『SSのお部屋』

Preludio

 目の覚めるかのような、鮮やかな純白。
 ところどころに彩られた紫が、その白さをさらに引き立てる。
 朝に弱い私だけど、ここのところの暖かさもあって、ベッドの中でねばることは少なくなってきた。
 シャワーを浴び、ヘアメイクを済ませてから、壁のハンガーに吊るされた真新しい制服に手を伸ばす。……本当はもう少しだけ、袖を通していない制服を眺めていたかったけど、いつまでもアンダーウェアのままでいてはさすがに風邪を引いてしまいそうので、あきらめて着替えを済ませることにする。

 はじめに紺色のインナーを着てから、裾に紫のラインがあしらわれたスカートに両の足を通し、ファスナーを上げホックを止める。
 上着は御伽噺に出てくるお姫様のドレスのように、肩の部分が膨らんでいる独特なデザイン。ぴったりと密着するかのような細い袖に腕を通し、着心地を確かめながら軽く伸び。肌に触れる部分にサラリとした新鮮な布の感触。
 セーラー服にしては珍しく前で止める形の上着。大きな紫のスカーフを襟の後ろから回し、胸の前で蝶結びを作る。

「……似合うかなぁ〜」
 鏡の前でファッションモデルみたいに、くるりと一回転。
「わわっ……」
 わずかな風の流れに乗ってスカートがふわりと踊ったのに慌ててしまい、思わず裾をきゅっと下に引っ張ってしまっていた。
「う〜……やっぱりこのスカート、短いよぉ〜」
 これって膝上どのくらいなのかな? ちょっと強い風が吹いたり、かがんだときに見えちゃいそうでスゴく気になる。こんな短いスカート穿くの、ひょっとすると小学生以来かもしれない。前から思っていたけれど、どうして高学年になるにつれてスカートって短くなっていくんだろう?

 私は涼宮遙。
 今年の春から高校の一年生。
 将来は絵本作家になりたくて、児童心理学科のある白陵大学へと進学するための第一歩。ずっと目標にしていた大学付属の柊学園高等学校に合格。
 今日は、その入学式。

 新しい世界、そして時間が今……始まる。
 新しい出会いも……あるのかな?


流れゆく時間、綴る想い…

Atto:1 はじまりはひとりから…

「それで? 高校生活の初日はいかがなものでしたかぁ〜?」
 アイドルにインタビューする記者みたいに、丸めた雑誌をマイクに見立てて私の前に突き出し、茶化すように話しかけてきてるのは、三つ年下の妹、茜。
「もお〜茜ったら……、今日はまだ入学式なんだよ? いかがも何もないでしょ?」
「でもクラス分けはもうあったんでしょ? ねえねえ、カッコイイ男子とかいた?」
「そ……そんなこと言われたって、う〜」
 返答に困るといつもこう。
「あ〜あ、やっぱりね〜。全くもう、お姉ちゃんってば絵に描いたような『引っ込み思案』なんだもんなぁ〜。もっと積極的にならないとカレシの一人も作れないよ?」
「もお、茜ったら。余計なお世話でしょ?」
 そう文句だけは返したけれど、茜の言うとおりなのだから後は何も言い返せない。
 お父さんにも良く言われるけれど、茜の元気を少しは分けてもらいたいっていつも思ってしまう。今日だって登校するまではあれこれ考えていたつもりなのに、いざ大勢の中に出ると何も言葉が出てこない。

 私のクラスは1年A組。
 入学式の後、各クラスに分かれてやっぱり定番って言うのかな? 先生のお話の後自己紹介になったんだけど、結局、自分の番で言えたのは『涼宮…遙、です。よ…よろしくお願いします』の一言だけ。他の人たちも大方似たようなものだったけど、私はさらに声が小さかったみたい。……言い直し、させられちゃったもんね。
 そういえば、同じ女子の中にすごく元気というか積極的な人がいたのよね。腰までくらいある長いポニーテールの女の子で、とにかくよくしゃべってたっけ。水泳をやるとか、恋もしたいなーなんて普通は言葉に出さないようなことまで、いろいろと。

