『SSのお部屋』

Preludio

 助けて……。
 お願い、助けて……。

 孝之……さん。

 どうして、こうなってしまったの?
 私、間違ったこと、してしまったの?

 私がしたこと。
 それは……。

 好きになったこと。
 ただ、それだけ……。

 そう、孝之さんを……
 好きになってしまっただけ。

 それだけなのに……。

 どうして、こんなに苦しまなければ、いけないの?
 一人の人を愛するのに、こんなにも。

 それは、孝之さん……だったから?

 姉さんが、好きだった……。



絆を、もう一度…


Atto:1 軋み

「ただいまぁ」
「あら、お帰りなさい。早かったわね」
 姉さんの事故以来3年間、繰り返されてきた私とお母さんとのやりとり。
 でも、今日は違うの。

「た、ただいま……」
 まるで、初めての家に上がるお客様のようなぎこちなさ。
「もお〜、姉さん何してんの? ウチだよ? ここ」
「う、うん」
 本当に上がっていいの? と言わんばかりの姉さんの表情に、思わず苦笑するしかなかった。
「そうよ、遙。……お帰りなさい」
「お母さん……」
 すかさず出された、お母さんの助け舟。
 そうは言っても、無理ないかもしれないよね。何たって、3年前に出かけたっきり……。
 姉さんにとって、3年ぶりの「家」なんだから。

 その3年間で、いろいろなことが、変わってしまった。
 3年前、姉さんの傍らで笑っていた人。
 鳴海…孝之さん。
 今、その隣にいるのは……私。

 やっぱり、奪ったんだよね? 私。
 姉さんから、大切な人を……。

 鳴海さんは、私を好きになってくれた。
 事情を知らなかったとはいえ、一時は鳴海さんのことをあれほどまでに憎み、蔑んだ私を。
 鳴海さん……。
 ううん、今は……孝之さん。
 私のことも、「茜」と呼んでくれる。他人行儀な「茜ちゃん」ではなく、「茜」と……。

「……悪いな、手伝わせて。ああ、それ持ってくれるか?」
「よく言うよ、半ば強制的なくせに。少しはラチられる方の身にもだな……」
 リビングで姉さんとくつろいでいると、玄関の方から何やらにぎやかな声。
 孝之さんと……平さんだ。どうして平さんが?

「お邪魔しま〜す。いや、まあ孝之のヤツに荷物持ちを命じられましてね」
「命じるなんて、誤解されるじゃないか。俺は頼んだだけだぜ」
 両手に荷物を抱え、笑顔混じりの憮然面で孝之さんに流し目を送る平さんと、そういう言い方はないだろ?  と笑いながら軽く口をとがらせる孝之さん。
「た、孝之さんってばぁ〜。荷物はまかせて先に戻ってていいよって、こういうことだったんですかぁ?  もう、ごめんなさい、平さん」
 私は頭を下げながら、平さんの手から荷物を受け取り、少しムッとしながら何も言わずそれを孝之さんに押し付けた。 ……もう、笑ってる場合じゃないのに。
「ははっ、ご無沙汰、茜ちゃん。まあ、友人の退院の日に駆けつけなかったことへの、せめてもの罪滅ぼしとでも思っておくから、いいよ」
「それ、俺がさっき言ったことだろ、慎二」
 孝之さんの言葉に、赤面と苦笑が入り混じったような表情になる平さん。
 ふふ、相変わらずなのね、二人とも。

 その時、不意に視線を感じた。
 ……姉さん?
 気付かれぬよう、さりげなく姉さんの方へ目を泳がせると、孝之さんと私のやりとりを姉さんがじっと、見つめていた。
 気にはなったけれど、今はやめておくべきよね。

 二人の話を聞けば、私と姉さんを先に帰した後、平さんの勤める会計事務所に連絡し、お迎えをよこさせたとのこと。 それほど忙しくなかったからなのか、それとも含みがあるのかは分からないけれど、所長(平さんのお父さんだ)から「行ってこい」と言われ、嫌な予感を抱きつつ車で出向いたというわけだ。
 で、その予感は見事なまでに的中。荷物持ちだけでは済まず、退院祝いパーティーの買出しにも付き合わされ、荷物の量は病院を出た時の倍近く。 ……憮然面になるのも無理からぬところだ。まったくもう、孝之さんったら。

