特別対談  甲斐よしひろvs浜田省吾

僕達は命がけでやっとるんじゃけん

☆セールスを意識してメッセージしているのは僕達だけかな

甲斐
「僕は愛奴のアルバムを買ったんですよ。自費で(笑)  最初のシングルになった曲があるでしょう。それがすごく好きになったんですョ。別に歌がメッセージしてるしてないは別にして、もう好みの問題でね。身体が動くっていう感じの曲だったからすごくびっくりしたのネ。」

浜田「そうですか。僕が甲斐君を知ったのは甲斐バンドが1枚目のアルバムを出した時、事務所の人に甲斐君の詞がとてもいいから、是非読んでみなさいと言われたのが初めてですね。丁度その頃友達が甲斐バンドを見てきてセックス・アピールがあって若々しくて、とても良かったと言っていたので、それは是非聞かねばという事で・・・・・。」

甲斐「同じ年ですよね。確か。」

浜田「そうですよ。23歳ですよ。」

甲斐「それもあったんですよ。例えば僕たちがデビューした時に、ある種のメッセージを持ったバンドが、同じ年代でまわりにいなかったんですよね
 今でも僕は、浜田君以外に同年代でメッセージを持った人は多分いないというか、あまり知らないんです。
 だから浜田君が愛奴を抜けた時に、我々のバンドに引き抜いて、ダブル・ドラムにしようかなんて考えていたんですョ。」

浜田「ウワー。ぜひ呼んでもらいたかった(笑) どうして言わなかったんですか、すぐに行ったのに。(笑)」

甲斐「またまた・・・・・・・一国一城の主が!(笑) 何というか、昔の感じの曲を練って消化して出す連中は多いんだけど、これはあくまでも僕たちの年相応の事で言ってるんだけど、それでいて尚かつセールスの事が頭にあって、そしてメッセージもしている人というのは、あまりいないと思うんだ。それがすごく気にかかったの・・・・・・・あと、浜田君は広島ですね?」

浜田「そうです。」
甲斐「僕は博多でして。そういった、東京という大衆の地の利の問題もあるしね。
 僕はあからさまに東京を歌っているところがあるし、その辺はすごく意識して歌っているところがあるし、これはもう何というか自分の中ですごく燃えていたものなんです。
 僕はアマチュア時代、博多に「照和」というフォーク喫茶があって、そこでやっていたんです。その時すごく考えたことは、僕たちの前にチューリップとか海援隊がいたわけだけど、チューリップは東京にポーンと行った感じで、海援隊は東京には絶対出ていかないで、自分たちの文化を博多で築くんだといいつつも東京に出て行った訳。
 そんな後で沈滞していた所で、僕たちとかまわりのアマチュアの連中が集まってジュネレーションを起こそうとした訳ね。でも、博多で100発の大砲を打ったとしたら、東京まで届くのは1発か2発なの。
 その辺の問題が自分でも頭に来てたから、僕は絶対に東京へ出て行こうと思ってたし、最初から東京という街を意識してたし、そのことを2枚目のアルバム『英雄と悪漢』の中でモロに歌ったつもりなんだ。
 浜田君の歌を聴いてると、その辺のところが何か似てるような感じがするんですよ。」

浜田「うん、なるほどね。」

☆サークルのありかたについて

甲斐
「浜田君は割と色々なミュージシャンと話をすることは多いですか?」

浜田「僕はまるっきりないですね。その辺の接触は。僕はあまり世代とかその辺は意識してないんですね。
 ただ、歌に関して考えるんだけども、今の多くの歌は、たいして歌いたいという背景もないのに作っちゃうみたい。そうじゃなくてここに何か歌いたいものがあって、その歌いたいものを表現するために、色々なモチーフだとか背景を借りてきて、その中に自分の歌いたいものを入れる、という歌の作り方をしている歌しか僕は感動しないんですよ。
 そんな中で同じ世代の人がどういう事を歌いたいのかという事には興味があるし、聴いてたら甲斐君が好きになったんですよ。」

甲斐「浜田君は広島フォーク村ですか?」

浜田「そうですね、僕たちの世代はみんなフォーク村ですね。僕は直接フォーク村ではなくて、その隣町というか少しはずれた所にいたんですが、その町に愛奴の町支君なんかがいて、つき合っているうちにフォーク村の仲間になったんですね。それをきっかけに、今の愛奴の連中とか拓郎さんたちと知り合った訳なんです。」

