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現代文明の自動車は、徐行厳守です。
たまには、ゆっくりと道草して見ませんか。

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この道40年以上の茅葺き職人さんです。
若い後継者はいません。
私のホームページにアクセスしてくれた方々、
真剣に茅葺き職人を目指してみませんか。
茅葺き民家の保存に後継者の養成は急務です。

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漆喰(しっくい)の鏝絵(こてえ)がすばらしい土蔵です。
秋田で現存する土蔵の中で、保存状態の良い土蔵のひとつです。
かつて、秋田にも腕の確かな鏝絵職人、左官職人がいました。

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鏝絵が、創建当時そのままの色彩で残っています。
小学館発刊の「鏝絵」に、秋田の鏝絵職人の存在については
空白地帯になっています。
私の住む町にも鏝絵職人がいました。鏝絵も現存しています。

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龍の鏝絵が描かれた土蔵です。
3面に龍の鏝絵があります。
秋田県内で、龍の鏝絵はここだけと思われます。
一刻も早い補修が必要です。
出来れば個人でなく、行政が出来ないものでしょうか。

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向かって左側の欄間です。
色鮮やかで躍動感あふれる鏝絵です。
当時の職人さんの技が冴えます。
かつて、秋田にもいた鏝絵職人の技は、今はもうありません。

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向かって右側の欄間です。職人の技を競うため、
かつては、いろんな意匠の鏝絵があったことが想像できます。
私の町にも祖父が鏝絵職人をしていた人がいて、
さまざまな下地の原画があったそうです。
貴重な史料ですが、残念ながらそれらの原画は行方不明です。

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柱の太さが1尺3寸(約40センチ)あります。
家の柱のほとんどがこの太さです。一本の木です。
梁は1尺5寸5分(約47センチ)あります。
国や県指定の保存民家ではありません。
これほどの太い柱の造りは、他にあまり例を見ないと思われます。
後世に残したい民家のひとつです。

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江戸時代の天明・天保年間前後に建立された石碑です。
左から庚申塚、百万遍供養塔、田神塔です。
当時の人々の切実な祈りが聞こえて来そうです。

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H15.3.22
撮影
E−11 |
藩政時代、出羽の国(秋田県)矢島藩主生駒氏の菩提寺、
龍源寺本堂です。本堂の屋根は茅葺きです。
生駒氏は讃岐高松城主でしたが、お家騒動から
1640年、出羽の国(秋田県)矢島一万石に移封されました。
『徳川秀忠の時代、徳川家の側近中の側近、権勢を誇っていた
宇都宮城主本多正純が失脚(宇都宮城の釣天井事件)し、
出羽の国、由利本荘【現在の由利郡(矢島町含む)と本荘市】
五万五千石を与えられ、移封されました。
正純は、一時、由利の地に赴いたが、1623年、領地を辞退返上して
秋田県西仙北町大沢郷で蟄居の身となりました。
翌1624年に秋田藩主佐竹氏お預りの身となり、
同じ秋田の横手に幽閉されました。
正純は中央に復帰することなく、15年間の幽閉生活の後、
73歳の生涯を秋田で終えました。』
歴史の教科書に載っていない史実でした。
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E−12 |


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2006 09 28 |
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