池上歯科医院 大田区池上 池上駅前 秀徳 寛

 壁新聞

     ④ 最近魔女に会いました。    
   ③指をざっくり怪我をしました。
 
   ② 若いお嬢さんが追突されて大怪我! 
              長い文章ですが,ぜひお読み下さい。
   
       
    ① 大腸がんになって感じた事
 
               咬んで食事が出来る事はとんでもない幸せなことです。



 
 最近魔女に会いました。これがその証拠写真です 
                   

 実は患者の
さんの左足、拇指の爪だけが異常に伸びていて、魔女の爪 の様です。
 スタッフが 「どうしてあの
だけ伸びているのでしょう?」 と聞きますので、私は 「何かのおまじない(呪い)だろうね!」 等と話していました。
 ところがSさんは、この爪が異常に硬くて自宅では切れないので、
皮膚科や外科にお願いされたそうです。しかし余りに厚く硬いので、先生方を頼っても、どうしても切ることが出来ませんでした。
 それでは
歯科の出番です。
ご家族の了承を得て、私がその爪を切ってあげる事にしました。歯科ではこの様な硬いものを切る、削る事は大の得意です。
 スタッフに、先ずタオルを数枚足指の下に置かせ、とても薄い「レジンディスク」を使って少しずつ切り始めました。
 その間、摩擦熱で指が痛くならない様にスプレーで水をかけ続けます。
 爪は硬くて、途中でレジンディスクが「パチン、パチン」と3枚も割れてしまいました。無事切り終えた後を、衛生士に滑らかに磨かせておきました。

 長年、とても、とても困っておられたの事で、
後日、お礼にと
「豪華なアイスクリーム」のプレゼントを頂きました。
 
さん、  「魔女なんて言ってごめんなさい!!

                                 

 
      ③ 私の指をざっくりと怪我しました。

 私達歯科医師は、患者さんの側で義歯(入歯)を削ったり、歯につめる金属(インレー)等を調整したりします。その時に患者さんが混んでいて焦って慌てると、誤って自分の指を削り
怪我をしたりする事が有ります。このような事故は何年も歯医者をやっていますと時々起こる事です。そのため指の怪我の処置は手馴れていて、今回もきちっと処置をして心配ないと思っていましたら、左手、人差し指先の切傷が一月たっても一月半たっても治らずグジュグジュしていて痛みも取れません。普通は1週間ぐらいで治ってしまうのですが。
 
悪いバイ菌でも入ったのではないかと、とても、とても心配になり抗生剤を飲んでみましたがそれでも治りません。
 もしやと思って人差し指を
歯科用レントゲンで写してみましたら、な、なんと小さな異物が指の中に入っていました。
 これでは治らないはずです。そのレントゲンを持って、直ぐに隣の
池上総合病院の外科の先生に診ていただきました。
 指に麻酔をしてメスをいれますと「カチッ」と音がして、ナース達が「アッ、音がした!」なんて驚いていました。指から出てきたのは、2ミリ位の
入歯のクズでした。
 それから一週間もするとすっかり治ってしまいました。
 
外科の先生に感謝です。異常が長く続く時は、やはり専門の先生に相談したが良いですね!
 何十年も歯科医師をやっていますが、こんな事は初めてでした。

              
                              指の腹の所にうっすらと白く見えるのが入歯のクズです

                                 

