『SSのお部屋』

Preludio

 澄みきった空のそれを思わせる、鮮やかな青。
 その青を水晶に通したように輝く、瞳。

 そんな『青色』を、私はずっと見てきた。
 時には、水面に揺らめくように……
 そしてまた時には、漆黒に侵食されて鮮明さを失うように……
 様々な色が織り交じり、モザイクになるように……

 でも、どんなときでもそれは『青』には違いなかった。
 そして、そんな『青』をいつも見ていた。

 千変万化。
 全く、ホントに人を飽きさせないんだからな、ヤツは……

 さぁて、今日はどんな色を見せてくれる?
 どんな色を、思い出させてくれる?

 ふふっ……
 ホント、格好の「酒の肴」だね、ヤツとの時間は……

水色プリズム

Atto:1  はじまりは飛沫の水の色

 ……カラン……
 心地よい、澄んだ音色を奏でながら、グラスの中で氷が踊る。
 白い泡に縁取られながら、琥珀色の液体が揺らめく。
 酒の肴は私の正面で向き合うオンナ。
 まだまだ足りないな……
 この程度ならまだビールで十分だ。
 とっておきを出すには、まだまださ。

 それにしてもよくしゃべる。
 酒の勢いだけじゃもちろん、ないんだろ?
 全く、私も物好きだ。
 何で、こんなヤツを『囲って』やってるんだか。

 こんなヤツ……
 速瀬、水月。

 酒の肴には物足りない話をBGM代わりにしながら、私は記憶の彼方に想いを馳せた。

*          *          *

「……全く、当たり前じゃないの。何考えてるんだか」
 同情してやるような仲でもないし、そんな義理もないけれど、せめてため息くらいは吐いてあげるよ。

 私は辻村昌代。
 白陵大学付属柊学園高等学校の1年生で、部活は水泳部。今は夏休みの真っ盛りだけに、水泳部にとってはいわば強化期間。私のような1年生は特に『シゴかれる』身分である。

 水泳、いや競泳っていうのは、言うなれば『人間と水との戦い』だ。コンマ1秒でも速く前へ進もうとする人間と、それを妨げようとする水の抵抗との戦い。戦うためにはもちろん己の力量と、それに見合い引き出してもくれる装備が必要だ。少しでも抵抗と言う名の『敵』の力を弱めるため、ヘタをすると一人では着脱できないくらいにキツく、痛いくらいに体を締め付ける水着を身に付け、水の中で気ままに踊る頭髪をキャップのなかに収める。だから普通は競泳に臨む人の髪は短くするのが常識で、男子ではスキンヘッドの人も多いくらいだ。

 私は中学のころまでは校則が緩かったこともあって、腰くらいまで髪を伸ばしていた。サラサラと風になびく髪がとても好きだった。子どものころから泳ぐのが好きで中学でも水泳部に入っていたけど、中学レベルということもあるのか当時は泳ぐときだけ髪を編んでおけば良かった。だけど中学生最後の夏に当時の水泳部顧問から言われた。
『このまま水泳を続けたいなら、その長い髪を切れ』

 ………サラサラと風になびく髪がとても好きだった。
 水泳も、好きだった。
 誰よりも速く泳ぎ、水流を切るのがとても好きだった。
 でも、長い髪も好きだった。

 だから今、少し離れた場所で仏頂面している長髪のヤツの姿が滑稽に見え、心の中で邪なもう一人の私が鎌首をもたげ、その成り行きを楽しみにしていた。
 ふん。さあ、どうする? ……速瀬、水月?

「で、どうするんだい? 速瀬」
 私はまだ1年生。しかも夏休みなのだから学校生活としては1学期を終えたばかりだ。しかも、件の速瀬水月とはクラスも違い、部活でそれなりに顔を合わせる程度だから、友人と言えるほど親しくもない。もしかしたら将来的にはライバルになるかもしれない相手なんだし、私は単に先ほどの事件に対する興味の一点だけで話しかけていた。

「ん? ああ、辻村か。……ふん、見てなさいよ。絶対に、思い知らせてあげるんだから」
 私を一瞥した後、もともとキツ目のやや吊り上った目にさらに勝ち気な光を浮かべつつ、今さっき口論した相手がいた場所に向けて半ば呪詛めいた言葉をぶつける。
 ……まさか、切らないつもり? いくらなんでもそれは『空意地』ってもんだろ。

