澄 流
一 |
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周りには色々な人間がいた。 自分と同じ歳くらいの子供は、見かけなかった。 空気は、いつも甘い香りがしていた。 目に入る着物は、皆色鮮やかで。 でも。 甘い香りも、色鮮やかな着物も、好きになれなかった。 ◆ ◆ ◆ 「今日は此処までにいたしましょう」 夕日が差してきた広い部屋。 縁側に近い位置に正座をしていた初老の女は、穏やかに微笑んでそう告げる。 室内にいるのは、自分と女のふたりだけだ。 「ご指導、有難う御座います」 女が出て行ったあと、もう琴を触りたいとは思わなかった。 別段、面白くなかったのだ。 琴も、縦笛も、舞も、茶も。 教わって出来るようになれと言われるがまま、それぞれの師について指導を受けている。出来ないと叱咤されるようなことはない。むしろ、皆口をそろえて「才能がある」と褒めちぎる。自分に、特別な才能があるなど思わない。 何の為に教わっているのかは、知らない。 ただ、与えられるものを受け取るだけだ。 「……」 緩い風が吹いて来た庭の方を見やる。夕日を浴びた池の水面が、金色に耀いていた。 ここで生まれてから、外へ出たことがない。室内でも極力、日に当たるなときつく言いつけられ、あてがわれた自分の部屋は直射日光の入らない北側。 だが、拒む理由も、権利も、自分にはなかった。 ◆ ◆ ◆ 部屋ですることもなく、本を読んでいたところへ名を呼ぶ女の声が聞こえてきた。 文机に本を置いてから、障子を開ける。 「母上」 三日に一度くらいしか会わない母が、そこにいた。 この広い家のどこかに居るらしいが、何をしているのかは知らない。いつも夕方あたりに部屋にやってきては、夕飯前に去っていく。 母は、肌が雪のように白く、華奢な女だった。おそらく、かなりの美人の部類なのだろう。屋敷内で見かけるどの女よりも美しいということを、最近実感した。 もともとあまり身体の強い方ではないそうで、いつも青白い顔をして寂しそうに微笑む。 「昨日いらしたのに、どうかなさったのですか」 室内に入るや否や、母が細い腕で抱きついてきた。 もう、身長は自分の方が少しだけ大きい。 「はつね…初音。もう少ししたら、ここから貴方は出られるわ」 「え?」 息子の肩口に顔をうずめ、消え入りそうな儚い声でそう告げる。 初音は、母が謂わんとしていることが理解できない。 「お父様が、貴方を引き取ってくださるわ。そうしたらもう、こんな薄暗い部屋にいなくていいのよ」 「父上……?」 父の顔など、知らない。そもそも、いることさえ今の今まで知らなかった。 「本当は、貴方が生まれた時に引き取ってくださるという話もあったの。でも、私がたった一人の子供と離れては寂しいだろうからと」 「意味がよく、分かりません」 前から、分からないことだらけだった。 ここは、何処なのか。 ここは、何をしている場所なのか。 母は、何故決まって夕方やってくるのか。 自分は、何故これほどの数の習い事を強要されるのか。 自分に、それらを命じてくる存在は、何なのか。 「このままここにいたら、貴方は身体を売ることになるわ」 私と同じように、と母が言う。 「今まで貴方に仕込まれた芸は、そのためのものなの。日に当たるなというのも、白い肌を保つため」 母の言葉に偽りがないのなら、ここは遊郭の中なのか―― 夜でも人の動く音や、話声がやまないのは何故だろうと思っていた。 そういう、ことか。 「母上も、一緒なのですか」 「いええ、貴方だけよ。私が残るならばと、旦那様も合意してくださったの」 商品にするべく、今まであれやこれやと手間と金をかけて教えこんできた自分を、郭の旦那が「父親だから」などという理由で手放すとは思えないが。そのつもりだったのなら、最初から手渡していただろう。 それが穏便に進んでいるということは、父上とやらが旦那の納得いくだけの金を積んだに違いない。 父の意向が、腑に落ちない。 それだけの金を出せる人物ならば、身ごもった母を身請けして、どこかに家を与えておけばよかった話ではないのか。なぜ、今頃になって母ではなく息子だけを引き取ろうとする? それに、母が残るならという理由も信じがたい。 母は確かに美しいが、最近衰弱して臥せりがちなのだと聞いている。そんな状態では、遊女として使い物にならなくなるのは目に見えているはずだ。 分からない。 ただ、「自由に、幸せになって頂戴」と涙を流して抱きついてくる母に、それ以上の問いかけは無駄だと割り切り、沈黙して終わった。 |
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進 |