「さてと、これはひとまず置いといて、おい慎二、こっち来てくれ。始めるぞ」
 入院時の身の回り品などを詰めた、カバンやら袋やらをリビングの片隅に置くと、平さんと一緒に玄関の方からいろいろ持ってきては、テーブルの上に並べる。
「あ、私も手伝います」
 どう見ても単にスーパーなどで買ってきただけとは思えない、凝った作りの寿司やら料理の数々。こうしたことに不慣れなのだろう、おぼつかない手付きなので手伝うことにする。
 やがて、一通りの準備が整った。

「さて、もうそろそろか? 慎二」
「ああ、一足遅れで到着のはずだ」
 ……何の話? 考え始めたところへ玄関の扉が開く音。
「おお、揃ってるな。我ながらいいタイミングだ」
 え? お、お父さん? ちょ、ちょっとどういうこと?
「ん? どうしたんだ茜、おかしな顔して。遙も」
 やられた。
 姉さんと思わず顔を見合わせる。
 そして……。
「もう〜、孝之さん! お父さんまで引っ張り出してぇ〜。お父さんもお父さんよ、何が今日は大事な講義があるから頼むよ、よ。 始めっから仕組んでたんでしょ? みんなでぇ〜」
「そうか、遙も茜も何も聞いてなかったのか。やるね、鳴海君。平君も」
 や、やるねって、もう、お父さんまで。

「退院、おめでとう、遙」 
 そんな私をよそにどうやら始まったようだ。
 姉さんは……一緒になって笑ってる。
 半ば引っかけられたことに少し腹を立てつつも、そんな姉さんの姿を、笑顔を見られるようになったことが、今は嬉しい。
 そう、ここへ来るまでに、本当にいろいろなことが……あり過ぎたから。

 でも、その笑顔は、本当のものなの?
 さっきの言いようのない姉さんの、視線。
 ……不安が過ぎった。

「どうしたんだ、茜」
 顔に何か出ていたのだろうか、
  孝之さんが少し心配げに、私を覗き込んでいた。
「え? べ、別に何ともないですよ? やだぁ、そんなに変な顔してましたか?」
  心の中で大きく首を振り、不安を打ち払うように大げさな身振りで答える。
 今日は姉さんの退院の日。
 そして今は、そのことを祝う時、なのだから……。

「お、随分な時間だな。時を忘れるってのは、こういうことかな?」
 時計を見ると、夕方の4時半過ぎ。姉さんを迎えに言ったのがお昼前だから、かれこれ……。 そうね、こういう時間ってホント、過ぎるのを忘れてしまうものよね。
「それじゃ、このあたりでお暇させて頂きます。どうも、お邪魔様でした」
「じゃあ俺もこの辺りで。お父さん、今日はありがとうございました」
 孝之さんに続いて、平さんも席を立つ。
「いやいや、私の方こそ羽目を外しすぎてしまったようで、すまなかったね」
 ホント、すっごいはしゃいでたよね、お父さんったら。
 でも3年ぶりだものね、こんな楽しい時間を過ごせたのは。

「じゃあ、また折を見てお邪魔するよ。それまでな、茜。遙も体、大事にな」
「うん、それじゃね、孝之さん」
「う、うん、またね、孝之くん」

 玄関で二人を見送った後、リビングに戻りソファに身を委ねると、何やら祭りの後のような、奇妙に落ち着いた静けさが辺りを包み込む。

「茜、ここ、いい?」
 しばらくして、姉さんが私の隣にやってきた。
「うん、どうしたの? 姉さん」

 何だろう、姉さんの表情が暗い。
 時間が止まったかのように、沈黙が辺りを支配する。
「姉さん、あの……」
 たまらず、口を開こうとすると、
「楽しそうだったね、茜」
「……え?」
 私の言葉を遮るように、口にされた一言。
 何? 今、何て言ったの?

「やっぱり、3年もあれば……あそこまでなれるんだよね?」
 姉さん……。

「私はたった1ヶ月。茜は3年じゃ、較べようがないもんね」
 何が、言いたいの?

