「SSのお部屋」 

Preludio

「うん? そんなものまで持っていくのか? 茜」

 引越しというほど大がかりではないけれど、それなりの荷物。そこに『もう使わなくなったもの』まで詰めようとした私に掛けられた、お父さんの声。

「そうよ? またいつでも取りにくればいいんだから、それは置いておきなさい」
 いつでも。
 お母さんのその言葉に、心が軽くなる想いがした。

「……それにしても寂しくなるな。まあ、女の子ばかり作ったんだから仕方ないんだが……。もう一人作るか?」
「もう、あなたっ!」

 思わず苦笑するしかなかったけれど、半ば本気とも取れるその冗談の裏に、まだ行って欲しくない、叶うならずっと……との思いが滲んでいるのを、私は感じ取ってしまった。

「お父さん、お母さん……」
「こらこら、今からそんなんでどうするんだ? それに、いつだって帰ってきていいんだぞ? もちろん、彼を連れてな」
「……うん」

 明日、私はこの家を後にする。
 そして、新しい暮らしを始める。
 でも、それでも、ここは私の家なんだ。私の家でいいんだ。
 だから『今は使わない想い出』は置いていこう。
 この、いつでも帰れる私の家に……。

想い出宝石箱

Atto:1 家

 風格と格調を感じさせる木目に彩られた、樫の木製の重厚な扉を開き表に出る。
 太陽の光を浴びて清冽な輝きを放つ植木と芝生を横目にしつつ飛び石を渡り、門をくぐる。
 一度振り返り、門の脇に視線を送る。
 表札があった。
『涼宮』の大きな文字とその下に並んだ名前。
 ……宗一郎。
 ……薫。
 ……遙。
 そして、……茜。
 この表札では、今でも『涼宮家』は4人家族。
 でも、私の3つ年上の遙姉さんは3年前に結婚。
 そして、私も………

 けれど、『社会的』にはそうであっても、私たちはこの表札の通り『家族』であり続けている。……あり続けていたい、いつまでも……ずっと。

 道路に通じる階段を降り、外へ出る。
 もう一度、振り返った。
 ちょっとした買い物に出るだけなのに、どうしてだろう。
 心の中を感傷の微風が凪いでいた。
 ……家を出ることに変わりはないから、なのかな?

 数日後、私はこの住み馴れた家を後にする。
 もちろん家出などではなく、結婚を前提とした同棲のためだ。同棲と言うと何やら後ろめたい雰囲気があるけれど、他に表現しようもないのだから仕方がない。相手の家に引越した数ヵ月後には結婚式が控えているわけだし、今月中には入籍手続きも済ませるのだから、ホント、他にいい言い方があれば教えて欲しいものだ。

 駅前の商店街で買い物を済ませ帰宅すると、ちょうどお父さんが電話の最中だった。
『うん、悪いね。じゃあ、頼むよ。……くんも一緒に? そりゃ助かるよ、人手は多いに越したことないしね。後な、うん……。え? まあ、そこまで……。いや、遙がそう言ってくれるならお願いするよ、私から直接よりもその方が……。おっと、タイミングが。いやいや、茜が睨んでるものだから……。じゃあ切るよ? うん、よろしく』
 相手が切るより早いかの勢いで受話器を置き、私を横目で流しつつわざとらしく咳払い。 何していたか完全にバレているのをどちらも分かっていた。

「姉さんね。全くもう、そんなに大げさにしなくてもいいのに……。忙しい人だから手伝いにこられないのは確かだけど、引越しって言ったってそんなに何から何まで持ってくわけじゃないんだから。……おまけに何も先輩まで呼ぶコトないのに……」
 最後の一言は聞こえないように小声で言ったつもりだった。

「ん? 何だ、遙や水月さんには見せられないようなものまで持ってくつもりだったのか?」
「あらあら、ひょっとして乙女の秘密でも? 何だかんだ言ってもちゃんと女の子してたのね」
「あ、あのね……」
 それ以上は不毛な会話になりそうだし、あんまりボロも出したくないのでそれ以上は絡まないことにしたけど、そんな軽口のやりとりが寂しさの裏返しなのだと、私には感じられた。……そして恐らくは正解なのだろう。