「……ごぉめんね〜べらべらしゃべっちゃって、私は速瀬水月。水の月って書いて『みつき』って読むの。「はやせー」でも「みつきー」でも好きなように呼んでね、よろしく!」
 締めの一言でさえこれだもん。やっぱり生まれつきとかもあるのかなぁ。

 小さいころからいわゆる「引っ込み思案」だった私。
 外で遊ぶこともほとんどなく、ひまさえあれば、お母さんが好きなこともあって家にたくさんあった絵本ばかりを読んでいた。私の絵本好きはそんなところからもきているのかな? と最近思う。
 たまに家族で外に出ることがあっても、元気いっぱいなのはいつも茜の方。
 元気な妹さんと内気で大人しいお姉さん、周囲の印象もそんな感じだったようだ。

「そういう茜の方はどうだったの? 茜だって昨日が入学式で、今日から授業だったんでしょ?」
 反撃のつもりで質問をしてみたけど、私の問いをニヤニヤしながら聞く茜の姿に、言い終わる前から後悔していた。
「えっへへ〜ん、もう新しい友達8人もできちゃったもんね〜。男子もいるんだよ? うらやましい? お姉ちゃんも頑張ってカレシとか作らないと、せっかくの高校生活がもったいないよ?」
 どうやら私のクラスの速瀬さんだったっけ、あんな感じでいきなりクラスの人気者になったようだ。得意満面の茜に、私はまたしても「うう〜」と口をつぐむしかなかった。

「まあ、そんなに言ってやるな、茜。遙には遙に合ったやり方があるだろうし、それにそんな大人しいところがいいってことだってあるんだからね。茜の方こそもう少しおしとやかにしないと、今は良くてもそのうち、男の子からうるさがられるかもしれないぞ?」
 ソファに腰掛けていたお父さんが、磨いていたパイプを茜に向けほくそ笑みながら私への助け舟を出してくれた。
「もお、お父さんは一言多いのっ!」
 そんなお父さんの一言に、茜がちょっとぶすっとした表情をしながら口をツンととがらせる。その姿に私は内心ほっとしながらも、思わず笑みを漏らしてしまっていた。

「とにかく焦ることはないんだよ、遙。まだ今日入学したばかりなんだ、ゆっくり友達を作っていけばいいよ」
「う、うん……」
 そう頷きはしたけれど、でも、確かに茜の言う通りなのかもしれない。
 白陵は進学校としても有名だから、私のような地元出身者は意外に少なく、学生の大部分はかなりの広範囲から集まってくる。実際、ただでさえ少なかった中学校時代の友達はみな別の高校などに進学していて、私は今、文字通り「一人」からのスタートなのだ。
 小学生の頃は、幼くて人間関係のことなど意識していなかったこともあるのだろう、遊びとかの中から何となく友達の輪に入れた。そして中学生では、その時の関係がそのままスライドしたかのようなものだった。 それに較べると今は、まさにそういった友達や他人との関わりがリセットされたようなもの。しかも小学生の頃と違い、私は他人を、そして異性を意識する年齢になってしまっている。

 何とかしたいな……。ううん、しないといけないよね?
 でも、どうすればいいんだろう。
 私の高校生活はそんな不安とともに、始まってしまった。

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Atto:2 はじめてのともだち

「もお〜、遙ったら……。私を笑い死にさせるつもりなの? あー、まだお腹痛いよ……」
「も…もお、みつきったらぁ、そんなに笑わなくたっていいでしょ? スゴく恥ずかしかったんだから、もう止めてよぉ〜」

 半泣き状態で私が水月にお願いしてるのは、今日の記録会でのこと。記録会っていうのは毎年5月のこの時期に学年単位で、学校近くの海浜運動公園を使って行われる、いわゆる体力測定のこと。体育の授業の一環なのだから当然、体操着で行われる。
 その日は朝から雨だったから、もともと運動の嫌いな私は今日の記録会は中止よね、と勝手に判断して、それでも体育の授業はあるわけだから、体操服だけは持って行ったの。体育館用シューズはもともと学校に置いたままになってるしね。
 ところがお昼近くになって、朝はあれほどの土砂降りだったのが晴れてしまい、記録会が予定通り行われることに……。
 その上、私って雨の日は普段の登校のときに使う靴ではなくて、子どもっぽいって言われるけれど長靴を使ってるの。だから……もう言わなくても分かるでしょ?

