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イ タ リ ア で の 探 鳥
1997/8/17 --1997/8/27

佐藤 文昶

 

 1997年8月17日から27日にかけて、家族でイタリアへの旅をし、ラッキーなことに私だけの体験として探鳥へ出掛けることができました。

 以下は、その珍?探鳥道中記です。
 

イタリアヘ行く目的と準備

 今回の旅は鳥を見に行くのが目的ではなく、家内が3年前にホームスティしたイタリアの家族を、向うからの誘いで今度は家族で再訪することと、日本であったことのあるイタリアの人々を訪ねるのが目的の旅であったのですが、バーダーの習いとして一応双眼鏡とフィールドノートと図鑑(日本のですが)は持参しました。

ホームステイ先の家族

 2、3日はホームスティした家の近くのオリーブ畑を見て回るのみでしたが、アマツバメみたいのとカワラヒワに似たのがいるくらいで、たいした鳥はいなくてちょっとがっかりしていたのが通じたのか、パパ・ビガンゾーリ氏(以下B氏)が「近くに鳥を見ることができる湖がある。明日の朝行くか?」と探鳥に連れて行ってくれることになりました。

 B氏は私と同い年の写真家で、レンズに共通項があるようですが、日本語・英語ともほとんどだめ、私もイタリア語は十数語?であまり会話の無い珍道中になるのは予想されましたが、それより予期せぬ探鳥に行ける喜びの方が優って即座にOKを出しました。(娘さんが、ローマ大学の日本語科の学生であり彼女が家にいる時は問題なしなのですが。)

早朝の出発

 8月22日早朝5時に出発ということで、午前4時半には目覚時計も無いのにちゃんと起きて、2人でカフェオーレ(イタリア語ではカフェラッティ)とパンだけの朝食をとり、ちょっと甘いクロワッサンのようなパンをポケットに1個ずつねじ込んで予定どおり出発しました。

 イタリアは今夏時間でもあるのですが午前5時では真暗で、車のライトだけが頼りの山道を小1時間ドライブし、目的の湖畔へ着きました。

 しかし観察施設の有る所がわからず、湖周辺の農場に作業に来た人に場所を訊ねたりしましたが、案内板を見つけ車を降りたのが午前6時を少し過ぎた頃でやっと空が白んでくる時刻でした。降りる時、長靴を履けと手渡され、その用意万端に涙の出る思いでした。

探鳥地−Lago di Vico

 降りたところはLago di Vicoという湖のすぐそばで、岸辺に近い水面には大きく育った葦が一面生えており、その水辺近くに間伐材くらいの丸太で作った幅15mほどのブラインドが設置してありました。ブラインドは床もきちんと付けてあり、観察窓も大人から子供まで観察できるように高低差を設けて、材木が一部抜いてあるという中々良く出来たものでした。

 また傍らには1.5m×3mくらいの案内板があり、湖の図とそこで見られる鳥の絵が書いてありました。後で調べるつもりでビデオに撮ってきたのですが、薄暗かったので色彩が出なかったことと、学名(ラテン語)ではなくイタリア語で書かれていたのではっきりしないものもありますが、カンムリカイツブリ、マガモ、ヒドリガモ、コガモ、オオバン、バン、アオサギのほか2種類の絵が画いてありました。

 湖は海抜510mであり、標高もそれ程高くなく、ローマから北へ50km程度で緯度は北海道くらいであることから、まだこのシーズンはあまり種類はいないものと思っていましたが、オオバンとバンがたくさんいて、他にマガモらしきペアが一緒に泳いでいました。他に杭の上でじっとしている白っぽいカモの類と葦原の中におびただしい数のムクドリ大の鳥がいました。ムクドリ大の鳥(ちょと遠くて双眼鏡だけでは分りにくかった。)は夜明とともに数百羽単位で飛び上り岸辺の大木に一旦止って、その後餌場へでも行くのか遠くへ飛立って行きました。

 B氏の話によるとこの湖は、ヨーロッパとアフリカとの渡りの中継地になるようなことを言っていました。(はっきりわかった単語はアフリカだけでしたが、身振手振りを交えるとそんなことを言っているようでした。)

 その後お互い気の向くまま歩き回っていたら、B氏は岸辺に沿った牧場で馬を見ていたし、私は少し丘の方(これも後から考えると放牧場だったようです)へ行って、さっきのムクドリ大の鳥を追っていましたが、1時間ほどして車に戻り帰途につきました。

帰り道

 帰り道に、ナッツと栗(ナッツはナチョリーナ、クルミはノチェ、栗はカスターニョと教えてくれました)の畑の間をとおり抜けるところにかんばんがあり、“Riserva Naturale Lago di Vico”としてありました。どうやらVico湖は自然保護地区?見たいになっているらしいのです。どおりで人家は無く農園か牧場しか目に付かなかったようでした。

 かくして午前8時頃家へ帰り、日伊合同?の探鳥は、葦の向うに鳥がtanto tanto、水面にはpoco pocoで、無事終ったのでした。

話は変りますが−イタリア人の環境問題意識

 さて話しは変りますが、ローマへ名所巡りに行った時に気づいたことですが、ゴミの分別収集をしっかりやっているなということが目につきました。

 ビガンゾーリ家はローマから離れること七十キロ程の田舎の村はずれにあるのですが、出掛ける時にその時発生しているゴミを車に積んで数キロ離れた本通りのある、吊鐘のような格好をした人間の背丈ほどもある大きな分別収集の容器へ運んでいました。

 またローマのバチカンに近い目抜通りにもこうした容器が十個くらい並んでいました。つまり皆が一定のわかりやすいところにある個所に置いてある分別収集の容器まで運ぶのが決りの様で、それが町に住む人だけでなく片田舎に住む人にまで徹底しているという印象をうけました。

 イタリアも日本と同じような財政問題や、ちょうど行った頃は2004年五輪がどうなるかの直前でしたから、これを期に環境問題もクローズアップしていたのではないかと思いますが、どうも我々の対応より一歩進んだ臭いものには蓋をせず、皆で一致して対応をしているなという光景を見せつけられた思いでした。

付記−旅の主目的−人々との交流

 なお、旅の主目的であったイタリアの人々との交流は、バカンスシーズンで予定していた3家族の内1家族(ちょっと前に来名したローマオペラのビオラ奏者の人)としか会えませんでしたが、滞在したビガンゾーリ家は入れ替り立ち代り同家の親戚やら知人が訪れてくれ、新たなる交流を生むことができ、それは楽しい旅となったことを付記しておきます。

(追記)

 文中、マガモらしき と書きましたが、最近鴨池通信(インターネット版)を読みましたら今年はマガモの渡来が早いようで、8月22日にはもう鴨池へ来ているようです。ということはイタリアでもマガモは既に渡ってきていたとしても不思議ではなく、マガモらしき ではなく、マガモだったようです。

                                         以   上

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