追突されて、口元にも大怪我、歯も吹っ飛びました。
                 が、なんと、痛いのを我慢して、アメリカへ戻りました。

                 
 2001年9月11日、栃木県那須町での事です。アメリカの大学4年生のH子さんは、明日アメリカへ戻るためご家族でお食事に出かけました。途中で激しく追突され気を失ってしまいました。
 気が付くと顔中血だらけ、粘膜を突き破って抜け出た右下の糸切り歯を左手にしっかり握っていました。下の前歯は、骨折して舌の方向へ移動していました。
 直ぐに救急車で運ばれ手当てを受けましたが、口腔外科は無かったため、口の処置は明日受けることにしました。自宅に帰りますとアメリカではその日、なんとあの「同時多発テロ」が発生していて大騒ぎでした。
 翌12日、口腔外科へ行きましたが、大学4年生で勉強が忙しく、ゆっくり日本で治療を受けられません。簡単な処置を受け、帰宅、直ぐにアメリカへと思いましたら、「同時多発テロ」のためにアメリカ行きの便は全部欠航になっていました。
 やっと飛行機が飛び始めた9月18日にアメリカへ戻りました。機内にはお客はほとんど乗っておらず貸切状態でした。まだ傷がズキズキと痛みとても心細く感じました。
 9月20日にアメリカで診察を受けました。大学の勉強が忙しくてゆっくり治療を受けられません。この時期に休みを取ると、卒業できなくなるからです。
 12月の冬休みに手術を受ける事にしました。
 痛みもまだ残っていますし、咬み合わせも曲がってしまっていますので硬いもの等は一切咬めません。この硬い物が咬めない症状は、手術を受け一応治った後からも、何年間も続きました。
 12月20日、アメリカで手術を受けました。
 失った右下の糸切り歯はインプラント、下の前歯の咬み合せの回復、下顎骨折の回復、全身麻酔の基なので、親知らず4本も抜歯する事になりました。
 数時間にわたる手術でした。麻酔がなかなか覚めません。意識は少しずつはっきりしてくるのですが、体が動きません。麻酔医の先生が「今日は娘のピアノの発表会で早く行かなくてはいけないのに、このお嬢さんの麻酔はなかなか覚めない。困ったなー!」
等とナースとおしゃべりされているのが聞こえました。
 普通、これほどの手術を日本で受けると数日入院するのが普通ですが、アメリカでは直ぐに家へ帰されるのだそうです。
 H子さんもフラフラしながら自分の部屋へ戻りました。術後の痛みで1週間くらいはほとんど食事も摂れず、水ばかり飲んでいました。そして通院で治療を続けました。
 事故にあって5年後の平成19年12月、その後遺症のために歯痛が起きて来院されました。
 このお話を聞いて、H子さんの事故とその後のとんでもない頑張りにびっくりしました。
 私だけこのお話を聞いて終わりにするのには惜しいお話なので、ホームページを御覧の皆様にだけ、こっそりのお知らせです。
 
                    

 
「大腸癌」になって、それで感じた事。


咬んで食事が出来る事、

これはとんでもない幸せな事、とんでもない喜びです。


ある日突然親友のH君よりメールが入りました。
「俺、大腸癌で入院するよ!!」

時々会ったり電話したりしていましたがそんなこと等一言も言っていませんでしたので本当にびっくりしました。

前々から気になる症状が出ていて、自分で癌ではないかと思って検査を受けたら予想通りの「大腸癌」で直ぐに入院、そして手術しました。

消化器系の手術ですので術後は口からの食事、水飲み等は一切出来なくて、体中に何本もチューブを付けて、数週間点滴だけで飲まず食わずでした。

この状態がいかに苦しかったかを又メールで知らせてくれました。

「点滴で栄養補給は出来ていますが、口で咬んで食事が出来ない我が身は、

食べ物の
味わい、硬い、軟らかい、好き、嫌い、冷たい、暖かい、咬む刺激、歯ごたえ等の感覚、感触は一切感じる事が出来ません。

ましてや点滴ですので、昨日食べたステーキは美味かった!!等と、楽しかった食事を思い出す事も有りません。

それに満腹感がないのです。この状態がいかに
寂しく辛い事であるか、この苛立ちは健康な人達には分からないでしょう。

 口から食べ物が入りませんと口をほとんど動かさないので笑み、笑顔、表情までもが乏しくなっていきます。

口から食べ物を取り込んで、歯で咬んで味わって食べる事、この喜び、この幸せは大変なものだと実感しています。

入院中の一番のお友達はテレビですが、このテレビの食べ物番組には本当に閉口しました。」


私達が当たり前に口から食べ物を食べる事、これはとんでもない幸せ、喜びの様です