東京都小菅のMさんより
 ムチャムチャお金儲けをしました。お金儲けはいけないことですか。


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 直接私のところに来た質問ではありませんが、ちゃんと答えてあげている人を見たことがありませんし、いまだに分からないままだといけないので、あえて私から。
 いけません。お金儲けのためのお金儲け、私利私欲のお金儲けは人間の一番醜い行為のひとつです。「法律を犯したわけでも、人に迷惑をかけた訳でもない、お金儲けのどこが悪いのか。」そういう考え方は人間としてよくありません。
 人に迷惑をかけなければ何しても良いという考えの人(最近特に多いです)は、無人島にでも行ってやってください。人は社会で生きているかぎり人と関わっているもの、生活そのものが人のおかげで成り立っていることを忘れてはいけません。「自分は自分の力だけで生きている。誰の世話にもなっていない。」という人、考えてください。例えば水、蛇口をひねればいくらでも出てくる水もお金さえ払えば使いたいだけ使ってかまわない、と勘違いをしていませんか。では、我が家は1カ月7000円〜8000円の水道料金を払っていますが、もし誰の世話にもなっていないというのなら、自分で利根川から水を汲み使用できるようろ過した場合、7000円程度でできると思いますか。水道一つ使うのも社会という共同体に属しているから安く便利に使えるのです。誰という個人ではなく、大勢の他人のおかげで社会生活が成り立っているのです

 
人はお金のためだけでなく、人のため社会のために働いているのです。ですから、世の中の仕事はどれもみな人の生活に必要なものばかりのはず。食べ物を作る仕事は、食べないと人は死んでしまいます。だから尊い仕事です。同じように、作られた食べ物を運ぶ仕事、売る仕事、食べ物を作るために必要な道具を作る仕事、みんなつながっていてどれ一つ欠けても成り立たないわけで、みな尊い仕事です。食べ物の仕事だけではありません。平和でかけがえのない人の生活に必要なことが、仕事として生まれてきたのです。そうやって太古の昔、群れの動物の人間が社会を作り、国を築き、文明を育み、発展してきたのです。人は人のために働くことで進歩し繁栄してきたのです。
 「会社は株主のもの」と言った人もいましたが、違います。会社は、人々が必要なもの、人々の生活になくてはならないものを提供するためにあり、人々が社会で生きていくために存在しているのです。社員は会社のためだけに働いているのではありません。世の中の大勢の人の役に立つ仕事をしているのです。
 それなのに人が人のために働くという意識が、愚かなことと思われるようになったのは、いつからでしょう。
 昭和の始めの大きな戦争で、「人が人の為に働く」という人間として大変美しく、そして当たり前の行為を、その時の為政者が悪用しました。「国の為に命をささげろ。」「国の為に死ねない奴は非国民だ。」と。そして、農民も職人も商人も皆兵隊になれと命令し、人を殺せと命令したのです。「死んでも魂は神社に祀るからだいじょうぶだ。」と宗教も利用して信心深い国民を戦争へ向かわせたのです。それに抗うことができず、黙って命令通り働く大人を見ていた子供は戦後、信じていた事に騙されていたと、気が付いてしまうのです。神社に行ってもお父さんには会えないし、魂も見えません。そのうえ「国の為に命を奉げる。」などということはとても危険な思想だと、社会全体で唱え始めたからです。その時から、人が人のために働くことは愚かなこと、という考えが当たり前になり、子供時代に信じていたものがなくなった人々の多くは、お金だけを信じる大人になってしまったのかもしれません。そんな大人の中で育ったとしたら「お金儲けはいけないことですか。」と堂々と言えるかわいそうな人になっても仕方ないかもしれません。

 Mさん、お金だけを信じる社会、お金持ちでないと楽しく暮らせない社会、そして一生懸命体を使い汗を流して働いても楽に暮らせない社会、うまく立ち回った人だけがお金持ちになれる社会、そんな社会は人にとって、住みやすい暮らしやすい楽しい社会ですか。日本は半分、そんな社会になってしまいました。
 ひと昔前、世間で「技術大国日本!」「世界最先端技術が生み出される日本」とさかんにいわれていました。でもその頃、その技術を一番底辺で支えていたはずの東京下町の小さな町工場のご主人が、夕方の居酒屋で「交通事故で死ねたらなあ・・だれか帰り道、車で轢いてくれないかな」と本気でつぶやいていたのを知っていますか。働いても働いても苦しい、工場の資金繰りができない、自殺では家族に迷惑がかかるし。でも交通事故なら相手からの保険金も下り、家族の生活も困らない。
 それから十数年たった最近の居酒屋には、下町の町工場のおじさんの姿はすっかりなくなり、代わりに世界トップクラスの技術を誇っていた日本の大メーカーが次々とリコール問題を起こしています。昔日本製品は故障がないといわれていたのに、今は買って2、3年でどこか壊れます。大企業と言えど、土台がなくなれば立っていられなくなることに気が付かないのでしょうか。
 今後もっと悪いこと、日本製品が原因の大事故など起こらなければ良いと心配しています。いまだに、人員削減を業績アップの最有力手段として、正社員をみな契約社員に代え、その上サービス残業は当たり前、それでいてトップのお給料は絶対下げない、労働搾取ともいえる現状を見直す気配すらありませんから。