「あのさ、言わせてもらうけれど……」
「ふん、誰がいいなりになんてなるもんか」
 私の言葉を遮るように吐き捨てられた一言。思えば、このときから私の速瀬水月に対する見方には『色眼鏡』がかけられていたのだろう。そして、視線をそらそうとすればするほど逆にその行動が気になる。いわば負のベクトル的存在として意識し始めていたのだ。

「ま、好きにすれば? 私の知ったことじゃないんだし」
 そう言いつつもヤツのことを気にかけ始めている、もう一人の自分がいた。
 そっか……。
 ヤツとの『縁』はこのとき始まったのかもしれないな。

 放っておきたいのに、何故か気にかけてしまう。
 無視したいのに、何故か視界に入れてしまう。
 だから………
 会いたくないのに、出会ってしまう。
 そんな認めたくない『腐れ縁』が……。


Atto:2  澄んだ水色と、淡い泪色と…

 人目を引く者と、そうでない者。
 特別な者と、普通あるいは平凡な者。
 前者は時に、後者にとっての嫉妬と羨望の標的にされる。
 そして後者はそれを『有名税』という名の口実で包みこむ。
 速瀬のヤツはその『前者』に属していた。
 だから、いろいろとあった。

「でもさ、辻村はそんなに私のコト嫌ってるようには見えなかったけど」
「……面倒くさかっただけだよ、いやがらせするほどに気にすることがさ」
「あう………」

 ふふふっ、それ……それだよ。
 人の話を真に受けて、言い返したいんだけど何も言えず、上目遣いの困り顔。
 ちょっとした意地悪で味わいを増した酒が波打つグラスでその表情を透かしながら、私の意識はまた昔のそれに跳躍した。

*          *          *

「アンタたちもヒマだね、そんなことしてるくらいなら他にやることあるだろ?」
 一応、それなりに苦言めいたことを口にはしたが、言われた側も言った本人もそれが本音の裏返しであることを分かっていた。

 そいつらが持っていたのは学校指定のスポーツバッグ。持ち手のところには小さなイルカのアクセサリーが付いていた。
 側面には名札。
 速瀬、水月。

 速瀬のヤツは今は練習の真っ最中だ。ほぼ毎日のようにコーチが付きっ切りで声を張り上げている。私立ということもあって部活動にはかなり力を入れている白陵だから、この水泳部にも専任が二人、あと非常勤で一人の計3人のコーチがいる。部員は40名ほどいるのだが、その3人のうちの一人が速瀬に付きっ切りなのだ。当然のことだけど、私も含めた周りの人間にしてみれば面白いわけがない。「速瀬係とその下僕」と揶揄されているのもそのためだ。
 もっとも単なる贔屓ではない。そこそこの実力を備えた部員はいるものの、未だインターハイ出場どころか地区大会でもようやく上位クラス程度の白陵水泳部に、まさしく彗星のように現れたのが速瀬だ。入部したての頃、どこのクラブでもあることだろうけど、いわゆる上級生による『歓迎会』で速瀬は、いきなり居並ぶ先輩たちを出し抜いた。すぐさま件のコーチの目に止まり、その日以来速瀬専用コーチが誕生したというわけだ。そういえば、髪を切れと言ったのもそのコーチだったけど、速瀬のヤツはそのことだけには首を縦に振らなかった。もっともそのときの苦虫を噛み潰したような顔が、ほどなくして驚愕と期待の入り混じった紅潮に変わっていったのだけれど。

 そう、とんでもない実力者だったわけだ、速瀬のヤツは。
 驚異的な才能を備えた競泳選手として、コーチを始め学校関係者にも期待され、おまけにスタイルもいい。その上そんな部活での待遇を鼻にかけることもなく、明朗快活で気さく。男子からの人気もうなぎのぼりとくれば、嫉妬と羨望の的にならない方がおかしいというものだ。

