結婚式の前

(準備のお手伝い)

 空港から滞在地Viterboへ着いたのはもう21時近かったのですが、ご両親への挨拶をしなければということで、宿泊するB&B(別項で詳細報告)へ行く前にご両親の家へ直行しました。前に来た時は、Viterboから30分ほど行った郊外のSoriano nel Cimino に住んでいたのですが、今は市内に住んでいます。

 夕食を作って待っていてくれたパパ、ママと挨拶をして夕食をご馳走になりました。随分遅い夕食と思えますが、イタリアではこれくらいが夕食の普通の時間で、少しVino(Wine)も飲んでゆっくりと食事をします。

 私達は結婚式当日より2日前に来ているので、何か手伝えるかと思っていましたが、私達に打って付けの頼みを引き受けました。明日はそれをするために、またパパ・ママの家に来ることにしてその日はB&Bへ引き揚げました。

 次の日の朝、B&Bで自炊の朝食を摂り、Susyの妹エリザベッタ(Betta)の迎えで、彼女の勤める宝石店へちょっと寄ってからパパのスタジオへ。

 パパのスタジオは前と同じ所、前と同じ姿で懐かしい所です。パパ・ママの家と私達のB&Bのほぼ中間にあり、(それぞれ7,8分の距離)以後どこかへ出かける時は「スタジオで集合」が合言葉になりました。
 
 スタジオから家への道。Viterboの旧市街(城壁の中)は、幹線道路はもう少し広いのですが、こんな雰囲気の街です。数百年経ったかと思われる石造りの街並みです。

 この道を何度か往復しました。古い町並みとピカピカの車(8年前より車は新しいものが多いようなになったような気がします)、ちょっとバランスが取れないようですが、これがイタリア流?駐車は許可を貰った地区住民しか出来ないようです。
 旧市街から新市街へ出る門。ここは城壁の切れ目という感じですが、ローマやフィレンツェに通じる道路は立派な門がありました。
 パパ、ママの家のから見た新市街(城壁の外)の住宅地。郊外は1戸建てが多いですが、中心に近いところはこうした共同住宅が多いようでした。

 SusyとStefanoは式へ参列してくれる他の人たちを空港や駅へ迎えに行くのに大忙しで、2日間はほぼ私達とママ達と過ごすことになりました。
 前日にSusyから頼まれのは折鶴作り。100は作ったからあと30くらいとの注文でした。参列者へのプレゼントに添えるのだとは聞いていますが、これをどう使うのか、興味津々でした。

 この日は雨が降ったり止んだりで、外へ出る雰囲気ではなかったので丁度いい「お仕事」でした。
 そして次の日はもっと重要な依頼を受けました。

 披露宴のテーブル案内(席次表)を作ることでした。「日本が大好きな私達ですから、テーブルの名前は日本食の名前にして欲しい!」という難しい?注文付です。

 東京から来たAnnarita(An成田です、と紹介してくれたので名前は直ぐ覚えました)もいっしょに悩みながら?作りました。彼女は東京の語学学校でイタリア語の先生をしているそうです。
 日本語ペラペラの彼女とはいろいろと話が弾みました。気になったのは、ユーロに変わってから物価が上がり(便乗値上げ?)、若い人たちは金銭的に大変で、彼女自身、東京での生活の方が楽だとのことでした。

 私達が書いたテーブルの名前の下には、参列者の名前をBettaちゃんが書きましたが、午前2時までかかった!と云っていました。
 作業がひと段落してお昼です。パパやエリザベッタも仕事から帰り、ママが作ったお昼を一緒に食べますが、今日はパパは遠くへ仕事に出かけたようです。

 昼食は時間は午後2時頃が普通です。Vino(Wine)も少し飲んでゆっくり楽しみます。まさしくイタリア流のスローライフでした。
 昼食が済んだ頃から明日の式に出る親戚が続々集まってきて、家の中は一杯になりました。

 Susyの一家は北イタリアの出身で、ほとんどミラノ周辺に住んでいる人たちで、1、2泊の予定で来ているようでした。

 この時はまだお天気は雨が降ったり止んだりではっきりしていませんでした。
 
 そこで私達は、キッチンペーパーでテルテル坊主を作り、窓にセロテープで留めて、テルテル坊主の歌を歌ったのでした。この歌が効いて(ホント)、翌日はもうこれ以上のいい天気は無いくらいに晴れ上がったのでした。

 この後、私達は若い人たち(Susyの従兄弟達)と一緒に近くに出来た大きなショッピングセンターへ買物に行きました。