「………私とはできなかったことなんかも、しちゃったんだよね?」

「………!!」
 返す言葉が見つからない私の耳に、とどめの一言が届いた。
 どうして、どうしてそんなこと、言うの?
 やっぱり、さっき私と孝之さんに向けられた、視線の意味は……。

「……いいなあ、茜は」
 戸惑う私の心に、追い討ちの冷たい言葉の楔が……打ち込まれた。

back

Atto:2 崩壊

 古風な鐘の音の呼び鈴が鳴る。
「ごめんください、鳴海と申しますが」

 姉さんの退院の日から3ヶ月余り。
 今日は孝之さんを家に招待した。
 いつもは外で会うことにしているんだけど、割り勘でいいという私を制して、いつも孝之さんのおごりになってしまうのが心苦しくて。
 そこへ、「なら、招待してあげなさい」とお母さんが言ってくれたので、お母さん特製のアップルパイをぜひ食べに来て欲しい、と理由をつけた上で半ば強引に誘ったのだ。

 女性が男性を、しかも家族のいる自分の家に誘うのは、男性にしてみれば余りカッコがつかないものだよ、とは孝之さんの弁。
 でも今の私には、そうした一般的な男女論とは別に、孝之さんを家へ招くことに対する迷いと躊躇いが、あった。

「……いいなあ、茜は」

 退院の日、あのささやかなパーティーの後、姉さんがこぼした言葉。
 以来、それがずっと引っかかったままに、なっていたから。

「お邪魔しま〜す。よっ! 茜。お、遙もいたんだ、体の調子はどうだい? 普通の生活にはそれほど不自由しないくらいまで回復してるって、聞いているけど」
「う、うん。ありがとう、孝之くん」
 孝之さんの挨拶、明らかに姉さんに気を遣っている。そうよね、私から、なるべく姉さんのことも見て欲しいって、お願いしたくらいだから。
「あら、いらっしゃい。丁度いいところだったわ、はい、どうぞ。うまく、出来ているといいんですけれど」
「うわぁ、おいしそうですね。いいんですか? 頂いても……」
「孝之さん、そんなにせっつかないでよ。別に逃げてかないから」
 まったく、もう。こっちが恥ずかしくなってくる。
「茜、お茶淹れるから、手伝ってくれる?」
「はぁ〜い、ちょっと行ってくるね、孝之さん」
 お母さんのところへ行き、ティーサーバーとカップを載せたトレイをもらい、リビングの扉を開けようとした、その時だった。中から姉さんと孝之さんの声がした。

『………なんで、そんなこと言うんだよ、遙。お、俺は……』
『そう? 3年でしょ? 十分だよね、孝之くんが私から茜に乗り換えるには。だって、私はずーっと眠ったままだったんだもの。新しい彼女の一人や二人、欲しくなるよね。 それに聞いたよ? 孝之くんって、水月とも付き合ってたんだってね? 今は茜の方を選んでるみたいだけど』
『遙! 言っていいことと……』
『どうして、怒るの? いいじゃない、茜と仲良くしてあげてね。私はもういいから。』

「姉さん! やめてよ!」
  扉が壊れるかもしれないくらいの勢いで、私はドアを開け放ち、大声で叫んだ。
「あ、来たの茜。じゃあ、私はもうお邪魔よね。それじゃあね、……鳴海君」
 ……な、鳴海君? 姉さん、どうして……。

 呆然と立ち尽くす私の横を、無言のまま、嫉妬に満ちた一瞥を私に投げかけながら、姉さんは足早に自分の部屋へ引っ込んでしまった。
「……茜」
 そばに来てくれた孝之さんが、そっと、私の震える肩を抱いてくれた。
 涙が、零れ落ちた。
「……う、うぅ……ごめんな…さい。たかゆき…さん」
「うすうす、感付いてはいたよ。遙のことも見て欲しいと言うし、何より、今の今まで俺をこの家に招かなかった理由。 ……遙と、うまく行ってないのか? ……やっぱり」
「孝之さぁん……うっ、ひっく…うぅ………」
「ごめんよ、俺の方こそ、もっと気付いてやるべきだったんだ。まったく、情けないよな、俺ってヤツは。 一体、どれだけの人を傷つければ気が済むのか……ごめんよ、茜」
 背中から伝わる、優しく暖かい抱擁の感触。
 震えていた両手から力が抜け落ち、手にしていたトレイが床に落ちてゆく。
 陶器とガラスの砕ける音。

