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時々現れる松並木。
樹形が日本のとは違います。 |
ローマ時代の水道橋? |
これもなんだか古そうな
崖の上の城砦? |
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30分ほどでしたが、古い遺跡のような建造物を右に左に見ながらのドライブでした。
やがて街の中に入り、高架橋が見えてOrteの駅が近くなりました。(ユーロスターか高速A-1の高架橋?)
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Orte駅はローマからフィレンツェ、ミラノへ行く幹線の駅で、特急も止まる大きい駅です。前に来た時フィレンツェへはここから行きました。
切符は買いますが、改札はなし、自分で機械に突っ込んで日時を刻印するのがヨーロッパ式の鉄道です。したがって送迎の人も入場券無しで自由にホームへ出入できるということになります。
20分遅れているので、その旨携帯メールでローマのフランチェスコに連絡をしてもらいました。
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ホームの列車表示板。「ローマ・テルミニ行き14:02発 20分遅れ」を表示しています。
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ここでSusyとStefanoとも別れ、私達だけでRomaへの約45分の旅です。列車は昼間でもあったのですいており、大きな荷物を持った身としては気楽でした。
Roma・Terminiへ着くと凄い混雑で、フランチェスコと会えるか心配でしたが、彼がすぐにカートを持って現れ、無事再会することができました。彼の話によればストライキが有った様で、列車も遅れ、混雑が激しいのだとか。
彼とは、最初に名古屋で会い、前に行った時に避暑中のBracciano湖畔のVillaで会ってから3度目8年ぶりの再会です。名古屋で会ったのは、愛知芸文センターの柿落としのオペラ公演に来日していた時でした。彼はローマ・オペラのオーケストラでビオラを弾いている人です。この日も直前まで練習があり、夜は公演があるという間隙をぬって会ってくれたのでした。
一仕事終った後、自宅で昼食という余裕があったようで、彼の自宅で昼食をする予定にしてくれたのでした。彼の車に何とか3人分の荷物を載せてTermini駅を出発しました。
道中彼いわく「9月に日本に行っていたのですよ」。そういえば、前に来た時と同じプログラムで東京と大阪で公演するということを新聞かネット上で見て、彼も来てるかなと思ったことがありました。万博公演なんてのもあるかと期待しましたが、残念ながら名古屋は飛ばされました。
http://www.operaroma.it/ オペラ座のサイト;彼の名前もありました(^^♪
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Terminiと云えば映画・終着駅を思い浮かべるのですが、その面影は無く超近代的な増築がされており、彼に云わせると「(写真を撮るような)名所じゃない」様ですが、車窓から撮ったのが左です。
しばらくローマの中心街を通りましたが、観光客が多く(日本人の団体さんも歩いていました)、いつも混んでいるローマでした。彼の自宅はコロッセオの近くのようで、コロッセオを時計回りに廻ってから坂を登った住宅街の中の落着いた感じのマンションの6階でした。
コロッセオの近くで何やら時代めいた衣装を着てパフォーマンスをしている一団がいました。
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彼の自宅からの眺め
落着いた建物が多く
彼の所もエレベータの
扉は手で閉める
由緒ありそうな建物でした。 |
2番目の子供
お母さんは、ダンスの先生を
しているので、
普段はお手伝いさんが
見ている様です。 |
上の子供
小学校2年くらい、学校で
剣道を習っている。
前、会った時は、まだお母さんの
お腹の中にいた子です。 |
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居間で記念の一枚。芸術家のご夫婦らしく、落着いた雰囲気と絵画がステキな部屋でした。
奥さんは勤めの都合で、少し遅れて帰る予定でしたが、渋滞に巻き込まれて大幅に遅れて会うことが出来ず残念でした。
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時間が経つのが早く、奥さんには会えないまま空港へいく時間になりました。彼の家の近くの広場と教会はちょっと有名らしく、途中下車して説明をしてくれました。サンタマリア教会と広場と聞いたのですが、後日ローマの地図で調べてみたのですが、詳細の場所は掴めませんでした。
夕闇が迫り、一方通行の道やトラムが通る混雑する市内を20分くらい走り、国鉄のTrastevere駅(これは切符の刻印で確認)へ送ってもらい、ここから普通電車に乗って空港へ向かいました。駅に近ければこれが一番早く確実に行く方法だとか、約20分で空港駅へ到着しました。
空港ではチェックインの場所が分りにくく手間取りました。また搭乗する飛行機のチェックインは2時間前ぐらいからと思っていたのに、何と4時間ほど前から受付けており私達が行った時はほとんど並んで待っている人は居ない状態でした。
したがって席も3人一緒とはいかず、1+2になってしまいしました。でも、カウンターの前で搭乗までの案内を印刷した日本語のプリントをくれ、またカウンターの若いイタリア人の男性は日本語がうまく、あまり迷わず手続きができました。
この後は21時10分出発で、食事をしたら後はひたすら眠ることに専念して、日本へ帰りました。
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