「あーでもスゴかったよね〜。もう遙が走るたびに長靴ががっぽがっぽ……」
「お願いだから、もおやめて〜」

 入学以来抱いていた不安。そして茜が心配したとおりというか友だちの出来なかった私が、コトの内容はどうあれこんなにも話が出来ている。
 入学式後の自己紹介で一際目立っていたロングポニーの女の子。
 速瀬水月……さん。
 本人がそう呼んでと言ってくれたから、私は馴れ馴れしいかな? と思いつつも彼女のことを「みつき」と呼び捨てにさせてもらっている。

 水月と知り合うきっかけになったのは、もちろん私からではなかった。おかしな話だけど、例の自己紹介のときに一人だけ言いなおしをさせられたことで、逆の意味で彼女の興味を引いたみたい。
 その翌日のお昼休み。
 結局、入学式の日には友達を作ることはおろか、誰とも話すらできなかった私は、休み時間を一緒に過ごす人もなく一人、中庭でお弁当を広げていた。

「やっほぉ〜、え〜と、すずみや…はるかさん、よね? ねえ、はるかって呼んでいいかな? 私のこともみつきーって呼び捨てにしていいからさー。ね? ね?」
 いきなりだった。
 隣に誰かが近づいたように感じるのが早いかこれ。私はお箸をくわえたまま固まってるしかなかった。
「やだぁ〜、何ハトが豆鉄砲ぶつけられたような顔してんのよ。まあ、急に話かけてビックリさせちゃったことは謝るけど……」
 まだ目が点の状態の私を差し置いて、これが彼女のペースなのか止まることなくしゃべり続ける。
「いやね〜自己紹介のときにさ、何だか声の小さいコだなーって思って聞いてたら、隣の男子がさぁ〜、『カワイイじゃん、大人しそうなコだし口説けるかな…』なぁ〜んて言ってるもんだから、コリャやばいわってね。狼に襲われる前にガードしてやんなくちゃーって思ったわけ」
 ……無茶苦茶な理由。こういうのを「お節介」って言うんじゃないのかな?
「ねえねえ、友達になろうよ。遙に悪い虫が付きそうになったらスパーンって追い払ってあげるからさ、ね?」
 もう私のことを「遙」と呼んでる。
 どうしよう……と思ったけれど、そんな速瀬さんの勢いに流されるように、思わずコクリと頷いていた私。
「よし! 決まりぃ! 私は速瀬水月。みつきって呼んでねって、さっき言ったっけ。よろしくね、遙」
 そう言いつつ、肩に手を回してくる速瀬さん。
 ……あ、あの。ちょっと……

 と、出会いがこんな有様だったけれど、その後も水月とはずっと仲良しになれていた。とは言っても気さくでおしゃべりな水月のペースに流されるように、相槌を打つくらいしかできない私だったけど。
 でも相変わらず、水月以外に友達と呼べる人が作れなかった私。いきなり話かけてきたときはお節介にも感じてしまったけれど、今考えてみるとその「お節介」がなければ、私はずっと一人ぼっちだったかもしれない。もちろん、挨拶というか日常会話の相手くらいはできてるけれど、私から積極的に話かけるようなことは全くなかったのだから……。

 水月との友達付き合い。
 始めのうちは、自己紹介のときの印象もあったからか、私にだけ特別近づいてきたわけではなく、しばらくすれば普通の話友達風になるのかな? と思っていた。けれど、その後も水月はことあるごとに、何かと気後れがちな私の世話焼きをしてくれたし、彼女を通じての友達も紹介してくれた。
 私もいつまでも水月に頼ってばかりではいけないと思い、そんな人当たりの良い水月の影響を受けて、少しずつではあるけれど積極的になろうと努力するようになり、その甲斐もあって1年生の終わり近くには、それなりに仲の良い友達が作れるまでになれた。