 ………それは、大切な何かも一緒に砕け散った音、だった………

back

Atto:3 逃避

「あ、茜。今、何て言ったんだ?」
 お父さんの声が驚きに震えている。
 ムリもないよね。
「うん。私……この家、出る。孝之さんがね、念願かなってかは分かんないけど、今のお店で店長候補の正社員になったの。 今まで以上に忙しくなるから、近くに部屋借りて住むんだって。それで、ね。一緒に住まないかって、言ってくれたの。……だから」
 半分は、本当のこと。
 孝之さんが、アルバイトをしていたファミレス「すかいてんぷる」で、店長候補として正社員登用されたこと。 けれど、だからと言ってわざわざ住まいを橘町へと移し、私と一緒に住むことの理由にはならない。
 本当の理由は、私のため。
 私の、無理を承知の上での「願い」のため。

 ……………
 …………
 ………
「孝之さん、お願い……助けて」
 その時、私はただ泣いていた。
「助けて……、助けて………」
 視界を覆う大きな胸に顔を埋めて、ただ、泣くことしかできなかった。
「……もう、耐えられないよぉ」
 私の背中に回された腕の、暖かく優しい抱擁に甘えながら、私は……泣き続けた。
 姉さんの余りの変わり様。
 あの日、孝之さんを家に招いた日以来、私と全く口を利いてくれなくなってしまったこと。
 それなのに、私が出かけようとするときだけ、「孝之くんとデートなの?」と、あからさまに羨望と嫉妬の入り混じった眼差しと口調を、私に向けて投げかけてくること。
 夕食の時などに、お父さんやお母さんが孝之さんのことを口にすると「そんな話、ここでしないで!」と怒り出し、早々に自分の部屋へ閉じこもってしまうこと。
 ……もう、イヤ。
 帰りたくない……、あの家に。

「一緒に……暮らそう、茜」
 え? 今、何て言ってくれたの?
「俺と一緒に、暮らそうよ」
 涙に濡れた顔で孝之さんを見つめる私に、確認するように繰り返した。
 一緒に、暮らす? 孝之さんと。
 つまりそれは、私が家を出る、ということ。
 その言葉に反応するように、かすかな躊躇いの震えが、私の体を包んでいた。
 躊躇い……。
 どうして?
 今、あれほど、あの家には帰りたくないって、思っていたじゃないの。
 それなのに、どうして躊躇う必要があるの?
「どうした、茜」
「え……?」
「……あそこへ帰りたくないんだろう? なら、俺のところへ来るしかないじゃないか」
 私は一言も「家を出たい」とは言ってなかった。
 でも、孝之さんは気付いていた。
「これが、いい選択とは思ってないさ。茜にとっては逃げ出すようなものだし、俺にしても、 そんなお前をあの家から連れ出すようなものだからな。けどさ……」
 逃げ出す……。
 そう、今の私はただ、逃げたいだけ。
 ……姉さんから。
「実はさ、俺、今のバイト先で正社員にしてもらえそうなんだ。そうなると、今まで以上に忙しくなる。 それで、通勤に便利なように、店のある橘町に部屋を借りようと思ってるんだよ。だから、さ」
 正社員になって忙しくなるから引っ越す。
 その言葉が私のことを気遣った、いわば「口実」なのは分かっていた。隣町とはいえ、今でも通勤に不便なことなんてないはず。 だって「部屋から近すぎていつ呼ばれるか、分かんねぇよ」と、グチをこぼしていたくらいなんだもの。
 それなのに、そんな「理由」をつけてまで、私を……。

 私はもう一度、孝之さんの胸に顔を埋めて、泣くことしかできなかった。
 嗚咽に交えて口にした言葉が、孝之さんの耳に届いたかは分からない。
 でも、孝之さんはそっと、私の体を包むように抱きしめてくれた。

