道 草 3 
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H15.9.1
撮影

AA−1


H15.9.1
撮影

AA−2


 おらが(私の)町へ新幹線「こまち」がやって来ました。
走るはずのない羽越本線で走りました。
駅名がそれを証明しています。
秋田、山形、新潟と日本海に沿って結ぶ羽越本線のことです。
各駅停車の普通電車より長く停車していました。30分です。
鉄道マニアがたくさん集まりました。驚きました。
マニアの方から聞いて私も仲間入りしました。
残念ながら自力走行は出来ません。
しっかりと機関車に引っぱられていました。
なんでも関西方面の工場で製作され、秋田新幹線で走るため
はるばる秋田へお嫁入りしました。
平安の歌人、小野小町は秋田から京へお嫁入りしました。

H15..8.16
撮影

AA−3


AA−4
H15.8.16
撮影

AA−5


AA−6

 はっきりしたことは不明ですが、築100年以上の民家です。
最新ショット、6月に紹介した民家です。

 数年前のある日、アメリカ人が町の教育関係者といっしょに
この民家の調査にやって来ました。
3日間ほど調査して帰りました。
その後、アメリカ人が描いて、送られて来た図面が上のものです。
図面は全部で7枚で、そのうちの2枚です。
間取りや鳥瞰図もあります。
大工さんが家を建てるときの設計図のようです。
昔、茅葺き民家を建てるときもこのような図面があったんでしょうか。
興味のあるところです。
 家人が二部あるからと、私が一部もらい受けました。
消え行く茅葺き民家、せめてこういう形で残せたらと思います。

H15.10.4
撮影

AA−7
H15.10.4
撮影

AA−8

 道草 1 で紹介した本多正純の続編です。
画像のピントが甘くてすみません。

 写真を撮る移動中、秋田県横手市内を通りました。
たまたま見つけた観光案内板に「本多正純の墓」とありました。
案内に従って進むのですがなかなか見つかりません。
通りがかりの人、数人に聞いてやっとたどり着きました。
山すその杉木立に囲まれた寂しい場所でした。
 手前の石碑に「本多上野介正純父子終焉の地」とあります。
現代に建てた石碑です。後方が本多正純の墓です。
これが、かつて権勢を誇り、徳川家の創世記に活躍した
宇都宮城主の墓です。
確かNHK大河ドラマ「前田利家」で、俳優の渡辺いっけいが
一番華やかだった頃の本多正純を演じたと思います。
歴史に名を馳せた本多正純の一生、
皆さんはどう思いますか。

 上の「水板倉」は、白壁の土蔵が盛んに建てられた明治時代のものです。
「道草 1 」で、紹介した土蔵に比べたら、鏝絵などの豪華な彩色はなく、
極めて実用的な造りです。
「板倉」の現存数は少なくなりましたが、まだ、県内各地にあります。
 写真の板倉がめずらしいのは、池の中にあることです。
ご主人に聞いたら、昔は近くにも水板倉があったそうです。今はありません。
池の中に建っているので、土台が水の中と水の上の二重構造になっています。
下の土台は水に強い松材、水の上は栗材です。
そして、上下の土台は楢材で連結されています。楢材は、半分が水中にあります。
この水板倉に入るには、一枚の長い板橋を渡します。
ひさし戸、内戸とも厳重に鍵がかけられています。
どろぼうにはとてもやっかいな構造です(^O^)(~o~)(^O^)
 倉の一階には、味噌や漬け物を保存します。また、種籾を保存します。
籾保存には過度の乾燥を防ぐため、下の敷き板をはずして、涼しい空気と
適度な湿気が入るように工夫されています。
倉の二階には、衣類箪笥、お膳お椀類、家具などが保管されています。
火災などにあっても、米と味噌、衣類などは残せるようになっています。
池には、たくさんの食用鯉が泳いでいます。
 水と大気と、木材の機能を生かした水板倉は、農家の長い生活から
生まれた極めて実用的な建造物です。
 この水板倉は、町の文化財指定になっています。
個人的には、母屋も周りの田んぼも里山も、全部保存指定地区にしたいと
思いました。
                            (2004年9月11日 記)


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2006 09 28