ゆうるり




 エル・ヴァンロッド、現在十七歳。
 海を越えてやってきたこの国に当分暮らすことになって二週間。前にも何度か来ていたし、文化や言語は親父であるジェイから教わっていたので大した問題はなかった。

 それにしても、この国の女は揃いも揃って寸胴短足ずんぐり体型にインパクトのない顔ばかりでまったくそそられない。英国の女に比べていいところといえば肌が綺麗なことくらいか。異母姉の沙霧を見てしまったから余計そう感じるのかもしれない。が、それにしたって日本語でもまともな会話ができない時点で論外問題外。

「…………」

 仕事が早く終わったので、近場をぶらついてから帰ろうと思っていたら、衛明館の端にある沙霧の部屋の縁側に赤いものが見えた。あの庭はいろいろな木が植わっているが、俺が今たっている位置、俺の目線からはちょっとした垣根越しに縁側が見えるのだ。
 その赤はこの国でよく見る朱赤ではなく、最高級の赤薔薇によく似た深い紅。ガーネットレッドというのがしっくりくる色だった。

「ほーらほら。こっちだこっちー」
 縁側に座って、赤い髪の人物が猫とじゃれている。ねこじゃらしをフリフリして、数匹相手にやたら楽しそうなご様子。
(男……いや、女?どっちだ?)
 沙霧の部屋の縁側で隊士ではない人物がくつろいでいるのがそもそも謎。俺の足は自然と裏門から庭に入っていた。

 俺の足音に気づいた猫たちは、一目散に逃げてしまった。悪魔使いの俺を本能的に避けたんだろう。いつものことだ。俺や親父は悪魔の気配を完全にガードしてからでないと、ライオンでも熊でも逃げられる。 

「あれ、ジェイ?…なんか日に焼けて人相も変わった?」
 赤い髪が軽くなびいて――振り向いた顔が予想よりはるかに別嬪で俺は一拍出遅れる。
 大きな金目に、ピーチピンクのベイビースキン。目じりがやや上がっているが、目の大きさゆえに流し目というよりは小悪魔的な猫目だ。
 明らかにこの国の人間じゃない。が、どこの国でもこんな容姿の奴は見たことがないぞ。

「どうしたんだよ。むっつり黙って。おーいジェイー」
「俺はエルだ。ジェイは親父」
「は?」

 金目をぱちくりさせて俺を見上げてくるそいつは、濃紺のシンプルな着流しをまとっていた。男物だ。ってことは男なのか。確かに胸らしき膨らみはない。

「ここ、沙霧の部屋だろ。お前誰だ?何でここにいる」
「……朱雀。前から沙霧と一緒に暮らしてる」
「一緒に暮らしてる?」
「ああ。だから今はここが俺の家」

 沙霧がこの手のタイプと同棲するとは思えない。俺がじろじろ見ていると、朱雀は片眉を跳ね上げて見返してきた。目がでかいだけに睨むとずいぶん猛禽類的。
「ジェイの息子ってことは沙霧の異母弟か。ねーちゃんなら遠征に出てて明後日まで留守だ。出直しな」
 うっとうしいものでも追い払うように手を振られて、俺は逆に朱雀へ近づく。
「それよりお前、男?女じゃねえよな」
「……このぺたんこの胸が女に見えんのかよ」
「貧乳ってこともあるだろ」
「ったく、ばかばかし。つきあってらんねー」

 縁台にぶらぶらさせていた足を地に下ろし、立ち上がった。
 意外に、身長が高い。そりゃ俺よりは低いが、沙霧よりは明らかに高い。この国なら相当な長身だろう。

「俺は外で遊んでくるから、おねーたまの部屋にいたいならどーぞご勝手に」

 棘を含んだ言葉尻にカチンときた俺は、きびすを返した朱雀の腕を掴んで引き止めた。
 着物ごしでも俺の指が軽く一周する腕。細いがガリではない。弾力のある筋肉の感触が少しだが掌から感じ取れる。細身だが締まった体型ってやつだろう。