 ……お願いします。
 それが聴こえたかのように……。
 ………
 …………
 ……………

 私は黙って、お父さんの顔を見つめていた。
 空気の流れまで凍結したかのような沈黙。
「あ、茜、何を言い出すの?」
 そんな場の雰囲気に耐えかねたかのように、姉さんが口を開いた。
 お父さんは口を閉ざしたまま。
「もう、お父さんも何か言ってよ。茜が、家を出るなんて言ってるのよ? ねえってば!」
 ソファから身を乗り出し、お父さんの肩に手を掛け揺すりながら訴える、姉さん。
 そんなに私が家を出ることに反対なの? 姉さん。
 私なんかいない方が、よかったんじゃないの?
「考え直せ……ないのか? 茜」
 お父さんの言葉に、私は、無言でうなづいた。
 ごめんなさい。
 私にはもう、こうするしか……ないの。
 逃げ出す……しか。
「……そう…か」
「お父さんってばぁ!」
 姉さんの叫び声。

 ごめん……なさい。
 もう、限界……だから………

back

Atto:4 代償

 早いもので、私が孝之さんと一緒に暮らし始めてから、半年が過ぎようとしていた。
 あの日以来、私は家と連絡を取っていない。……取る勇気も、ない。
 電話番号は教えてはいないけれど、橘町で暮らすことはお父さんたちも知っている。それでも何も連絡がないのは、 諦めているのか、それとも私から連絡をよこすのを待っているのか……。
 今、私は白陵大に通っている。結局、一番大事なときに理由はどうあれ調子を落としてしまったのだから、 実業団のフォレックスに行けなかったのは仕方のないことだ。 スポーツ推薦で白陵に進学できたのだって、奇蹟的と言ってもいいくらいなのだから。
 白陵大。
 柊町から逃げ出した私が、柊町の大学に通っている。
 それはまるで、早く帰って来い、と私を諭しているかのようだった。

 その人は、柊町の駅前にいた。
 肩口までのショートヘア。
「………水月…先輩」

「や、久しぶり。やっぱ、この時間で正解だったようね。全く、慎二君の情報なんてホント、当てになんないんだから」
 この時間で、正解?
「……待ってたん……ですか?」
「そゆこと。どう? 少し話……しない?」
 あっけらかんとした受け答えが、私に「断りはナシね」と暗に告げていた。

 駅前の喫茶店。
「随分になるね、遙の退院以来かな?」
  話のタイミングが計れず、しばしグラスのストローを玩んでいた私に、水月先輩の方から話し掛けてきた。
「え? あ、はい。そうですね、それくらいになるんですよね」
「うふふ、そぉんなに構えるコトないよ。そりゃ、私だってまだ完全に割り切ったワケじゃないけど、いつまでも引きずってるワケにはいかないでしょ?」
 割り切り……。
 そう、割り切れてないのは……誰でも同じ。

「孝之と、一緒に暮らしてるんだってね。慎二君から聞いたんだ」
「あ、はい。孝之さんが今の職場に便利だからって橘町に引っ越して、そこへ私を誘ってくれたんです。一緒に住まないかって」
「ふ〜ん、それで茜は、橘町から柊町の大学に通ってるってワケだ」
 遠まわしの口調が、それが理由じゃないでしょ、と私を問い詰めていた。

「……どこまで、知ってるんですか? 今の状況を」
 私の意地の悪い質問に答えるように、両肘をテーブルについて軽くこちらを睨みながら、先輩が話し出した。
「実はさ、この間、遙の家に行ったんだ。慎二君から気になることを聞いたものだから」
「え?! 家に……姉さんに……?」
 私の余りの驚きように、何も知らないのね、というような表情になる水月先輩。
「遙ね、もう普通に生活できるくらいまで回復してるはずなんだけど、ほとんど外に出てないんだって。 どうして? て訊いたら、知ってる人に会いそうだから、こわくて…ってさ。分かる……よね?誰のコトなのか……」
 私に会いたくないから、私に会うのがこわくて……出歩けない。
 そんな……。

「遙、後悔してたよ。茜に辛く当たってしまったことを、ね」
「え、姉さんが……?」
 やっぱりね、という表情で水月先輩が話を続ける。
「ふふっ、茜のことだから家と何にも連絡取ってないんでしょ。と言うより、取れない……よね。遙もそうだ、って言ってたもん」