 妬みへの腹いせが混じった煙が立ち上る焼却炉と、その前にたむろしている『犯人』を遠目に見つつ、自分には関係ない、あいつらが勝手にやっていることだからと言い聞かせ、足早にその場を立ち去った。……知りながら止めようともしなかった自分だって共犯のくせに。
 速瀬のヤツがその後どうしたのかは知らない。スポーツバッグの中には当然、制服はもとより下着類だって入っていたはずだ。まあ、気の利いたやつがとりあえず帰れるようにはしてくれるだろう。何たって速瀬のヤツは『人気者』なのだから。

 だけど、私はそのときになって初めて知った。速瀬のヤツが本当は誰よりも寂しがり屋で、心を開けるのもほんの一握りしかいないのだ、ということを……。
 夕暮れの校門。下校時のそれには明らかに似つかわしくない、体操服姿の速瀬がぽつねんと佇んでいたのだ。
 恐らく、誰かに頼んで教室に置いてあった体操服だけは持ってきてもらったのだろう。だけど白陵柊の女子用体操服は昔ながらのブルマタイプ。事情が事情なだけに、素肌の上に直接着ているのだろうし、さすがにその格好で帰れるはずもない。

*          *          *

「全く、あんたは昔っからそうだったよね。人一倍寂しがりで構って欲しいくせに、変なトコで意地を張ってさ。……あのときもそうだったんだろ? ほら、スポーツバッグを捨てられた例の事件」
「うん、あのときはホントどうしようかって途方に暮れちゃった。たまたま立ち寄った孝之……あ、鳴海って言った方がいいのかな? 教室から体操服を持ってきてもらったところまでは良かったけど、さすがにブルマ姿で駅向こうの家に帰れないよ。ショーツも穿いてなかったんだしね。まあ、結局事情を察してくれた孝之がジャージのボトム貸してくれたんだけどね」

 孝之。鳴海孝之か。
 そういや、その鳴海孝之の連れとやらの、平……だったっけ。よく3人で雑談に耽っているのを見かけたことがあるな。
 でも、そのときはいわゆる『人気者』だけに、それなりに友人も多いんだとしか思ってなかった速瀬のヤツが、実はその鳴海、平、あとどうやら1年生のころからの親友らしい涼宮くらいしか友人がおらず、率先してしゃべっているのも、明るく振舞っているのも、こんなに私は訴えてる、だから構ってよという『寂しさ』の裏返しだったのだ。
 その事件のとき、体操服姿で校門に一人佇んでいる速瀬を見かけたとき、私は気付かされたのだ。

 私もどちらかというと一人が好きな性分だ。だけど近づいてくる人に対して壁を作ったりすることはない。それなりに反応し、相槌を打ち……。それが『誰でもいいんだ』という表面的なものに過ぎないことは分かっていた。だけど、それで十分だと思っていた。
 だけど速瀬のそれは違っていたのだ。
 誰よりも自分のことを分かってくれる、分かち合える相手を欲していたのだ。
『……明るくて話やすいとは思うんだけど、何かね……』
 速瀬に対する印象の多くは、そんなものだった。

「私、どうしても相手を意識しすぎちゃうとこがあってね。だから、本当に打ち解けられる友だちは3人しか……いなかった。慎二くんに孝之、そして……遙。はるか……は、る……うっ、うくっ……」

「ほら、すぐ泣く……。全く、仕方ないヤツだな」
 こういうヤツだ。

「しょ、しょうがないじゃない。思い出させた辻村が悪いんだよ」
 ぽろぽろと大粒の涙をグラスの中に注ぎながら、少女のように泣きじゃくる速瀬。
 全く、普段突っ張ってるくせに涙脆いんだからな、コイツは。

 でも、そんな風に泣きじゃくるアンタもまたいいものだよ。
 普段は突っ張ってるくせに、その仮面が外れれば途端に弱さをさらけ出す。

「ま、涙酒ってのも、悪くはないか。……まだ行けるんだろ?」
 そろそろビールだけでは物足りなくなってきたね……。

Atto:3  陽が沈めば青い空も…

「そういや、3年の2学期だったっけ。アンタの水泳部での評価が急に落ちて、そのままなし崩しに退部してたけど、やっぱアレが原因だったんだろ? ……詳しくは知らないし、根掘り葉掘り訊くつもりもないけどさ」