「あ〜あ、あっという間だよね〜。こないだ入学式だったと思ったのに、来月にはもう2年生だもんね」
「ホントだよね、もう1年も経っちゃったんだよね……」
 そう相槌を打ちつつ、少しばかりの感慨に耽る私。……確かにあっという間だった。
「それにしてもやっぱり白陵柊って進学校だなって思うよね。2年生にもならないうちにもう、進路相談があるんだもん。そういえば遙ってかなり成績良いけど、もう目標とかってあったりするの?」
「うん、私ね、白陵大学に進学したいんだ。ほら、あそこって児童心理学科があるじゃない。私、将来は絵本作家になりたいなぁって思ってるから……」
 私の話を聞きながら、自分はここに入ること自体が目標だったからな……と苦笑いしているのは、クラスメイトの相沢佳織さん。特別仲が良いというわけではないけれど、私にとっては水月以外でいろいろと話や相談ができる、数少ない友人の一人。

「あー、憂鬱だなぁ。来週の進路相談、何言われるんだろ……」
「大丈夫だよ。まだ最初なんだし、きちんと目標を持ちなさいって程度のことしか言われないと思うよ? この時期で明確な目標持ってる人なんて、そんなにいないだろうしね」

 こうして暮れて行く、私の高校生活の1年目。
 不安ばかりが先行してた入学時のことを思うと、充実してる……と言えるのかも知れない。
 大学進学という目標に向けての勉強もそれなりに順調。
 水月をはじめ、いろいろと相談もできる友人もできた。

 ホントはもう一つ、今はまだ水月にさえ打ち明けられないけれど、気になってることがあるんだけど……。
 でもそれはまだ、私の心の中だけに留めておこう。
 ………私自身、まだよく分かってないのだから………

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Atto:3 ともだちにも言えないこと…

 時間の流れるのは早いもの。
 私の高校生活も2年目に入り、決してエスカレーター式ではない白陵大学への進学に向けて、成績の向上とその維持も何とか合格圏内と言えるほどにはなれていた。水月は水月で水泳部でもトップクラスのタイムを出しているらしく、インターハイの有力候補とまでささやかれてるようだ。……話によると、トレードマークのロングポニーを「タイムを縮めるために切れ」とコーチに言われたことで、逆に意地になった結果だそうけど。

「ええ〜?! 久世先輩の誘いを断ったぁ〜? ちょ、ちょっと遙、あんた何考えてんのよ……。あの久世先輩よ? まったくもう千載一遇のチャンスだってのに……」

 水月が顔を半分手で覆いながら、まるで自分のチャンスを逃したみたいに嘆いているのは、私が久世先輩からのデートの誘いを断ったことについてだった。
 2年生になって水月とは別々のクラスになってしまったけれど、彼女とはずっと友達でいられた。もっともほとんどの場合、水月の方から私のクラスに遊びにくるんだけど。

 話を戻して久世先輩のこと。3年の久世竜彦さんは学年でも成績上位に常に顔を出す英才。運動もそつなくこなし、その上背も高くてハンサムときているので、女子の間ではものすごい人気になっている。もっとも本人があまり異性への興味がないらしく、これまで女の子とのウワサは全くなかったそうだ。
 だからなのだろう、今回の久世先輩からのアプローチはすぐさま女子生徒の間でウワサとなり、おまけに私がそれを断ったことで騒ぎはさらに加速してるみたい。

「あ〜あ、それにしてもこんないい話を蹴っちゃうなんて……」
「う…うん、でも……私」
「もしかして、既に意中のカレシでもいるとか? だとしたらダレよ? あの久世先輩を差し置くくらいだから、相当な……。ん? ほら、吐けっ! 吐いたら楽になれるぞー……な〜んてね」
 水月ってばテレビの見すぎだよ……。
「そ…そんなぁ〜、いないよ、意中の人なんて」
 これは嘘。
 本当はいるの。……気になる人が、ね。