 お父さんとお母さん、そして遙姉さんとの4人家族だった私。姉さんは3年前に結婚し、今は二児の母親だ。割りと近所なのもあってしょっちゅうとまでは言えないまでも、ちょくちょく遊びに来ている。育児、料理、家事全般の大先輩でもあるお母さんから、いろいろ教わっているみたいだ。
 とは言え、4人家族が3人になったのは確かなこと。そこに私の結婚なのだから嬉しい反面、寂しさも当然あるだろう。以前にも増して私に『茜はまだなのかしら?』などと質問をかけてくることが多くなったのも、できるなら私には行って欲しくないと言った心情の裏返しなのだろう。
 今回の引越しだってそうだ。有名な名古屋の嫁入りじゃあるまいし、もともとそんなに相手方の家に物を持っていくつもりはない。それなのに手伝いの名目で姉さんを、そしてその姉さんに口を利いてもらって水月先輩まで呼ぶあたり(もちろん互いの旦那様もくっついてくるだろう)、人数が多いことで寂しさを紛らわせてくれるから、という思いからなのだろう。

「さてと、じゃあちょっと部屋、片付けてくるよ」
 折り畳まれたダンボール箱とガムテープを手にリビングを出る。

「あ、私も手伝おうかしら?」
「いいよ、そんなに大変なことでもないんだし、一人でできるよ」
「そうかしら? 茜のことだから、何から何まで持って行きたくなってたりするんじゃないの?」
 結構、図星だったりする。

「置いておけるものは置いておきなさい。またいつだって取りにこられるんだから」
「お父さん……」
 いつでも……。
 そうだ、ここにはいつでも帰ってこられるんだ。

「……うん。じゃあお母さん、……お願い」

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Atto:2 大切なものだから…

 全国高等学校総合体育大会女子競泳部門、金メダル。
 全国競泳実業団選手権大会、優勝盾。
 それから………

 棚の上、部屋の壁掛け、そこここに飾ってある私の『勲章』。
 小さい頃から体を動かすのが好きで、特にカナヅチだった姉さんの正反対を行くように、水泳が大好きだった私。その姉さんの高校時代の親友の水月先輩、――もう結婚しているからあまりそんな風に馴れ馴れしい呼び方はどうかな?と思いつつも、本人もそう呼んで欲しいと言ってくれているから、言葉に甘えてそうさせてもらっている。その水月先輩の影響で単なる水泳から競泳の世界に飛び込んだ私。

 いろいろなコトがあったけれど、それでもずっと打ち込んできた水泳。
 それを割りと一般的な理由かもしれないけれど、結婚を期に私は水泳をやめた。

「あら、それも持っていくの?」
「うん、その方があの人も喜んでくれるしね」
「そう? でも一つくらいは置いてって欲しいかしら。親馬鹿みたいで恥ずかしいけど、私や宗一郎さんにとっても誇らしいことだから……」
 荷物整理の手伝いをしてもらっているお母さんが、ちょっと物欲しそうな表情で私の手元を見つめていた。
「うーん……。じゃあ、これ置いていくよ。飾ってくれたら嬉しいな」
 少し考えてから、私は手にしていたいくつかの『勲章』の中から一つを選び出した。
「え? でも、それは……。いいの? 一番、大事なものじゃない」

 2008北京五輪競泳女子400m自由形、銅メダル。
 ニュースでも新聞でも大きく採り上げられた、日本競泳女子快挙の証。

「うん、だけど一番大事なものだから置いていきたいの。だって、そうした方が……ね」
「……いつでも見に来なさいね、もちろん彼を連れてよ?」
 さすがはお母さん、私の意図をすぐに汲み取ってくれる。

 大切なものだから、ホントは手元に置きたいものだから。
 あえて私はそれを置いていく。
 そう、ここをいつでも帰ってこられる場所にするために……。

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Atto:3 制服

「うわっ、やっぱめちゃキツいな。タイもほとんど首輪みたいだしってもともとそういうもんか、でもこの分だと……あはは、やっぱりね」
 手伝いをしてくれていたお母さんが用事で場を外すと、ついつい横道に入り込んでしまう私。

