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              2000年5月5日の日記

 P.ピトンの受付カウンターで、数ある観光案内のチラシの中から面白いものを発見しました。「北アルプスの里パスポート Northeran Alps Passport」 がそれです。「周遊バスに乗り放題!北アルプスの里、自由自在!」のパスポートは、小谷村へも運行しているのを発見し、移動手段はこれと!決めました。とんでのないくらいお得なパスポートでした。詳細は次のURLで分かるかと思います。

   北アルプスの里観光情報
  http://www.icon.pref.nagano.jp/usr/ro-kitaazumi/kanko/main.html

 白馬駅まで「塩の道」を歩いていこうと、歩き出したもののちょっと迷ってしまい、本当に塩の道を歩いたのはほんのわずかだったようでした。駅前の松本電鉄の案内所で前出のパスポートを手にし、バスを待ちました。来たバスは大型でピカピカの観光バス、なのに乗ったお客は数名でしたのでなんとなく申し訳ない感じでした。

 国道を南小谷の駅に向かって走り出し、松川にかかる橋からは雄大な白馬連峰を見ることができました。南小谷駅では乗る人無し。山間の、電車とディーゼルを分けるこの駅は十数年前とほとんど変わっていないようだ。今来た道を少し戻り、千国の里へ向かって姫川の狭いがけっぷちの道を斜めに登ります。千国入口でも乗り降り無し、里をかすめるようにしてバスはどんどん高度を上げます。途中、娘を連れて夏の行事に参加した時に、工作をしたり、きもだめしの会場になった神社などが見えます。白馬乗鞍のスキー場前について、私たちはバスを降りました。

 ここから白馬アルプスホテルまで少し登りがあります。冬になればゲレンデの中になってしまう所ですから、樹木は少なく一汗かきそうになってホテルへ到着。

 今を去る一昔、1979年12月9日にここで「ちょっとした事件」があったのです。犯人は犯行現場へもう一度訪れるとか、私たちもその例にもれずでしょうか。もっとも現場への再訪は既に2年後に1回、その後家内と千鶴ともう1回来ているので何回目かの訪問ですが懐かしい場所です。

 フロントで昔お世話になったMさんへの取次ぎを頼むが、Mさんは多くてと困り顔、それではと××さんと屋号で訪ねてみると、それなら分かる。「M部長さん・・・」、と館内放送をかけてくれた。Mさん偉くなったんだね、と家内と話していると程なくMさんが現れる。ひとしきり昔話に花が咲き、ご両親の事をたずねるとご健在との事、送るからぜひ会っていって下さいとの言葉に甘えて昼食後に送ってもらうことにする。

 事件の現場のことをたずねると、ちゃんと残っているという。では早速と現場確認に出かけることとする。確認結果は多くを語りませんが、下の写真を見て想像をしてください。現場は、ホテル付属のセントネージュ教会です。

     
           現  在               事件当日
 玄関横の白樺が大きくなっていました。後ろの樹木も大きくなっています。20年の歳月を感じる風景です。

 ホテルへ戻り、ちょっと奮発するつもりの昼食が、日中はお客さんがほとんどいないという事で、簡単なメニューしかありませんでした。財布の負担は軽く、損したような得したような気分。昼食をすませて、Mさんにご自宅までお送りいただく。途中は登ってきた時とは違う道で、2,3年前の豪雨禍の復旧跡が生々しい道でした。結局、千国の里まで戻ったことになりました。

 Mさんご両親、奥さんみなさん健在で、しばし昔話に花が咲きました。


千国の家族

 十数年ぶりの再会。この前は千鶴が囲炉裏のある部屋で、カタカタを押して遊んだ。本人はもちろん覚えていない。
 啓子の背には、なついた猫が乗っかっている。


 しばし歓談の時を過ごした後、再度周遊バスに千国入口から乗る。来た時と同じバスでガイドさんと運転手さんも同じ。怪訝そうな顔をしているのが面白かった。再び、白馬乗鞍を過ぎて栂池高原、岩岳と高原地帯を走り、八方でバスを降りて次なる目的地、ラフォーレ美術館へ歩き出したもののこれは少々長く、しかも上天気の中で暑く、いささかあごが出た頃に到着。

 美術館は、シャガールを収集している所で、少々大人向き?の雰囲気でしたが落ち着いたいい雰囲気でした。

 美術館を出た後は、聖白馬教会の礼拝堂地下にあるティールームへ寄ってアイスクリームを食べました。地下といっても南面、西面はなだらかに掘り下げてあり、席から見上げると斜面の上に、白樺林が見えるという不思議な構造をした建物でした。アイスクリームは紙カップごと出てきましたが、地元産の物で、まぁまぁうまかったと評しておきましょう。

 P.むくの実へ戻り、一風呂浴びて夕食でした。オーナー夫妻が腕を振るったメニューはとてもおいしかったです。その夜は昼間よく歩いた疲れもあって9時前には眠りに落ちてしまい、家内と娘が夜な夜な、またお土産屋さんへ出かけたことは全く知りませんでした。

              2000年5月6日の日記

 5月6日は帰るまでの時間を、再び弟に来てもらってあちこち案内してもらいました。のんびりとボチボチ書いていたら月が変わってしまい、記憶が定かでなくなってしまったので、連れていってもらった所を簡単に記すのみにします。

 大出の吊橋、姫川にかかる吊橋で、橋を入れて白馬三山を撮ると良い構図になるというのでカメラマンがや絵描きさんがたくさんいました。私にとっては、ここでカワガラスを見たのは良い拾い物でした。姫川の清流を翔ぶカワガラス、絶対絵になりますね。

 飯森のザゼンソウ園、ここは5日の早朝探鳥ですぐ近くまで来ていたところです。ザゼンソウが満開で、尾瀬にあるような木道が作ってあって湿地帯を巡ることが出来るようになっていました。この後ミズバショウも出るのかというとそうではないようでした。ザゼンソウ園まつりをやっており、見物人がちらほら来ていました。今年は花のシーズンが遅れていて今が満開ということでラッキーでした。

 白馬47スキー場

 今シーズンはもうまもなく営業を終了するというスキー場へ行きました。
 娘は出来ることなら滑りたそうでした。
 弟は昨日はここで1日滑っていたのだとか。他にも営業をしている所がありましたが、ここは北斜面のため、里に近いながら比較的遅くまでコンディションが良いようです。

 スノーハーブ、どこかで聞いたようなこの名前を覚えている人はもう少ない?ことでしょう。長野オリンピックのクロスカントリー競技場です。雪もない今は未整備の陸上競技場?の感じでした。つわものどもが夢の跡の趣でした。

 お昼頃までいろいろ見せてくれました。帰りは家内は前橋の実家へ行くため、直行バスで長野へ、私と娘は「しなの」で自宅へ、弟は浜松へ、とそれぞれに白馬駅前で別れました。久しぶりの信州への旅は一応のピリオドを打ったのでした。

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