 それは1年前、入学式から1ヶ月ほどしたある日のこと。
 その日は珍しくお母さんが寝坊をしてしまい、お弁当を用意できなかったので、お昼は購買部でパンを買うことにしていた。とはいえ、学校の購買部というのはお昼ともなれば学生でごった返す。案の定、私は購買部に近寄ることもままならない状態だった。

「きゃっ!」
「おっと、ごめん。……大丈夫だったかい?」
 ぶつかられたわけではないけれど、目の前に現れた大きな背中に、小さな悲鳴とともに少しよろめいて後ずさりしたものだから、驚いた向こうの方から声をかけてきた。
 私よりも頭一つくらい背が高い男の人。

「ほんとにごめん。あ、キミも購買部で買い物かい? 俺もなんだけど毎度のことながら大変なんだよなココって。そうだ、お詫びといっちゃなんだけど、キミの分も一緒に買ってきてあげるよ。……もっとも希望のモノが手に入るとは限らないけどさ」
 どちらにせよこのままでは買い物もままならないと思ったので、好意に甘えていくつか欲しいものを伝える。……しばらくすると、雑踏の中からさっきの男の人が両手にいろいろ抱えながら戻ってきた。

「お待たせ、まあそれなりに希望のものは買えたよ。ほら、これでいいかい?」
「あ…ありがとう。ごめんなさい、わざわざ買ってきてもらっちゃって……」
「いいって、見たところ購買部使うの初めてみたいだしね。ココって慣れないとなかなかうまく買い物できないからな。まあ、俺なんて毎日のことだから慣れっこになってるんだけどさ」
 話を聞きながら、その手からサンドイッチとパック牛乳を受け取る。
「ほ、ホントにありがとう……」

 さすがにいっしょに食べるなんて恥ずかしいコトはできないから、私はお礼を言って別れることにした。その男子生徒が立ち去った後、ふっと地面を見ると1冊の生徒手帳。あの雑踏の中で落ちたものかな? もしかして……と拾い上げて写真を見ると、やっぱりさっきの男の人だった。
『1年D組、鳴海孝之』
 てっきり先輩かと思ったら、私と同じ1年生だった。女子と違って男子は制服の色で学年を見分けられないから、分からなかったのだ。

 食事を終え、お昼休みの残りの時間に、私はD組を訪ねることにした。
 でも、教室の入り口まではきたけど、やっぱり話かけづらくてしばらく迷っていた私。
「どしたい? 何か用でも?」
「えっ?」
 選りによって話かけてきたのはまたしても男子生徒。
「え…あの、これ…拾ったんで、その……」
「ん? ……ああ、アイツか。おーい、鳴海! 女の子がオマエの生徒手帳、拾ったってさ」
 そんな大声で……。ほどなくしてさっきの男子生徒が私の前までやってきた。
「悪い、悪い。わざわざ届けてくれてありがとう……って、あれ? さっきの……」
「え? あ、あの……、それじゃ私、これで……」
 押し付けるように生徒手帳を渡すと、それ以上その場にいられなかった私はそのまま逃げるように立ち去った。ちょっと待って、という言葉を背中で聞きながら……。

 鳴海…くん。
 鳴海…孝之…くん。
 その日はなんとなく水月とも帰り辛くなって「ゴメン、用事があるから」と水泳部の練習に向かう途中の水月に一言断ってから帰宅した。
 家についてからも何故だろう、小さな気持ちの高ぶりが鎮まらない。もともと他人とはほとんど話をしないというか、できない私。それが必要があったとは言っても男の子と面と向かって話をしたからなのかな? 分からない……こんなこと、水月にも相談できないし……。

 なぜだろう、私の中で鳴海くんの存在が大きくなっていくのを感じる。
 私、好きになっちゃったの? 鳴海くんのことが。
 一度会っただけなのに……
 名前しか知らないのに……