 水月先輩は話してくれた。
 姉さんの胸に残る、孝之さんへの消せない想いが、私への嫉妬心へと取って変わり、孝之さんと一緒にいる私の姿に我慢できなくなって、 私はもとより、孝之さんにまであんなひどいことを言ってしまったこと。
 そのことを謝る勇気もなく、私と話をすることもできなくなってしまったこと。
 私の外へ出かける姿の隣に、孝之さんのそれが重なり、口に出してはいけない言葉を投げかけてしまったこと。
 「鳴海さん」それに「孝之さん」という言葉を聞くたびに、言いようのない寂しさからたまらず、場を制するように叫んでしまったこと。
 そして、私の家出。
 そのときになって初めて、そんな自分の振る舞いが私を追い詰めていた、と気付いたけれど、もう遅かった。
 後悔に打ちひしがれ、お父さんやお母さんとも、まともに話ができなくなってしまった。
 その上、白陵大に通っている私に出会うのが恐くて外へも出られない。
 ついには、電話のベルの音さえ恐くなり、家に一人のときは電話線すら引き抜いていたそうだ。

「うぅ………姉さん……」
 姉さんの余りの変わり様と冷たい態度に嫌気が差し、孝之さんという「ぬくもり」の中へ逃避した私。
 でも、私にはまだ、そんな「逃げ込める場所」があったのだ。
 姉さんには?
 好きだった人にやっと想いが通じ、これからという時に、交通事故。
 自分には何ら落ち度がないのに、3年間もの昏睡状態を強いられたばかりか、ようやく目覚めてみれば、想いを寄せていた人はこともあろうに、自分の妹と付き合っている。
 その3年間で私もお父さんもお母さんも、孝之さんも水月先輩も変わって行った。
 自分一人だけが取り残されたかのような、孤独。
 思えば、あの冷たい態度は、そんな孤独に耐えかねた姉さんの「ぬくもり」を求める、悲しい心の叫びだったんじゃないの?

 ………私を、一人にしないで………

 そんな姉さんに、自分は何をしたの?
 寂しさに押しつぶされそうな気持ちを、孤独に打ち震える心を理解しようともしなかった。
 それどころか、そんな姉さんの態度に耐えられないからと、ただ置き去りにして、逃げ出しただけじゃないの。
「私……何てことをしちゃったの? 姉さん……お姉ちゃん」
 悔恨という名の刺が、チクリ、チクリと私の心を苛んだ。
 姉さん……。
「……これさ、遙にも言ったことなんだけど、茜にも言うね」
 水月先輩が静かに、でも、一字一句に力を込めて言ってくれた。
「……今までのことはもう、取り返しはつかないかもしれない。けどね、私たちは気付けたんだよ。 そう、自分たちの間違いに気付けたんだから、これから良くしていこうよ。ね? 良くなると信じようよ」
 耳に届く声が次第に震えを帯びていく。
「……せんぱい」
 泣き濡れた顔を上げると、水月先輩も泣いていた。
「……茜」

 ありがとう……水月先輩。
 私がすべきこと……もう、分かってます。
 そのことを、孝之さんにも話そう。
 そう。

 ……家へ帰ろう。

back

Atto:5 絆、求めて…

「茜、大丈夫か?」
 繋いだ手に震えが伝わっていたのだろう、心配そうに孝之さんが声を掛けてくれた。
 目の前の大きな家。
 門柱に掲げられた表札を見る。
『涼宮』
 ……帰って、来たんだ……よね? 私。
 苗字の下、一緒に彫られた家族の名前に、熱いものがこみ上げる。
『宗一郎』
『薫』
『遙』
 そして……
『茜』
 まだ私は、「家族」なのかな? 「家族」でいて、いいのかな?
 孝之さんの指が、呼び鈴に伸びる。
 古風な鐘の音、懐かしい、響き。
「……はい、どちら様ですか?」
 ほどなくスピーカーから、お母さんの声。
 意思を確かめ合うように、一瞬、見つめあう。
「ごめん下さい、鳴海と申しますが……」