 ………カラン………
 またグラスの中で氷が踊り、澄んだ音を立てた。
 さっきよりも短く高い音色のそれは、未だ幕引きを感じさせない『酒の肴』に対する補給要請のそれだった。

「うん。まあ、それも……ある。……聞いて、くれる?」
 自分から進んで話すのはこれが初めてなんだ。それを聞いた私は何も言わずに立ち上がり冷蔵庫を開くと、奥にしまってあったボトルに手をかけた。

「え? 辻村……」
「言ったろ? 涙酒ってのも悪くはないってさ。それに、ここからが本番になりそうだしな」

*          *          *

 それは高校最後の夏が終わった2学期のこと。
 進学校でもある白陵柊はもちろん推薦での大学合格者も多いが、この時期にしてまだ進路の決まっていない私のような者は、今が進路決定のための『受験勉強期』なのだ。

 進路が決まっていない。
 当然だ。3年生の一学期まで水泳に打ち込んでいた私だ。スポーツ推薦による白陵大学への進学を目指していたのだから、それが叶わなくなったときどうなるかは私自身が一番知っていた。とは言え、友人からもリアリストと呼ばれていた私。それなりに『滑り止め用』の勉強もしていたから、さほど焦ってはいない。……今にして思えば、そんな『退路も作っておく』中途半端なやり方が災いしていたとも言えるけどね。

 そんな2学期が始まり、人数がやや少なくなった3年の教室。自由出席が許されるこの時期、自宅や予備校での講習などで登校する日は少なめになる。私もご他聞に漏れず塾や講習などに時間を割いていた。
 そんなわずかに寂しさの漂う3年の教室だったが、夏休み最後の日曜日に起きたある事件の話題で持ちきりとなっていた。

 柊町駅前で起きた交通事故。
 被害者は白陵柊学園の3年生、涼宮遙。
 涼宮……
 確か、B組のコだったよね。あんま目立たないからそれほど気にはしてなかったけど、そっか交通事故。しかもいまだに意識不明だなんて、こんな時期に可哀想に。
 そういや、速瀬のヤツと仲良かったよね、あのコ。

 速瀬と言えば、最近あまりいいウワサを耳にしていない。
 水泳部での記録が芳しくないとか、練習に身が入ってないとか。おまけに最近は部活を休むことさえあるという。2年生でインターハイ出場を果たし、おまけに優勝までした『白陵の期待の星』。競泳の有力実業団『フォレックス』からも目をかけられ、推薦はほぼ確実と言われていただけに、このところの不調は本人以上に周囲の焦燥を煽っていた。
 とりあえず他人の心配をしていられるほど暇な身分でもない私だから、そんな噂話を右から左へと受け流してはいたけれど、ここでもやはり気になるのだろう。それとなく噂に耳を傾けてしまっていた。

 気にしたくないのに気になってしまう存在。
 ギリギリまで進路が確定していなかった私が、地元ではなく遠く離れた都会の大学を選んだのも、そんな速瀬のヤツから遠ざかりたかったからなのかもしれない。

*          *          *

「そう、確かに親友が事故に遭ってしかも意識不明とくれば、水泳に身が入らなくなるのも仕方ないところだよな」
 普通に感想を述べたつもりが、それを聞いていた速瀬の表情に険しいまでの陰りが差してきたのを見るにつけ、どうやら私の想像なんてほんの翼からこぼれる羽根の一枚にしか過ぎない、と感じた。

「……違う、違うんだよ。辻村」
「……速瀬」

Atto Fine  宴は拡散するプリズムのように…

 少しだけのつもりだったのが随分と長くなった。
 数本のボトルにグラス、いくつかのつまみを乗せた皿に、酒に合い易い甘さを抑えたスイーツ。さながらミニパーティーの様相を呈してきた。
「全く、あのときは驚いたよ。何でこんなところにアンタがいるのかってさ。しかも、どうしてだか分からないけど、声までかけちゃったしね」

「……ふふっ、それは私も同じ。でも正直助かったぁって思っちゃったよ。逃げ出すようにあの町を飛び出してきたはいいけど、仕事どころか住む場所さえ決まってなかったからね。それにしてもよく私って分かったね。3年も経ってるし、おまけに私、髪ばっさり切ってたでしょ?」