甲斐「福岡にもいくつかサークルはあったんだけど、僕ははいってなかった。あんなもんぐだらんと思ってたからネ。でも、あのフォーク村のアルバムを聴いた時、もちろん「イメージの詩」にも感動したけれど、それよりも愛を唄っている歌にものすごく感動したのね。そしてサークルというものをみんなはどう考えているのか不思議だったわけ。」

浜田「僕も直接的にはサークルにはいってなかったから良く分らないんだけど、このフォーク村というサークルは、コンサートを主催するグループじゃなかったかと思うんですネ。」

甲斐「じゃあフォーク村は大きな力を持ってたわけ?」

浜田「持ってましたね、そしてやっぱりいいコンサートをしてましたョ。やれば必ず盛り上がるコンサートになったし、やっぱり個々の力だと会場を借りたりチケットを販売したりするのが難しいですからね。だから今思うとフォーク村というのは良かったと思います。」

甲斐「博多にはサークルが2つあって、それがまあハバをきかせてたわけ。で結局僕が頭にきたのは、そのサークルの人間から気に入られてなければ、どんないい音楽やっててもダメだったのね。ひとつすごくイイバンドがあったんだけど、サークルに入ってなかったから、コンサートにも出られなかったわけ。」

浜田「そういう事はよくないよね。」

甲斐「すごく新しいことやってるグループでもサークルに入ってないとシャッタアウトだしね。そういうのって、つまらんことだと思うんだよね。で、結局僕たちは、サークルに全然入らずに、いいなと思うヤツだけ集まって、一応マネージャーを仕立てて完全に自分たちの組織―もちろんそれはサークルじゃないけどね―それを作ったの。
 僕はね、生粋の東京人が作ったバンドってガッツがないような気がするわけよ。地方出身のバンドの力強さがものすごくいいなと思うの。それは自分でも自負しているところだしこの自分の力強さが燃えつきてしまった時が一番恐いしね。」

☆音楽を力まずにやるのは難しいね

甲斐
「浜田君、昔の音楽を色々聴いているでしょ!?」

浜田「うん、でも甲斐さんもすごいらしいですね。僕はちょうど60年のはじめ頃からですよ、飛びつき始めたのは。ラビン・スプンフルの「サマー・イン・ザ・シティー」なんて、やっぱりいいと思いましたね。」

甲斐「ラスカルズが僕はすごく好きだったな。」

浜田「ラスカルズはどの頃が好きですか?」

甲斐「「う〜ん、ずっと好きだけど、やっぱり「自由への賛歌」ぐらいまでかなあ。」

浜田「あっ、同じですね。」

甲斐「結局ね、僕は昔の音楽を自分で消化してやってるわけ。でもそれを日本語にあてはめた時に挫折感があるでしょ。
 それはつまり、あのテの曲に日本語をあてはめるからだめなんだろうっていう考えがあるわけ。実際色んな人の音楽を聴いてると、完全に詞よりもリズムの方が先に出てきてるのってあるじゃない。ああいうのって、つまらんと思うわけ。
 やっぱり無理やりそのテの音楽に詞をあてはめるつまらなさなのね。例えばさっき浜田君がいった、何かしらバックに背景があって歌を作るっていう人が僕も好きだな。」

浜田「うん、そういう歌じゃないと感じないですね。そうじゃなかったら向こうの歌聴いてた方がいいもん。甲斐君はいくつぐらいから音楽を聴き始めました?」

甲斐「すごく昔から。だってオヤジがバンドマンなの。」

浜田「へ~え、じゃあ血筋なんだね。一番最初に感動したのはどんな曲?」

甲斐「あのね、「女と男のいる舗道」のサントラ盤、ゴダールの映画の、(唄う)ダンダダダ、ダンダンダン・・・・・・・」

浜田「あっ、知ってる知ってる。」

甲斐「あれが一番最初。それとプレスリーの「ポケットの中に虹がいっぱい」。あとはねパラダイスキングと坂本九と森山加代子とクレージーキャッツ。」

浜田「そうそう、同じですね。」

甲斐「あとアメリカンポップスの時代があったでしょ、あの頃が好き。ガス・バッカスとかコニー・フランシスとか。作曲する時、自分でたどって見るとやっぱりあの辺だもんね。」

浜田「なるほどね。僕はレスリー・ゴーアに大感動したんですよ。」

甲斐「やっぱり問題は、言いたいこと言ってなおかつ分りやすかったら一番だと思うのね。
 だけど23歳という年のせいか、構えて作ったりしちゃうのね。どうその辺は。」

浜田「うん、僕もあるけどこの頃はそれがなくなってきたみたい。簡単な言葉を使ってても、気持ちがピタっとあてはまればいいんだけどね。力量がないのか、しょせんそれが無理なのか・・・・・」


甲斐
「そう、僕もいつもそれを思うよ。力量がないのかやり方を知らないのか。だから、とにかく沢山作るしかないね。音楽なんて、うまくやろうと思えば思うほどダメだと思うの。でもリキまずにやるのは難しいですね。」

☆今度のアルバムはいつ頃?