 同じことが文化でも起きています。「アニメ」といえば日本製のアニメーションをさす国際語となり、日本の重要輸出品として経済界も注目しだした頃から、より安い労働力のある外国へ動画を発注した質の悪いアニメが目立ち始めました。
 私の友人は、学校を卒業してから20年以上アニメーターをやっていますが、動画一枚の値段はその頃から同じままで、しかも仕事を始めてすぐの頃に先輩から「20年前から変わってないからね。」と言われたそうです。ちなみにアニメーターのお給料は出来高制で動画が一枚約300円、原画になると一枚約4000円。新人だと最初は勉強の日々が続き、ようやく一日に動画を3、4枚、少し慣れてきて一日10枚ほど、それも群集シーンになると書ける枚数は限られてきて、苦労したわりにお給料は少ないそうで、友人の同僚で一ヶ月の家賃が3万なのに、その月のお給料はそれ以下という人もざらだそうです。動画を書けるようになるまで数年から十年近く、次に原画に移るとまたちゃんと書けるようになるまで一から勉強で、一日一枚書くのがやっとの時もあり、また一月の収入が3、4万の生活が続き、原画10年で次の段階へ上がれるのだそうですけど、その前にほとんどの人が生活苦や体を壊したりしてやめていくそうです。しかし中にはアニメーターをやめて専門学校の講師をしていても、また戻ってくる人もいるそうです。「なぜ?」ときくと、「やっぱり好きなんだね。」と。そういう一人ひとりの情熱がこの、世界に誇る民衆文化のアニメを支えているのです。
 アニメは世界中に配信され儲かっているはずなのに、なぜアニメーターの生活は苦しいのでしょう。この業界も富を独占しているのは、版権を持っている大会社のトップの一部の人間だからです。現場で実際苦労している人には何も見返りがなく、それどころかもっと安く作ろうとして労働力のより安い海外に発注して質を落としても平気なのです。
 技術大国日本もニッポンアニメも、作っていたのは誰でしょう。会社経営者さんですか、大企業の幹部さんたちですか、株主さんですか。いいえ、日本経済ピラッミッドの一番下で、安い賃金で過酷な労働をしていた人たちです。底辺が崩れればピラッミッドは脆いもの。
 人を育てない、企業、産業に未来はないでしょう。
 
さてMさんのやっていることは人を育てるどころか人のやる気を失わせること、働く喜びを失わせることです。その上、大昔から今まで築き上げてきた産業システムを壊し、社会秩序を乱すことです。一生懸命働いても、今日からこの会社は経営者が変わりました、社の方針が変わります、リストラします、安い海外の工場に注文することになったから取引打ち切り、と言われた時“人のため、人の役に立つ仕事”をしていた人が、“そんな考え方は馬鹿なこと、”と考えるようになり、最後には“自分さえよければ”という考え方にたどりついてしまうのです。
 Mさんはとてもうまくお金を儲けました。体を使って汗水流して働くより何百倍もお金を儲けました。では人々皆がMさんをお手本にして、同じような仕事を始めたら社会はどうなりますか。
 Mさんのように頭がよくないから同じ仕事はできないという人は、働くことを、いつどうなるか分からない不安定なもの、一生懸命働いてももらえるお金はたったこれっぽっちの馬鹿らしいこと、無駄なことと思うでしょう。まじめに働いてもつまらない。そう思いながらの労働で良い仕事はできるでしょうか、良い製品は作れるでしょうか。働くことに魅力がなくなったとき、産業は停滞し、文化は腐り、果ては民族が衰えるでしょう。なぜ私利私欲が人間として一番いけない行為か分かったでしょうか。
 とはいえ株というシステムが悪いものとは思っていません。株の投資とは、必要なものがあるけれど自分では作れない。他方、自分には作る技術があるのに材料を買うお金がない。そこでお金を出して作ってもらう。出資とはそういうことで、普通の商業産業の成り立ちと同じことと思うのです。又は、雨の日に大事な仕事へ行くのに傘がなく困っている人に、自分が傘を余分に2本持っていたら1本貸してあげるようなもの。と考えないと、マネーゲームなどという下品な言葉が横行してしまうのです。小さい時、お母さんからお金と食べ物で遊んではいけないと、教えられなかったのでしょうか。
 欲を取り除き、精神を高めなければ、真の学問は身につかない。と言われています。欲深い人間は、人々から軽蔑される人です。清廉潔白な生き方をする人は、人々から尊敬されます。
 お金持ちが、お金があるからという理由だけで尊敬される社会は、おバカな人にとって住みやすい社会です。今の日本が半分そうであるように。
 欲を捨て人々の為に生きる、ということは誰にでもできるものではなく、大変難しい生き方です。Mさんができなくても仕方ありません。でもだからこそみんなが、そんな生き方をしたいと心に望みながら生きていくことができれば、社会は誰にとっても住みやすいものへと向かって、日本もまだまだこれからも進歩発展していけると思うのです。