 もっと鳴海くんのことを知りたい。
 もっと鳴海くんとお話をしたい。
 それは、自分の気持ちを知ることでもあるから……。

 でも、もともと他人と話をすることが苦手な私。まして男の子となんて……。
 水月の影響で以前ほど他人と話をするのに抵抗というか、躊躇いはなくなったけれど、それはあくまで同性に対してのことだったから……。
 せめて水月みたいに同じクラスだったら良かったのに……。
 でも1年生、そして2年生の今も鳴海くんといっしょのクラスにはなれなかった私。

 結局、鳴海くんと話らしきものができたのは唯一、生徒手帳を届けたそのときだけで、その後は鳴海くんのいるD組を覗きこむことさえできずにいた私。しかも教室の並びが階段側から見てD組から順に並んでいるものだから、自分の教室に行く時は当然、D組の前を通ることになる。移動教室のときだってそう。自分の教室から音楽室などのある別棟や体育用の更衣室へ向かうときは、もちろんD組の前を……。
「どしたの、遙。ここだけそんな小走りに行くなんて……」
 いっしょに行くクラスメイトによく言われたけれど、無意識のうちに歩調が速くなっていたみたいだった。

 勉強とかに影響が出るほどではなかったけれど、そんなもやもやとした不安定な気持ちを抱えたまま、学校生活を送る私。
 かといって、積極的に行動できない自分がもどかしい。
 みなが憧れる先輩の姿すら目に入らず、たった一度しか話をしていない、自分のことを覚えていないかもしれない人のことを考えてるのが、滑稽に思えてくることさえある。
 ……でも、消えないの。
 私の中の「鳴海くん」という存在が……

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Atto:4 想いを届けたいけれど…

 今日から私も3年生。
 結局、また鳴海くんとは一緒のクラスになれなかった。
 私はB組。鳴海くんはC組。
 水月と替わりたいよ……、だって鳴海くんと同じC組なんだもん。

 1年生のときの購買部での出会いから、もう2年近くになる。けれど、鳴海くんとは一言だって話をできていない。だから鳴海くんも私のことなんて憶えてないと思う。
 そう、これは私の一方的な片想い。
 でもそんな風に想いを寄せつつも、実は鳴海くんがどんな人なのかさえ、良く分かってない私。なんとか知りたいけれど、どうしたらいいんだろう。
 私はB組。
 鳴海くんはC組。……C組、水月のクラス。

「へ? 鳴海……孝之? う〜ん、そんなヤツいたっけなぁ。で、何? 急にウチのクラスの男子のこと訊きたいなんて、どしたの? ……さては」
「え? そ…そんなんじゃないよぉ〜。あ…あのね」

 水月といっしょに帰宅したある日のこと。
 水月は水泳部に所属していることもあって、クラブ活動をしていない私とは基本的に下校時間が違うのだけど、私がそんなに時間に縛られてるわけでもないことから、図書室とかで時間をつぶすなどして、水月の練習が終わるのを待っていることも多い。
 私の質問に興味津々とばかりに顔を覗きこんできた水月に、慌てて否定をしてみたけれど、すっかりバレてしまってるのはもう明らか。

「そおなんだ〜、遙にもいよいよカレシができたのか〜。意外にスミに置けないね? そっかそっか、こりゃ力になってあげないとねー。おっけー、みっつき先生にまっかせなさい! どんな人か事細かーに調べてあげるからさ。……ついでに遙のことも言ってあげよっか、ん?」
 頬を近づけながらいたずらっぽく耳元でささやく水月に慌てた。
「そ…それだけはダメ! お、お願いだからヘンな事言わないでよぉ? 何かあったら、もう恥ずかしくて学校これなくなっちゃうもん」
「分かってる、分かってるって。まあ私も情報屋ってワケでもないから、そんなに期待はしないでよね。じゃ!」