「何だよ」
「てめえみてえなナヨっちいのが沙霧と同棲してるなんざ信じられねえ」
「あのね。俺は沙霧の配下であって、そういうカンケーじゃありません」
「隊士でもねえのに配下?うさんくせえな。こんな細い体で何ができるんだよ、え?」

 もう片方も腕も掴んで、力任せに俺の正面へ引き寄せる。
 髪からなのか着物からなのかわからないが、ほろ苦さもある甘い香りが漂ってきた。何の香水だろうかと考えていたら、寒くもないのにいきなり腕から全身に鳥肌が立った。
 
 指先から、何かのすさまじい重圧が伝わってくる。

「放せ、ガキ」

 見下ろせば、朱雀の双眸が光を帯びていた。まるで金色の炎のように。

「!」
 炎がいっそう揺れたと思った瞬間、俺は入ってきた裏門から外へ吹き飛ばされていた。対岸の壁に叩き付けられる前にぎりぎりで体勢を持ち直したが、靴の踵が地面を抉って埃を巻き上げている。

 腹が燃えるように痛い。何だ、一体何がどうなった?

「俺は沙霧の式神を束ねてる四神のひとりだ。悪魔使いのくせに、俺が人間じゃないってことも気づかねえなんざジェイの息子としちゃ役不足だな」

 どうやら、異変を感じる前までは相当神としての力を押さえ込んでいたらしい。今改めて見れば、朱雀の周りの空気が陽炎のように揺れて見える。それほど強い力―――つまり相当位の高いカミサマだ。
 裏門からゆったりと足をすすめてきた朱雀が追撃をかけてくるものと思ったが、まったく俺を見ずにそのまま緩い階段を下り始めた。

「てめぇ、待てよ」

 まるでお前など相手にならないと背中で言われたような気がして、ふつふつと屈辱感が湧き上がってくる。

 階段途中で足を止めて振り返った朱雀が、忌々しげに眼を細めるのが見えた。

「軽く蹴られたくらいじゃ反省の色なしか。やっぱりガキだな」

 ◆

 ぱかりと目を開けると、木の天井。見慣れた天井―――家だった。

 あれ。
 俺、どうなったんだったか。

「いっ、づぁ〜〜…!!」
 起き上がろうとして、全身に走った鈍痛に悶絶する。
 骨や内臓に感覚で分かる範囲の損傷はない。おそらく打撲と擦過傷ばかりだ。
 ぎこちない動きでなんとか上体を起こすと、自室のベッドの上だった。

 そうだ。あの朱雀ってのに俺は反撃をしかけて、そんで―――

「お。お目覚めか。一発も当たらんかったなあエル」
 開いているドアから、白髪の男がにやにやしながら入ってきた。エジプトのような衣装と、褐色の肌に金製のじゃらじゃらアクセサリー。

「朱雀といえば天界の四将軍のひとりだ。そんな大物に喧嘩を売るお前が阿呆。いやーしかし、あんな可愛い別嬪さんだとは知らなんだ」
「うるせえよ、まる」
「おーいこら、ここまで運んでやった私になんだその態度は」
 上体を起こしてみれば、あちこちに包帯と湿布。親父がやってくれたんだろう。ということはあとで親父からも説教されるに違いない。
 親父は悪魔使い、その娘である沙霧は神使いというわけか。平時はそっくりなボケオーラを出しているが、あんなとんでもない奴を従えていることだけ取れば弟としては鼻も高い。
 が、朱雀のあの態度はいけすかねえ。

「ジェイいわくいつもは基本的に穏やかで寛容、優しく面倒見のいいカミサマらしいぞ。人間にうまく馴染んでいるから、周辺でも顔が広く友人も多いそうで――皓司や凌とも仲よしなんだとさ。ほれ、そんだけやられても骨や内蔵が損傷しとらん。ちゃんと加減してくれとる優しさがカミサマだ」
 
 いけすかねえ奴は存在を忘れてスルーするのが俺のやりかた。今までずっとそうしてきた。嫌なものを必要以上に受け入れる必要はない。仕事にかかわる相手でもないのだ、忘れてしまえばいい。

 しかし。