、はっるか?」
「え、え、え? きゅ、急に振らないでよお、みつき」

 いつもの風景、いつもの日常。
 場を仕切るような軽口混じりの口調の平くん。
 すかさず突っ込みを入れるも、いつの間にか互いに墓穴を掘っている孝之くん。
 一歩遅れて鋭い一言を浴びせ、さりげなくそれを振っておいて、あたふたしてる私をちょっぴり意地悪に楽しげに見ているのは、水月。
 初めて会った時。そう、水月の紹介でずっと想っていた孝之くんと、その友人の平くんと知り合えたときから「変わらない」構図。

 変わらない。
 でもそれは「今」を見ている限りの印象でしかない。
 私は私を外した3人が過ごしてきた時間に、3年分足りない。
 私が交通事故の後遺症で眠り続けた3年間。
 平くんが、水月が、孝之くんが。
 一番辛かった、苦しかった時間を「知らないまま」の私。
 孝之くんと結婚し、そしてお母さんになろうとしている私。

「それにしても遙もお母さんか、もうそんなになるんだね。遙と孝之が結婚してからさ。……ふふっ、私ね、今でもちゃんと持ってるよ? あ、れ」
 そう言いつつ、空中で何かを捕まえるような仕草をする水月。すぐに分かった。

 私と孝之くんの結婚式の日。
 やっぱりいろいろなことがあったからなのか姿を見せなかった、水月。平くんもそうだった。大好きな人と一緒になれる嬉しさの中に、一番祝福を受けたい人の姿を見られないことへの寂しさも滲ませつつ、最後の教会からのプロムナード。そんな私の想いのたけを込めて空に投げたブーケを、人の波の中から飛び出して掴んだのは、水月だった。

「え? みつき、あのブーケまだ持ってたんだ。あれって生花で作ってあるのに、よく保ってるね」
 訊けば、しおれないようにずっと活けてあるとか。

「うん、だって……さ。遙の幸せは私たちの幸せでもあるんだし、ね。……そだね、もう話してもいい頃合いかもね」
 水月の顔に凛とした優しさが漂い、軽く泳がせた視線が平くんを、そして孝之くんを静かに捉える。
 ……無言の頷き。それは同意の証。本当に自然に、予感なんてなかったのに、まるで始めから約束されていたかのように、それぞれの口から、記憶から、紡ぎだされていく言葉。
 私の抜け落ちていた、欠けていた時間の断片が、パズルのピースを埋めるように一つ、そしてまた一つ……

 事故の後遺症で眠り続ける私の姿に絶望の底へと沈んだ、孝之くん。
 そんな孝之くんを私の代わりにと支える決意をした、水月。
 傷つき涙を流し続ける二人をこれ以上見ていたくないからと拒絶した、お父さん。
 事情を知らされなかったことで、あえて私から離れていった孝之くんを、それを支えた水月までを恨み憎むようになってしまった、茜。
 時が流れ、やっと落ち着きを取り戻したであろうみんなを、再び「あの時間」に引き戻した、私の目覚め。
 支えて続けてくれた水月と、事情を知らないままの私との間で悩み苦しんだ、孝之くん。
 そして………

「……私ね、うーん、怒らないで聞いてね、遙。私ね、本気で孝之のこと想ってたんだ。って言うか、そうなって行ったんだよね。……あ、遙には言ったことあったよね? ほら、退院の日に……さ」
 いつもは軽口や冗談が多い水月だけど、こういう時は真剣で正直。
 自分にウソは吐けないよね、と水月はため息混じりの微笑を浮かべる。

 自分自身の気持ちの整理をしたいからと、一人になることを選んだ、水月。
 その理由の一つに私の存在があると分かっていたから、そんな水月に対して私は負い目を感じていた。
 退院後、3年前のあの日と同じように二人の時間を送っていた私たち。だけど、そんな負い目が足枷となって、私たちはもう一歩を踏み出せずにいた。

 ………私たちだけが「しあわせ」になっていいの?………

 そんな風に逡巡していた私たちの背中を押してくれたのが、平くんだった。
 私たちが迷っているのと同じように、水月も迷い悩んでいる。それはどちらかが「答え」を出すまで終わることはない、と。

「まあでも、あれはわれながら劇的な演出だったと思うよな。あのときの孝之の顔ったらなかったぜ」
「……演出、ねえ。よく言うよ。大体、式に参列しないで最後のプロムナードの場面であんな風に登場するなんて、反則もいいトコだぞ? 全く、最後の最後で遙を泣かせやがって……」
「あはは、そうそう。遙、思いっきり泣いてたもんね〜。しかも孝之じゃなくて私に抱き付いてきたしね〜」
「も、もお……。みつきのいじわる〜」