 そうして水月と別れた後、少し気持ちを整理したかった私は、ちょっと探したいものもあったので、駅前の本屋に立ち寄ることにした。数日前の新聞の読書欄に載っていた『マヤウルのおくりもの』。ヨーロッパの絵本で日本語訳のが出版されたのでちょっと読んでみたいな、と思っていたのだ。
 店内はかなり広いけれど、絵本や児童書のコーナーというのは色とりどりの本が多いせいか、やっぱりよく目立つ。目的の絵本コーナーをざっと目で見回すと……あった。さすがに新聞でも紹介されてた話題の絵本。棚の上の方に表紙をこちらに向けて置いてあった。
「う〜ん……」
 手を伸ばすけどなかなか届かない。いくら話題の絵本でもあんなところに置いてあったら誰も手に取れないよ、と心の中でグチを言いながら、店員さんに取ってもらおうかな? と思ったそのとき。
「これかい?」
 横から伸びた手が目的の絵本を取り、そのまま私の前まで持ってきてくれた。
 親切な人……お礼を言わなくちゃ、とその人の方を向いた私は、固まるしかなかった。

「え…?!」
 な、鳴海……くん?
「え……、あ……あの」
「あれ? 『マヤウルのおくりもの』じゃあなかった?」
 そうなんだけど、そうなんだけど……
 ……………

「それで黙って逃げ出してきちゃったわけ〜? 全くもう、絶好のチャンスだったじゃないの。しょうがないなぁ〜遙も」
「だ、だってイキナリだったんだもん。まだ鳴海くんのこと何も知らないし……ねえみつき、どうしよう〜」
 その翌日の下校時。水月と一緒だったので、鳴海くんの話も聞きたかった私は本屋での出来事を話してみた。

「う〜ん、そのコトなんだけどさ……。遙さ、今度の月曜の夜、空いてない? よかったらいっしょに行こうよ」
「月曜って……6日の夜? うん、別に用事とかないから空いてると思うけど、どこに行くの?」
「あ…あのさ、遙。あんたホントにこの町の住人? 柊町の夏の花火大会の日じゃない」
 あ…そうだった。ここ柊町の毎年夏の風物詩として、広く町の外からも観光客が訪れることで知られる花火大会。……別に知らなかったわけではなくて、私がどうも打ち上げ花火が苦手なこともあって、意識してなかっただけなんだけど。

 そして約束の日。
 神社への通り道ということもあって、柊町駅前で水月と待ち合わせをした私。
「およ? 似合ってんじゃん遙、その浴衣。うん、こりゃいいかもね〜」
「いいかも…って、どういうこと? それにまだ行かないの?」
「うん、もうちょっと待ってて。……にしても遅いな〜、女の子を待たせるなんて、全くアイツらときたら……って、ああっ! やっときた。こらぁ、おそーい!」
 水月の少し苛立った文句の向く先を見ると、二つの人影。
 ……え?
「み、みつき……。どういうこと? どうして鳴海くんがくるのよ〜」
「え? 言ってなかったっけ、私『そのことなんだけど』って。友達といっしょに行くから遙もこない? って言ったつもりだったんだけどなー。……ちょっと、遙。もう、何後ろに隠れてるのよ。さっ、紹介したげるから、ほら前に出るっ!」
 どうやら完全に水月の作戦にひっかかったみたいだった。
 でも、ここで帰るって言うわけにはいかないし……。

*          *          *

 花火大会の日から3日。
「え? あの後まともに話をしてない? ……あのさぁ、せっかく私がココまでお膳立てしてあげたってのに、ちょっと話をしただけでその後の進展なしって……。まったくもう、絵に描いたようなオクテなんだからぁ、遙は……」
「だ…だって、花火大会に鳴海くんがくるってことも知らなかったんだよ? おまけに鳴海くんと二人きりにして、水月たちどっかに行っちゃうし……」
 はじめにそれとなく話をしておいてくれれば、もう少しお話とかもできたかもしれないのに……。ううん、鳴海くんがくるって分かってたら、花火大会そのものに行かなかったかもしれないもんね。
「……はぁ、こりゃ重症だ。……おし、こうなったら荒療治といくか」
「え? 水月、何か言った?」
「へっ? な…な、何にも言ってないよ? うん、何にもね、うふふ……」
 何だろう、『荒療治』なんてこと言ってたみたいだけど、水月……またヘンなこと考えてるのかな……。おかしなコトにならなければいいけど……と思いつつも、そんな水月の後押しというかお膳立てに頼ってしまっているのも事実。

