大正 9年 初代梶原重夫が現地にて鶏200羽を導入。養鶏業を始める。
大正10年 鶏800羽に拡大し、当時としては極めて規模の大きな養鶏事業の先駆者として先鞭をつげる。
大正11年 3,000羽規模の孵化機を導入し、大分県養鶏産業及び本社種鶏孵化場の礎を築く。
昭和 4年 アメリカから新型孵卵機を導入し、当時年間1羽180卵程度の生産しかなかったものを260卵
程度まで高め、梶原種鶏とも言うべき優良改良品種の育成に成功。
昭和36年 外国産優良品種の原種鶏輸入を初め、2ヶ所の種鶏場で約5,000羽を飼育し、1週間に約7,0
00羽を 孵卵させるようになる。
前社長梶原敏彦がヨーロッパにおいて1年6ヶ月鑑別に従事。外国における養鶏、孵卵、鑑別の
研究研修を行う。
昭和39年 カナダのシェーバー社と特約契約を結ぶ。
昭和42年 株式会社組織とし、初代会長梶原重夫、初代社長梶原敏彦を決める。
初代会長梶原重夫は数回にわたり、アメリカ・東南アジアに訪問し、養鶏・孵卵の研修視察を行う。
昭和48年 久住三本松種鶏場開場。
昭和50年 初代会長梶原重夫・叙勲
昭和51年 創立50周年記念行事として、新孵卵工場・創設者梶原重夫の胸像建立及び記念祝賀会を行う。
昭和52年 久住第2種鶏場完成。
昭和55年 豊後ファーム開場。本社孵卵工場全面増設改装。
昭和62年 日出種鶏場開場。
平成元年 神宮農場買収。
平成 3年 70周年講演開催。
平成 5年 神宮農場開場全面改装。
平成 7年 本社農場全面改装。
平成10年 糸口山農場買収。
平成12年 新社屋完成。
平成14年 長洲農場買収、全面改装。
平成16年 会長に梶原敏彦・社長に梶原廣志が就任する。長洲鶏糞プラント完成。
平成17年 長洲農場2期工事 着手。 現在に至る...