 黄色を基調にした上着とミントグリーンのリボンタイ。それにオレンジのプリーツスカート。中学校の制服だった。辺りに誰もいないのを確認してから静かに部屋のドアを閉め、想い出に浸りつつ『着替え』を始める。……傍から見ればほとんどコスプレなんだけど。
 それにしても十年一昔と良く言うけれど、やはり時間の経過というのはすごいもの。ブラウスはなんとか着れたけど、上着はボタンとホールが綱引き状態で悲鳴をあげている。もっともブラウスも一番上のボタンが留められないから、開襟シャツみたいになっているのだけれど。そして上着でそんな調子なのだから予想はしてたけれど、スカートのホックが留まらなかったのはさすがにショックだった。

「うえー、そんなに太ったのかなぁ。水泳やめてからそんなに時間経ってないはずなのに……。あちゃー、パンツも丸見えだ」
 姿見に映るあられもない姿にため息を吐きつつ、これ以上無理をして破いたりしては悲しいので、この辺りで悪ふざけはやめることにした。……他に体操服(もちろん下はブルマだ)とかスクール水着とかもあったけどね。
 中学校の制服といえば、小学校6年生のときのこんな想い出がある。

『ヤダッ! お姉ちゃんのがいい!』
『茜。そりゃ、お下がりでいいってのはお父さんたちも内心嬉しいけどな。でもな、やっぱり……』
 私と遙姉さんとの年齢差は三つ。だから私が中学に入るのは姉さんが卒業、つまりは高校生になるわけだから、中学の制服はもう要らなくなる。もっとも幼稚園の制服や小学校のランドセルまで大事にしまっている姉さんだから、いくら私がダダをこねたところで手放すことはないだろうと今からすればそう思う。私もどうしてあの時、姉さんの着ていた制服を欲しがったのか、正直今でも分からないままでいる。
 もっとも結局、希望が叶わなかった私が、丸一日くらい機嫌を損ねただけでケロッとしていたとお母さんから聞かされた私は、よくあるシスターコンプレックスの範疇に入るものなのかな? と今では納得とまではいかないまでも、そう考えるようにしている。

 いろいろなものが出てくる。
 ちぎれた部分の補修痕があるランドセル。……お転婆の証明だね、コレは。中学校のカバンだって結構キズが目立つ。叩いたりとか投げたりとかしたからね。
 らくがきだらけの教科書。もちろん小学校のそれだけど、中学校のそれにも……。さすがに高校のそれにはなかったけれど、それはそんな心境ではなかったという、これもまた証なのかもしれない。
 競泳用水着。当時でさえキツくて一人ではまともに着られなかったのだから(競泳用は大抵がそんなものだ)、余計に小さく見える。色を変えてフリルでも付ければ、ほとんど小学生用のそれだ。
 そして、そして……。
 私の『宝物漁り』はいつ果てるともなく続いていた。

「うわっ、もうこんな時間。ひえーっ、こんなことばっかりやってたらいつまで経っても片付かないや。いい加減にしないと……あ」
 目の覚めるような純白に紫があしらわれた制服が目に入った。

 白陵大学付属柊学園高等学校の制服。

 私の高校生活は様々な風景と感情と、そして情念が複雑に入り混じったモザイクの様相を見せていた。そして、そんな私を包みこみ一緒にそれを見つめていたこの制服も、純白と紫の他にいくつかの目には見えない色を染みこませていた。

 綺麗に折り畳まれた制服をそっと取り上げる。
 その見つめる先に、いくつかの風景が浮かびあがってきた。

 笑顔の消えた入学式。
 頑張って、姉さんと同じ高校に進学できたのに、私はただ機械的に入学式の日を迎えただけだった。その日に遡る半年前。姉さんが交通事故に遭い、ずっと意識不明のまま眠り続けていたからだ。

