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九段 (東郷坂、東郷通り、東郷元帥記念公園、大山巌銅像) 東郷坂

6月某日、天気は曇り。いつ雨が降ってもおかしくないような天気の中、市ヶ谷の駅で下車しました。

今回のテーマは九段。

今何かと話題の靖国神社や日本武道館なんかがあるところです。 そう言えば学生時代にはライブやらプロレスやらで武道館にはよく行ったものです。 当時利用していたのは(半蔵門線の)九段下のほうで、地下鉄の市ヶ谷の駅で下車したのは初めてかも知れません。

市ヶ谷の駅を出て、ちょっと九段下の方向へ歩くと、「東郷通り」の表示が見えます (地図)。 東郷とは、日露戦争でロシア艦隊を破った海軍大将東郷平八郎のことです。
東郷坂

東郷平八郎は、現在の鹿児島市の加治屋町で生まれました(鹿児島県立中央高校敷地内に誕生の石碑があります)。 加治屋町といえば、西郷、大久保などの明治の志士らを多く輩出したところです。
若くして薩英戦争に参加し、戊辰戦争では薩摩藩の軍艦「春日」に乗って多くの戦争に参加。 明治維新後は英国に留学して近代海軍について学びます。 帰国後、日清戦争に参加して手柄を立てた東郷は、日露戦争において海軍大臣・山本権兵衛から連合艦隊司令長官に任命されます。
日露戦争では、日本海海戦で当時最強を誇ったバルチック艦隊を破り、「東洋のネルソン」と賞賛されました。
東郷坂




東郷通りを進んでいくと、途中から東郷坂に入ります(地図)。 坂の途中には、「東郷元帥記念公園」がありますが、ここはかつて東郷平八郎の屋敷があったところです。 公園は3階構造になっていますが、そのうちの上段と中断が屋敷跡にあたる部分なのだそうですが、 現在は、石碑とライオンの石造があるくらいです。 このへんは閑静な住宅地といったところで、緑の生い茂った公園は子供たちの憩いの場となっています。
さて、現在東郷通りには、東郷坂、法眼坂(行人坂)、南法眼坂の3つの坂がありますが、 東郷坂の標識(柱)によると、当初の地図には「法眼坂」しかなかったようです。
東郷坂と命名されたのは、日露戦争直後の1905年10月のことで、当時の麹町区会の議決によるものなのだとか。 もちろん東郷邸があったことに因むことは言うまでもないでしょうが。
東郷元帥記念公園




さて、東郷通りを往復した後は靖国通りを武道館方向へ。
実のところ、武道館へは何度も通ったんですが、靖国神社を意識したのはこれが初めてだったりします。 あんまり政治的なことを書くつもりは書くつもりはないけど、 靖国参拝を中国やら韓国に言われたからやめるというのは違うと思います。 自主的にやめると言うのであれば別ですけど。 そうでないと、日本は言えば何とかなると思われてしまうのではないかい?
大山巌銅像




靖国神社前を通り過ぎ、しばらくすると武道館の手前に九段坂公園があります (地図)。 実際には公園というよりは、歩道をちょっと広げた広場のようなスペースなんですが、 ここに品川弥二郎の銅像とともにあるのが元老大山巌の銅像です。
大山巌といえば、西郷隆盛・従道兄弟の従兄弟に当たる人物で、後に陸軍大臣になった人物です。
馬上の大山公は凛々しかったです。




さて、第2回はこれでおしまい。次回はまだ決めていませんが、また千代田区にしようかなとぼんやりと考えています。
最近、余り時間も取れないんで…。