道 草 10

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H18.4.30
撮影

BKー1

 
 先月、私の町の桶職人が他界しました。もっぱら、おみやげ用の小さな
酒樽を作っていました。実用性のある桶の需要がなかったからです。
後継者はいません。また、ひとつ、我が町から昔ながらの職人の技術が
消えました。
 昔、我が町には多くの職人さんがいました。家具職人、左官(鏝絵)職人、
たたみ職人、竹細工職人、桶職人、仏師、欄間師・・・・などです。
その多くは後継者もないまま、技術の伝承されることなく消えて行きました。
 今も健在で、現役で活躍している職人さんは、「道草4」で紹介した鍛冶職人
ひとりになりました。やはり後継者はいません。
技術の伝承のないまま、消えて行く運命にあります。


 上の鏝絵は、
 「道草9」で約束したもうひとつの鏝絵、私の町の神社に奉納された鏝絵です。
明治25年奉納とありました。
我が町の鏝絵職人、故佐々木市三郎氏、18歳のときの作品です。
鏝絵は、源平合戦の名場面、那須与一です。
故佐々木市三郎氏,、初期の作品で、まだ、鏝絵の技術が完全に確立されて
いないときの作品と思われます。
「道草9」の那須与一が50歳前後の作品で彩色を施しているのに比べて
18歳のときの作品は、まだ、漆喰の白一色です。

 【作者は、明治9年(1876年)生まれです。
作者の叔父が左官職人で、現秋田市の左官職人に弟子入りしました。
そこで、鏝絵の技術を修得しました。
作者は叔父から鏝絵の技術を習いました。
すでに、13歳で、独り立ちしていました。
当地の土蔵を解体したとき、棟札に棟梁の名で書かれていました。
 日露戦争(明治37年〜38年)に徴兵され、足を負傷しました。
それがもとで、本業の左官が出来なくなり、生家の商売に専念する
ことになりました。
 龍の欄間は20代の作品です。日露戦争以前の作です。
驚きです。天才か神業に思えます。
結局、鏝絵の技術は誰にも継承されることなく途絶えてしまいした。
作者は、昭和38年(1963年)、87歳で他界しました。】 
※「道草2」より抜粋
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撮影

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 社殿の正面に飾れた龍の鏝絵です。いつ頃、奉納されたのかわかりません。
推測ですが、「道草2」で紹介した「阿吽の龍」と制作年代が近いと思われます。
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撮影

BKー3
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撮影

BKー4

 鏝絵の右上、重い社殿の屋根を支える力士像です。左右にありました。
「道草2」の力士像と比べてみてください。
 誰がいつの頃、制作したのかわかりません。
社殿のあちらこちらに施された彫刻は、後世の私に大きな感動を与える
技術の高さです。
鏝絵も彫刻の高い技術も、すでに、秋田では失われた技術です。

 ※ 力士像の下に貼られたお札、「寺尾」と読めます。
  元関取の寺尾関のことでしょうか。
  お札のことが気になっていましたが、寺尾関が支えていると解釈すれば
  なんとなく納得です。寺尾関のファンが貼ったお札でしょうか。
  どんなご利益、願いが込められているのでしょうか。
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撮影

BKー5

 鏝絵のある土蔵です。後方の母屋は茅葺き民家の造りです。
初めて、私がおじゃましたときには、すでにトタン屋根に改修していました。
もう、5〜6年前のことです。
当時、左官職人の技、鏝絵を知ったばかりの頃でした。
初めて発見した鏝絵が、上の土蔵にあった鏝絵です。
明治の頃の創建と思われますが、制作者はわかりません。
秋田に現存する数少ない鏝絵のある土蔵です。
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撮影

BKー6
H18.5.21
撮影

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 土蔵正面に施された鏝絵です。創建当時のまま、色あせることなく
完全な形で残っています。
題材は?、知識不足でわかりません。
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 獅子の谷(子)落とし?、唐獅子牡丹?、両方の合成かな?
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撮影

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 土蔵後方の鏝絵です。題材は? やはりわかりません。
H18.5.21
撮影

BKー10

 外回りの他に、きっと土蔵の入口にもあるだろうと思い、家人に
お願いしました。やはり、鏝絵がありました。
龍の頭部が一部、朽ちているのが残念です。他は色あせることなく
創建当時のままです。

 明治の一時期、秋田でも花開いた鏝絵の技術、
平成の今も残る貴重な文化財です。その多くが個人の所有です。
茅葺き民家とともに、後世に伝えたい文化財です。

 私の春の風物詩、カニ捕りに出かけました。
同行者は、末っ子でなく、愛犬と出かけました。
いっしょに海に入って捕りました。
愛犬は、まだ、カニのはさみの恐さを知りません。
捕ったカニを興味津々に鼻で嗅いだり、ぺろぺろとなめようとします。
カニは、一度、挟んだらなかなか離しません。
その痛さ、中途半端でありません。出血に至ることもあります。

 さて、大漁のカニ、食材としては上海カニと同じ種類で高級です?
調理が苦手な私、大嫌いな私、そのまま、塩ゆでしました。上の写真です。
今年は、大物のカニ捕れませんでした。
昼間のカニは小さい、大物は夜間に限ります。なぜかはわかりません。
 
 食卓に上がったカニ、さて、どうしたか。妻も息子も食べません。
過保護に、食べやすいように、カニの身を全部出してあげないと食べません。
わがままは許さないので、私が全部食べました。最高でした。
 



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2006 09 28