甲斐
「東京にはいつ出てきたんですか?」

浜田「僕は大学が横浜で、2年の時にやめてこっちでバンドをやってたんです。スタジオを借りるためにキャバレーでバイトしたりしてたんだけど、それでもバンドを維持できなかったんです。そこでいったん広島に帰って昼間働いて夜練習してたのを拓郎が聴いててね。」

甲斐「じゃあ、もう4年ぐらい?」

浜田「うん、4、5年。」

甲斐「僕はね、東京を歌うことが好きなのね。それはきっと、ある種の憧れが強いんだと思うけど、だから博多がきらいかって言われるとそんなことはないの。東京に対する憧れと、博多は愛してるけどこのまま博多にいたんじゃだめだって気持ちがあったわけ。
 東京っていう所は、僕を何倍にも何十倍にも生かしてくれると信じてるの。
 浜田君の歌聴いて僕とちがうなと思ったのは、生きるという執着心がすごく強いということね。」

浜田「うん、僕も地方出身だし、えらい淋しいわけですよ。東京は金があれば面白いけど僕は学生だっし、金もないし恋人もいない。その辺から東京は淋しいところだというイメージができちゃったんですね。
 だから、18とか19歳とかで地方から出てきた人の淋しさとかわびしさを歌いたいというのがひとつにあるんですね。
 それともうひとつ、最近は生きて行く場所とは別に、自分なりの生き方というか、そういう歌も必要だなと思うようになってきましたね。」

甲斐「2枚目のLPはいつ出るんですか?」

浜田「え〜と、今年の終わり頃から作ろうと思ってるんですけど。」

甲斐「僕は、3枚目のアルバムを作ってるんだけど、今度はある種のオトシマエつけるみたいな感じでやってるんだ。」

浜田「今度のアルバムってのはどういう感じなの?」

甲斐「うん、やっぱりまた東京って街を歌ってるんだけど、今度はふり返って歌ってるんじゃないのね。「英雄と悪漢」の時は、完全に東京を見上げてる感じがあったんだけど、今度はどっぷりとその中に住んでるって感じの歌が多くなってる。」

浜田「音的にはどんな感じなの?」

甲斐「今回はそんなにハードじゃないんだ。
 最初の「ライムライト」では、ただ、さあ〜と弦を使ったりして、それがいやだったから次の「英雄と悪漢」ではまったくシンプルにして、そして今度のは弦とか色々使うんだけども、その使った音にメッセージというか、ある種のアタックを持たせてやるように作ってるの。」

浜田「1枚目、2枚目のアルバムは、自分で何点ぐらいつけます?」

甲斐「1枚目はまだダメだったから・・・・・・・あの時精一杯だったけど、僕は作ったら全部ダメだと思うほうだから。僕は「英雄と悪漢」もああ、あの時はそうだったのかと思うだけだしね。」

浜田「でも、やっぱり自分の作ったものはかわいいでしょ?」

甲斐「それはそうだけど、反対にすごく憎む曲もあるよ。もう嫌悪感しかないようなね。」

浜田「えっ、どの曲?(笑)」

甲斐「1枚目に多いんだよね、そういうの。だけどそれをステージで歌ってみると、また快感があるんだよね。(笑)」

浜田「マゾだったりしてね。(笑)」

甲斐「まぁ結局、作品的な問題と、その時の歌おうとする熱の入れ方とは、違うものなんだろうね。」

☆僕達、命がけでやっとるんじゃけん!

浜田「この誌上を借りて、評論家とか会社の上の人に言いたいんだけど、要するに僕たちを萎縮させるのね。足をひっぱるしね。」

甲斐「うん、それはいえる! 批評なんて、けなすならけなす、ほめるならほめればいいじゃない。それなのに何か知らないけど、煮えきらない感じて書く人がいるじゃない。あれが腹たつね。」

浜田「いや、アーティストなんて、いくらでもほめてもらいたいんだけど、今のを読むと何かちがうんだなぁ。」

甲斐「そうそう。」

浜田「批評家としてはこの程度でいいのかなと思っちゃうことがあるね。」

甲斐「まぁ他人の事を書くんだからしようがないとは思うけど・・・・あっ、やっぱりしようがないじゃすまないナ、命がけで作っとるんじゃけん!!(笑)

(1976  夏  ヤングギター掲載)