 孝之くんの、水月の、平くんの言葉が一つ一つ、私の記憶の大地に新たな芽を吹かせ、葉を広げ花を咲かせる。今日のそれがもちろん全てではないけれど、実際に体験した者と聞かされた者とではその重みも明らかに違うけれど、それでも………

「さあて、今度は私たちの番かな。ね、慎二?」
「うん? 何の番だ? ……っていででで、冗談だって」

 私たちの番。
 そっか、いよいよ水月も……なんだね。
 私たちの結婚式に飛び入りで参加してくれたときに見せてくれた、二人の約束の証。
 その約束が「永遠の誓い」に変わる日。

「なあ、まだその時じゃないとは思うけど、あの言葉。ほら、香月先生が言ってたあれ、そうなる日も近いかも……な」
「なになに? 香月先生の言葉って」
 興味津々と額を寄せてくる水月。
「え? みつき、まだ聞いてなかったんだ、あのこと……」
 意外そうにしている私を、孝之くんの視線が優しく捉えた。あ、そっか。これも……なんだね? 孝之くん。

「人生って面白いよねって、そうやっていつか笑える日が来るから頑張れ。だったかな?」
 孝之くんがふっと遠くを見るような視線で、一字一句を慈しむようにつぶやいた。
「ああ。それと、あれだな。時間はときに残酷だけど、他の何よりも優しいものだって……。やっと水月にも言ってくれたな、孝之」
 続いて口にしたのは、平くん。
「ああ、そうだな……」
 あの日、水月が離れて行った日、悲しみに沈んでいた私たちを励ますように贈ってくれた、大切な言葉。
 それを胸に刻み込んで、私たちは歩いてきた。
 そして今、みんなが共有する言葉になった。

「……全部を想い出に変えて、笑える日……か。……いい言葉だね」
「うん………」
 それ以上の言葉は出てこなかった。ううん、必要なかった。

 すべてを「想い出」に変えて笑うことができる日。
 孝之くんが言うように、今がその時とはまだ思わない。なぜなら、それは一度「歩み」を止めること、立ち止まって振り返る時でもあるのだから。
 でも、いつかきっと……

 そんな日を、夢見ながら……
 見るだけの夢にはしないと、心に誓いながら……
 私は、私たちは、歩き続ける………


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Atto:3 お母さんになってゆく、私

 彼方(かなた)と、悠(ゆう)。
 それが私と孝之くんが授かった、新しい命の名前。
 今、私は「お母さん」となり、孝之くんは「お父さん」に。そして彼方と悠を加えて、私たちは「家族」になった。

 名前を考えてくれない? と私が切り出したのは妊娠6ヶ月くらい。ようやくつわりも治まりだし、そろそろ胎動が始まりますよ? とお医者さんから言われていた頃のことだった。

*          *          *

「うん、どちらも遙にちなんでるんだけどな。まあ、俺の孝之ってのが付けてくれた親父やおふくろには悪いけど、こう……何だ、まあ平凡ってヤツかな? だからなかなか思いつかなくって……な」

「わっ……。今、いまね。ぴく……って」
「動いたの?」
「うん……。ねえ、ちょっと触ってみる?」
「え?」
 ゆったりとしたマタニティドレスの裾を軽くつまみ、もう片方の手で躊躇いがちになっている孝之くんの手をおなかまで導く。ちょっとひんやり、でも暖かくて優しい感触。
「……あったかいな、遙のおなか。それにしても、思ったほど大きくないんだな」
「うん、お医者さんも言ってたけどね、大体、7〜8ヶ月あたりから急に大きくなって行くんだって」
「へえ、そうなんだ」
 私のおなかの上で孝之くんの手が動く。ちょっとくすぐったい、だけどそれは新しい命のカタチを確かめようとする優しさに満ちていた。

「あ、それで名前のことだけどさ、遙かなるという言葉から連想して、男の子だったら『彼方(かなた)』、女の子だったら『悠(ゆう)』ってのを考えてみたんだよ。……ど、どうかな?」
 マタニティドレスの裾の下から手を入れているのが気恥ずかしくなったからなのか、手を引っ込めながら先ほどの名前の話題に戻す孝之くん。……そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。

「彼方と、悠……」
 男の子だったら遙かな彼方を目指して歩んで行く、そんな力強さを願って。女の子だったら悠久の世界でいつまでも優しい心を持って欲しい、だから「ゆう」には優しいという意味も込めてあるんだ。孝之くんはちょっと照れながら、そう考えてくれた名前の意味を話してくれた。