 私と視線を合わせないようにしつつも、ちらちらとこちらを見てる水月。微妙にほくそえんだような表情になにやらイヤな予感がしたけれど、そのときは追及しなかった。
 ……だって、あんなこと考えてたなんて、その時は思いもしなかったから。

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Atto Fine ひとことだけの勇気

「ええっ? な…鳴海くんと?」
「そ、本人には私から大事な話があるんで、絶対来るようにって念を押してあるから。えっと、学校裏の丘の上に午後5時って約束。じゃあ私は帰るから、あとはうまくやんなよ?」
「そんなぁ〜、みつき〜」
 先日の花火大会で二人きりになったというのに、全く進展がなかったと感じていた水月。そういえば『荒療治』みたいなこと言ってたけど、まさかこんなコト企んでたなんて……。

 水月のこれって作戦っていうのかな? 企みに頭が半分真っ白になってしまった私。でも行かないとそこで水月を待ってるだろう鳴海くんは水月に、「こなかったけど何か用あったんだろ」って訊くだろう。そうなれば私がまたしても水月の「期待」に応えなかったってことで、もっと過激なことを思いついちゃうかもしれない。

「もお、みつきったら……」
 そう思いつつも、絶好の機会を演出してくれた水月に内心は感謝してる。
 1年生のときの出会いから、結局、一歩を踏み出すことができずにいた私。
 3年生の今はもう、夏。
 これが最後のチャンスかもしれないから……。
 私は、迷いと躊躇いで無意識のうちに帰宅しようとする足を、学校裏にある丘の方角へと……向けた。
 水月が私のために、嘘をついてまで呼び出してくれた人。
 想いを伝えたい人が待っている、あの丘へ……

*          *          *

 樹々をざわめかすやわらかな風が、体を包む。
 一歩、そしてまた一歩……

 木立の間を抜け、目の前の空間が開ける。
 瞳に映る、一際大きな樹。
 ゆっくりと視線を下げる。

 人影……
 無意識に躊躇った歩調を再び速める。
 草を踏みしめる音に気付いたその人影が、顔をこちらに向けると表情が戸惑いの色に染まった。

「あれ? 涼宮……さん? 速瀬のヤツはどうしたんだい?」
 そうよね、みつきが言ってたもん。
 私が呼び出したって、後はうまくやりなよって……

「……鳴海……くん。あ、あの……み、みつきは……来ません」
 何を言ってるの?
 大事なことを伝えなきゃ……

 胸がつぶれそう……
 今すぐにでも、ここから逃げ出したい。
 ……でも、ダメ。今逃げたら、ダメっ!

 神様、今だけ……私に勇気を下さい。
 たったひとことだけ、伝える勇気。

 今、この瞬間だけ勇気をくれるのなら、後は一人で歩いてみせますから。
 だから……
 だから……たった、ひとこと……
 目の前の人に伝えさせて下さい。

『好きです…』と……


〜Fin〜

≪あとがき≫

 いやはや……、SSってこんなに書くの大変でしたっけ?って改めて感じてしまうぐらい、ここのところSSから離れていました。昨年の秋の茜聖誕祭で書いて以来ですもんね。文章を書くことって難しいですわ。
 今回書いたのは第1章の以前、つまりは遙が白陵に入学してから、例の丘の上の告白に至るまでのお話なのですが、公式には描かれてない部分を自分なりに想像して書く、というのはホント難しいです。
 もう少しいろんなエピソードを入れたかったな、という思いもありますが、水月との出会いや孝之とのそれを考えるだけで精一杯でした。まあ、今後へのネタを残せたというイミもあるかもしれませんが……(笑)

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