 ……………
 …………
 ………
 それは4日前。
 水月先輩と別れ、部屋に戻った私。
 夕食の席で私は言った。
「……今日、水月先輩に会いました」
 孝之さんの反応を見つつ、続きを口にしようとすると、
「何だ、茜もか。ははっ、全く、しょうがないよな俺たちって。こうして誰かに背中を押されないと、本当に何にもできないんだからな」
「孝之さんも、なんですか?」
「ああ、正確には慎二と会った後に水月と、だけどな」
 話を聞くと、連絡があったのは1週間前のこと。正社員になったこともあり、忙しくて時間が取れないのと、ちょっとした下心もあって仕事先で話を聞くことにしたそうだ。
 話の内容は、大体は私と似たり寄ったり。
 二人して、口をつぐんだ。
 姉さんの気持ちを理解せずに逃げ出した、私。
 それが良い選択ではないと分かっていながら、そんな私のわがままを受け入れた、孝之さん。
「……茜」
 そんな悔恨と自嘲の入り混じった沈黙を、孝之さんの一言が打ち消した。
「……何?」
 訊き返しはしたけれど、何を言い出すのかは分かっていた。
 それは……

「結婚しようよ」
 そうして、今の私と孝之さんの関係をはっきりさせよう。あやふやな付き合いをしてきたことが、誤解を生み、互いの溝を広げていたのだから。
 だから、ここから始めるんだ、と。
「……うん」
 それ以上の返答は要らなかった。
 孝之さんも分かっていたのだ。
 ……それなら。
「でね、孝之さん。私、考えてること……あるんです」
 それは、家に帰ること。
 もう一度、お父さんとお母さん。そして、姉さんと一緒に暮らすために。
 孝之さんが何を言い出すのかな? と、こちらをじっと見ていた。
 気付いてるよね、多分。
「あの……ですね」
「待った、それ以上言わなくてもいいよ、茜」
 やっぱり、ね。
「……実家で、暮らしたいんだろ? お父さんやお母さん、それに、遙と」

「……うん!」

 これが、今の私たちが出した「答え」です。
 これでいいんですよね? ……水月先輩。
 ………
 …………
 ……………

 そして今日、私と孝之さんは、二人で決心したことを報告するために、長らく遠ざかっていた「家」を訪れた。
 決心。
 それは孝之さんとともに、これからを歩んで行くこと。
 そして……
 思いを巡らそうとしていたところで、静かに扉が開いた。
 お父さん……。
「久しぶりだね、鳴海君。それに……茜」
「すみません、突然お邪魔いたしまして」
 お父さんからそれ以上の言葉はなかったけど、さあどうぞ、とさりげない仕草で私たちを招き入れてくれた。
 懐かしささえ感じる応接風のリビング。
 私の隣に孝之さん。
 その向かい側、孝之さんと対面するところにお父さん。
 お父さんの隣は……姉さん。
 つまりは、私の向かい側だ。
 私たちの様子を窺いたいのだけれど、顔をこちらへ向けられないのか、向けたくないのか、時折、上目遣いでチラリ、チラリと見ている。
「まずは、謝らせて下さい。俺の身勝手で茜を連れ出したまま、今の今まで連絡一つ、よこさなかったことを」
 孝之さんがソファに腰掛けたまま、頭を下げる。
 身勝手。
 それを責められなければならないのは、私。
 身を乗り出そうとした私を、今日はそれを言いにきたんじゃないだろ? と孝之さんが片手で制した。