*          *          *

「いや、それにしても結果論だけど、俺としてはどっちもいい名前だって思ってたからさ、考えがムダにならなくって良かったよ」

 男の子と女の子の双子。
 双子自体もだけど、性別が異なってというのはさらに珍しいものらしい。
 男の子と女の子、どちらでもいいように二人分の名前を考えてくれた、孝之くん。
 私の傍らにちょこんと置かれたベビーベッドで、真っ白い産着に包まれて眠る新しい二つの命と交互に見つめながら、ちょっぴり照れ気味に話す。

「それより、具合はどうだい? 俺は夢中だったからよく分からないんだけど、後から聞いたら相当な難産だって言ってたからな」
 いきなりの双子で大変だったでしょう? とはお母さんの言葉。一人と二人ではそんなに違うのかな? なんて産後はそんな風にも思ったけれど、孝之くんと一緒に出産に付き添ってくれたお母さんによると、自分が恥ずかしくなるくらい悲鳴を上げていたとか……イヤだな、もう。
 ただ、相当ではないにしても難産だったのは確からしく(初産時は大抵そうなるものだそうだ)、若干出血も多かったそうなので、しばらくは安静が必要になってしまい、赤ちゃんをこの手に抱けたのも産後1週間も経ってから。家族以外の面会が許されたのも半月ほど経ってからだった。

「ありがとう、もう大分いいみたいだから」
 まだ流動食を口にするくらいしかできず、移動も車椅子の私だけれど、それが大事を取ってと感じるようになっているのは、それだけ体調が戻ってきているということなのだろう。

「そっか、良かった。そうそう、先生が許可してくれたからな、今日はお客さん連れてきたぞ」
「お客さん? ……え? みつき?」
 孝之くんの背後から水月がぴょこっと顔を出した。

「やっほ、遙。どう具合は? やっと家族以外の面会許可降りたから、来ちゃったよ」
 言いながら手にしていた、フルーツの盛られたカゴをベッド脇のテーブルに置く。
「わあ、お見舞いまで……。ありがとう、みつき」
「いいのいいの、お礼なんて。それにしても元気そうで安心したよ。何か相当な難産だったって聞いてたからね。もうさ、孝之に聞いても要領得ないもんだから余計心配になってさぁ〜」
 水月の軽い流し目に、孝之くんが面目なさそうに頭を掻いていた。

「いやすまない、実を言うと俺もよくは覚えてないんだよな。一緒に付き添ってくれたお母さんの話だと相当だったみたいでさ。余りの大騒ぎに『遙、もう、ちょっとはガマンしなさい』って言っちゃったって笑ってたよ」

 思わず赤面。分娩中にお母さん、そんなこと言ってたんだ。
「も、もお……男の人には分かんないだよお。……ものすごく痛かったんだからぁ」
 産みの苦しみとはよく言ったもの。ちょっと思い出すだけで、あのおなかが破れそうな痛みが甦ってきて、手のひらに汗が滲み出てくる。
 でも、そんな苦しみを乗り越えたから今、私は「お母さん」になれた。
 苦しみを一緒に乗り越えてくれた人と共に「家族」になれたのだ。

 お母さんになっていく、私。
 お父さんになっていく、孝之くん。
 お母さんとお父さん。
 呼びかける側から、呼ばれる側になった私たち。

 新しい「時間」が刻まれ、そして積み重なって行く……


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Atto Fine 優しさに包まれて…

 時の流れるのは早いもの。
 私も今や「お母さん3年生」。

 今日、孝之くんあての郵便で白陵柊学園の同窓会のお知らせが届いた。
「へぇ〜、同窓会のお誘いなんだ。室田君って、確か生徒会長もしてたよね?」

「ああ、あの頃から仕切るのが好きなヤツだったし、頭の回転も良かったけど、今や次期町長候補の市会議員なんだもんな。まあそれは置いておくとしてさ、どうだ、遙もいっしょに来ないか?」
「え……、でもC組の同窓会でしょ? 私、B組だったけどいいのかな?」
「ああ、ハガキにも書いてあるよ。別にC組でなくても参加は歓迎しますってな。まあ十年も経ってるし、いろんな意味で集まりが良くないかもって思ってるんだろうな、こういった辺り本当に気が利くというか、さすがは会長ってトコだよな。でもさ、これ見てみろよ」
 半分呆れたような表情をしながら、私に案内状を差し出す。それを見て私も口をあんぐりさせてしまった。
「開催予定日は……。え? なぁに、これ。来年の話じゃないの」
「まああれだな、かなり余裕持って知らせたんだから、なるべく来いよってことなんだろうけどさ。こんなに早く知らされても忘れちまうって」
「あはは……、室田クンらしいね。でも多分、近くなるともう一度連絡してくるんじゃないかな?」
「なるほど、それは有り得るかもな」