 怒りと憎しみの紅葉に染まった秋。
 眠り続ける姉さんを見捨てて離れていく人たちを憎み、怒りに震えたこともあった。……その誤解はやがて解けたけれど、今でも心のどこかに刺さっているトゲを感じることがある。人間、そんなに便利に、そして綺麗に割り切れるものじゃないから。

 そんな私を包みこんで一緒に見つめてきた制服。
 正直、辛いことの方が多かったけれど、楽しいことだってたくさんあった。そんな、かけがえのない想い出が詰まった制服。
 だから、私は………

*          *          *

「ふうっ、こんなところかな? さあて、一息入れようかな?」
 いくつか目の大きな引越し用ダンボールに封をして部屋の片隅にまとめ、荷物整理で少々こった体をかるくストレッチ。
「茜、お茶が入ったわよ」
 タイミング良く階下からお母さんの声がした。
「はぁ〜い」
 導かれるように部屋のドアに手を掛ける。
 一呼吸置いてからもう一度、部屋の壁あたりに視線を送る。
 目の覚めるような純白とそれをさらに引き立てる紫に彩られた上着、大きな紫のスカーフ、裾に紫のラインの入ったスカート。

 白陵大学付属柊学園高等学校の制服。

『いつでも帰ってきていい』
 新しい暮らしを始めようとも、住みなれたこの家を出ようとも、ここはいつまでも『私の家』。想い出のたくさん詰まった、心の中でキラキラと輝く宝石箱。
 そんな宝石箱を開けるための鍵にするため。
 この家に帰ってこられる理由の一つにするため。

 だから、一番の想い出は置いて行こう。
 いつでもそこに戻ってこられるように。

 パタン……
 部屋のドアを閉める渇いた音は、そんな『想い出の宝石箱』の蓋を閉める、その音でもあった。

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Atto Fine いつまでも、想い出の場所

「よっと、これも運んでいいのかな? 茜ちゃん」
「あ、はいお願いします。すみません、わざわざお手伝いに来てもらっちゃって……」
「いいって、いいって。それにしても茜ちゃんも結婚か。あ、もう馴れ馴れしく茜ちゃんなんて呼んじゃダメかな?」
「うふっ、ありがとうございます。でもそんなに気を遣わなくてもいいですよ、いままでと同じようにしてもらった方が、私も嬉しいです」

「もお、孝之くん! いつまでも茜としゃべってないの。まだ荷物あるんだから」
 背後からの姉さんの声に、思わず亀のように首をすくめて目をしばたかせる鳴海さん。
「そうだぞ、俺たちばっかりに仕事させんじゃないよ」
「まあまあ、仕方ないじゃない。茜がお嫁に行っちゃうのを一番悲しんでるのは孝之なんだからさ。ほら慎二、アンタも手を休めないの! ちゃっちゃと運ぶっ!」
 両手が塞がっているから、代わりに足でも出そうな雰囲気の水月先輩。もちろん標的は平さんのお尻だろう。

「……恐妻家ですか? お二人とも」
「あ、あはは……」
 苦笑いの二重唱。
 思わず私も釣られてしまう。

 引越しの荷物が運ばれていく。
 私の想い出が運び出されていく。
 でも、一番の想い出は……

 荷物を運びながら振り返る。
 そこに家があった。
 私の生まれた家。
 私の育った家。

 今日、私はその家を後にする。
 でも、ここにはいつだって戻ってこられる。
 もちろん一人ではなく、二人、ううんそれ以上かも。
 それは想い出に触れるため。
 大切な人とそれを共有するため。
 だから私は、いつの日かここに帰ってくる。

 ………想い出のたくさん詰まった、宝石箱に………


〜Fin〜

≪あとがき≫

 さて、いかがでしたでしょうか。ラストで遙&孝之、水月&慎二が出てることからもお分かりのように、ストーリー的には『遙エンド後の茜』という形を取っています。
 え?茜たんの相手は孝之ぢゃなかったのかーって?……うーん、果たしてダレなんでしょうね。それなりにヒントを隠してはありますけど、どちらにせよ君のぞ本編には登場しない人物なんで分からないでしょうね。まあ私の勝手な設定上の人物には違いないんで、見逃してやって下さいまし(ダメ?)

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