「回りくどいことを言うつもりは、ありません。単刀直入に、言います」
 いきなり言うつもり? 孝之さん。
「お父さん、お嬢さんを、茜を俺に……下さい」
 結婚させて下さい、ではなく、下さい。
 でも、ある程度は予想していたのだろう。一瞬、驚きを浮かべたけど、すぐに穏やかな表情に戻った。
 姉さんは……
 言葉が出ない、という感じ。凍りついたように、こちらを見つめている。
「……鳴海君であれば、茜を任せられるね。よろしく、お願いするよ」
 お父さん……。
 まるで他人事のような返答。
 それは、ここに来るまでに失われたものの大きさを、無言のうちに語っていた。
 ………だから。
 孝之さんと顔を見合わせる。
 あのことを、言おう、と。
「それで、結婚後のことなのですが、よろしければこちらに、この涼宮家に住まわせて頂けませんか? もちろん無理にとは言いませんが、これが今の俺……私たちの出した、答えなんです」
 努めて平静を取り繕っていたお父さんの顔が、みるみるうちに驚愕に引きつっていく。
「な、鳴海君。しかし……それでは君たちが……!」
 今まで以上に辛い思いをするよ、と言いたそうな顔。
「……茜が、帰りたがっているんです。お父さんやお母さん、それに遙と一緒に、もう一度暮らしたい、と。まあ、茜がと言いましたけど、実は、俺も同じ思いなんですよ」
 もう一度二人で顔を見合わせた後、孝之さんが穏やかでありながら、決然とした表情でお父さんへと向き直る。
 そして。
「……分かって頂けませんか? 今の私たちの答え、気持ちを」
 長いようで短い沈黙。
 お父さんが深く、頭を下げた。
「娘を……茜を……よろしく、お願いします。それと、こんな私たちですが、どうか、末永く……お付き合い下さい」
 光る雫が一つ、零れ落ちた。

 夕の帳が降りつつある庭先。
「姉さん、体、冷えちゃうよ。中、入ろうよ」
 白く染まる息。
「姉さん?」
「茜。ホントに良いの? 私、こんなだよ? それに、私……まだ」
 それは、私と孝之さんとのこと。
 ……消せるはず、ないものね。
 だから私は、こう言ったの。
「……水月先輩に会ったんだよね? そのとき言ってくれた言葉、憶えてる……よね? 私たち、やり直せるよね?  もう一度……、もう一度……やり直せるよね? 姉さん……」
 涙声になっていくのが分かった。
 それを見つめていた姉さんの瞳からも涙がこぼれ、その雫を星屑のように散らしながら、駆け寄ってきた。
「……茜、ごめん、ごめんね。私、わたし……」
「ううん、姉さん。謝るの私の方だよ。姉さんの気持ち、全然分かってなかったんだもの……ごめんなさい、ごめんなさい」
 もう、言葉は出なかった。
 ただ、泣いた。
 抱き合って、泣いた。
 一度は切れてしまった絆の糸を、互いに繋ぎ直そうと……
 嗚咽の二重奏に、二つの声が重なる。

「………おかえり、茜」
「………ただいま、姉さん」

back

Atto Fine 誓いのヴァージンロード

 大きな樫の木の扉が見える。
 その向こうに広がるのは、続くのは、私たちを招く真紅の絨毯。
 永遠の誓いを立てる祭壇へと、二人を招く、道。

「さあ、行こうか、茜」
 孝之さんの声。
「……うん」
 静かに、ゆっくりと、確実に……
 そのぬくもりを確かめるように、繋いだ手に、絡めた指に、力を込める。

 そっと瞳を閉じると、浮かび上がるのは迷い、苦しんだ日々。
 そこから逃げ出した、自分の姿。
 その逃避がもたらした、代償。
 失われた、絆。

 それを取り戻すために……
 もう一度、始めるために……

 ゆっくりと、扉が開く。
 誓いのヴァージンロードへと二人を招く、扉が。

 今こそ、全てが始まる時。


 ………絆を、もう一度、取り戻すために………


〜Fin〜

≪あとがき≫

 茜ちゃん聖誕祭用に書いた「だから今は、祝福を…」も個人的には結構、気に入ってる作品なのですが(ならナゼ改訂する?はナシね^^;)、 茜ちゃんと孝之がどのようにして「ふたり」で描いた状況になったか?が書き足りなかった(というか、それが当初のプロットだったりします)ので、 今回、茜ちゃん視点での後日談を書いてみよう、ということになりました。
 内容的には、特に後半部分で「だから〜」とカブるところもありますが……。
 ちなみに茜ちゃんが白陵大にスポ薦で進学した、というのは私の勝手な創作です(もとでは進路は明確ぢゃなかった気が……)
 にしても、重い話っス(は、遙が……)。これをキリリク用に書く私って……(汗)

「SSのお部屋」へ戻る