「同窓会か……。みんなどうしてるのかな?」
 あのころのクラスメイトたちの顔を思い浮かべる。
 私にとっての高校3年生は半年しかなかったけれど、それでもかけがえのない思い出。

「そういや、水月や慎二と会うのもわりと久しぶりだよな」
「そうだね、みつきとはメールでは連絡取り合ってるけど、ひょっとして結婚式以来かな?」
 水月と平くんが結婚したのは1年ほど前だから、その時以来ということになる。もっとも私がそうだったように、孝之くんも平くんとはメールなどで連絡を取り合っているそうだ。

「うわーんっ!」
 しばし思い出に耽っていた私を現実に引き戻す泣き声。
「あーっ、彼方ったらぁ〜」

 悠に絡んでいる彼方を抱き上げ、小脇に抱えるようにしてからズボンとパンツを一緒にめくってお尻を出す。今度は彼方が泣き声を上げる番になった。もちろん本当に叩いたりはしない。服を直しながら涙をいっぱいにためた彼方の目を、同じ高さからじっと見つめ続ける。

「相変わらず甘いなあ、遙は。男の子なんだからちょっとはビチってやってもいいんだぞ?」
「まだ2歳よ? でもいいの、これが私のやり方なんだから」
 抱っこしながらハンカチで涙を拭いてやっていると、指をくわえながら私を見つめる目が二つ。孝之くんの手を借りつつもう片方の手で悠を抱きかかえる。じきに3歳の誕生日を迎える子どもが二人、もともと力のさほどない私にはけっこうな重さだけど、でもその重さは「命の重み」。

「あ、おなか減ってるのかな? ね、ねえちょっと手伝って」
「え? どうしたんだい?」
「だって二人抱いてるんだもん。だから、その……もお、服の前外してってば」
 自分で言ってて恥ずかしくなってくる。
「いいっ?! そ、それってそのアレ、む……胸出せってことか?」
 もうじき3歳なんだから、いい加減に母乳卒業させたらどうなんだ? との文句も一緒に聴こえてくる。確かに今2歳半なのだから、もうそろそろ卒業させてもいいとは思っているけど、とりあえずそれは置いておく。
「し、仕方ないじゃない、いいでしょ? 今さら。もういっぱい見て……ってもう、いいから早く!」
 また余計なコトを言ってしまった。

「こ……これでいいかい?」
 彼方と悠を抱いた腕を少しだけ広げ、ブラウスのボタンとブラジャーのフロントホックを外してもらう。あらわになった乳房に、待ち構えていたように飛びつく二つの小さな体。その姿に先ほどまでの騒ぎと気恥ずかしさが一気に後退し、心地よい痛みを伴う力強い吸付きに確かな「命」を感じた。
 私たちの「幸せ」の証。

「同窓会。彼方と悠も連れて行こうな、遙」
 ほどなくして夢の世界へと旅立った二人を見つめ、服を直してもらいながら、孝之くんの言葉を聞く。
「……うん」
 答えはその一言で、十分だった。

*          *          *

 いろいろなことが、あった。
 苦しいことも……
 悲しいことも……

 でも、今の私には確かな「しあわせ」がある。
 愛する人が隣にいて、
 それを祝福してくれる人もいて、
 そして……
 私の腕に抱かれて眠る小さな命。
 私の、私たちの、しあわせのカタチ。

 かつて私だけを取り残して残酷に流れて行った、時間。

 でも今、私はそんな「時間」に包まれている。
 幸せという名の時間に……

 暖かく……
 そして、優しく……


〜Fin〜

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≪あとがき≫

 いやはや、ミートパイ記念日に公開予定と豪語しておきながら、2ヶ月遅れとゆーヘタレぶりです(苦笑)。その分落ち着いて書けたというフシもなくはないですけどね。
 比較的バランス良くまとまったこともあるので多分、加筆や修正はないかと思いますけど、こればっかりはねぇ〜
 ところで遙と孝之が生まれてくる子の名前を考える場面、けっこうピンときた方も多いかと思います。「CLANNAD」の誕生編で渚と朋也が名前を考えたりする場面。バックに流れる「白詰草」の雰囲気と相まってCLANNADの中でも好きな場面の一つなので、本歌取りというわけでもないですがそのまま遙と孝之に置き換えてみました。やはりもとのシナリオがいい分、雰囲気出てくれましたね。

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