「……分かんない? それだけ忘れたくても忘れられない、ホントにイヤなヤツだったってことさ」
 言葉が終わらないうちに俯き加減になり、口を少しばかりとがらせつつすぼませる速瀬。上目遣いの視線が『なら、どうして誘ったんだ』と、暗に尋ねていた。
「言ったろ? 落ちぶれた地元の星を肴に酒を飲む、そのためだけさ。……同じだからね、私もさ」
 そう、私だってそれなりに水泳部では期待を寄せられていた。でも速瀬という余りにも自分との差がありすぎた存在が、妙なところでリアリストの私に『諦め』の二文字を付きつけ、それを私は受け入れたのだ。

 速瀬は速瀬で、涼宮遙が事故に遭った後、ショックで立ち直れなくなっていた鳴海孝之の支えになろうとしたらしい。水泳に打ちこめなくなった原因の一端は確かにそこにあるのだが、どうやらそれだけではないらしい。
 そう、もともと寂しがり屋で友だちも少なかった速瀬だ。そうして鳴海孝之の支えとして過ごしていくうちに、彼に対する恋心も育って行ったのだ。それは何ら不思議なことではないだろう。だって、男と女だからね。
 だけど、鳴海孝之には涼宮遙という恋人がいた。そして速瀬はもちろん承知済みだった。親友である涼宮遙を鳴海孝之に紹介したのは、他でもない速瀬だったのだから。

 日々大きくなっていく想いを否定できない。
 でも想いの相手は親友の恋人。
 板ばさみ。
 このまま目を覚ますことがなければ……
 そんな邪な気持ちが芽生えたとしても、それも仕方ないところだろう。

 だけど、涼宮遙は目覚めた。
 そして速瀬は、涼宮遙と鳴海孝之の関係を認めて身を引く決意をし、ほとんど家出同然に柊町を飛び出したのだという。
 そんなコイツとバッタリ出会って、しかも拾ってしまうんだから、私とコイツの『腐れ縁』も相当なものだし、物好きにも程があるってものだ。

「まったく、新しい仕事も住む場所も決めたって、その涼宮遙にそう言ったんじゃなかったっけ? 全く、どこまでも意地っ張りなんだからなアンタは……」

「うん、結局のところ私、何もかも捨てて飛び出してきちゃったんだよ。いろんな想い出も、大切な友だちも、なにもかも……。しかもみんなに心配だとかかけたくないからあんな嘘までついてさ。ホント、こんなときにまで何で意地張ってるんだろね、私。だから、だからさ、今は……今は、泣かせてよ、ね?」

 あーあ、また泣いちまったよ。
 全く、やたらと突っ張ってるくせに涙脆いんだからなコイツは。
 短く切りそろえた前髪をカーテンにするように俯き、隙間からぽろぽろと光る雫を両の手で包みこんだグラスの中に注ぎながら、身体を小刻みに震わせる速瀬。
 頃合い、か……。

 テーブルの上にマッシュルームのお化けのような物体を置き、リモコンを使って部屋の灯りを落とす。

「え……。な、何?」

 不意に暗くなった室内と、同時に浮かび上がったルームランプの淡い光に、速瀬が戸惑いの声を上げた。

「さあ、どんどん吐いちまいな。このワイン、結構高いヤツなんだけどさ、アンタの話を酒代にしてやる。ムードも盛り上げてやっからさ」

「も、もお……辻村ったらぁ。相変わらず意地悪なんだから……」

 またしても口をとがらせる速瀬。
 いいよ、どれだけでも話しちゃいな。
 いくらでも聞いてやるよ。

「その代わり……」

 速瀬の目が、その先は言わなくてもいいと告げていた。
 酒の代金の話のはずが、いつしか雑談会の様相を呈してきた。

 そう、私だって『意地っ張り』だ。いや、社会に出れば否応なくそうせざるを得なくなる。そしてそのはけ口を誰しもが求める。

 想い出話に与太話。時おり混じる悪口の饗宴。それがオンナ二人を通して、様々に色を変え拡散してゆく。
 それはあたかも、プリズムのように……

〜fin〜

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