BAe ハリアー





●ぶんぶんぶん、ハリアー飛ぶ

 ハリアーである。
 小柄な機体に丸っこい胴体、大きく開いたエアインテイク、フワフワと空中に漂う姿。実に愛くるしい(アルゼンチン在住の諸氏にはまた別の意見があるかもしれない)。もともと可愛いハリアーがハリアーIIへと進化すると、翼が大きくなって頭身が縮み、末端肥大症の度を深め、さらにキュートになった。ハセガワのタマゴヒコーキ・シリーズでも、ハリアーは見事にたまごたまごしている。
 我々丸もの愛好家の心をとらえて離さないハリアーだが、はっきり言って変な飛行機である。「変」とは比較の問題であり、世間の多数派からのズレが大きいことがすなわち「変」ということなのだが、ハリアーは現用で唯一の固定翼な垂直離着陸機(正確には垂直/短距離離着陸、V/STOL)であるのだから、その希少性をもって「変」としても良かろう。もっとも、サンプルの範囲を少しだけ広げ、鳥や虫まで視野に入れるならば、長い滑走路を必要とする「普通の飛行機」こそが地球上において紛れもない異端ということになる。史上最も長大な滑走路を必要とするくせに垂直上昇を敢行するスペースシャトルなどは、中世ならば必ず異端審問官に難癖をつけられたに相違なく(何せ天動説を危うくする存在だ)、異端の中の異端と言えよう。
 ハリアーのお仲間として、かつてはヤコブレフYak−38という同志実用V/STOL機がいた。しかし、生産数もたいそう少なく、何年も前にお払い箱とあいなった。こいつの出来が悪く、よく墜ちるため、ソ連製の射出座席が西側のそれをしのぐ高性能になってしまったという話もある。Yak−38の置き土産の威力は、世界各地の航空ショーにおけるロシア機墜落事故の中で遺憾なく発揮されており、正に必要は発展の母なり、の観を抱かせる。

 「真っ直ぐ上がって真っ直ぐ降りる」というのは、飛行家にとって一つの夢であり、理想である。長い滑走路が必要ということは、飛行機の運用にとって大きなハンディキャップだから、できればあまり滑走という行為はしたくない。
 それに対する回答の一つが回転翼機、すなわちヘリコプターだ。しかし、こいつは航続距離と搭載量、それに速度の点で普通の固定翼機に全くかなわない。
 固定翼でありながら垂直に飛べる飛行機はできないものか。航空エンジニア達は様々な設計にトライしてみた。ただ垂直に飛びあがるだけなら、割と簡単にできる。推力が機体重量よりも優っていれば良い話だ。しかし、それを実用に耐えるぐらい効率的に、制御可能な範囲内でやらねばならない。航続距離が短すぎるとか、操縦が極端に難しいというのではダメなのだ(コストが高すぎてもいけない)。
 ハリアーは一応軍用機という分野でそれを達成したが、民間機でその種の機体が最近のベル609まで無かったところを見ると、その技術的困難さがうかがえる。すでにあちこちに整備された飛行場があるので、民間機の分野ではV/STOL機が無ければ無いで、それほどせっぱつまった問題にはならなかった、という理由もあったろう。小回りを効かせたければ、ヘリがある。
 では、なぜハリアーのような機体が軍でいち早く実用化されたかというと、軍事の世界では「飛行場が破壊される」という場面も想定されるからだ。ちょっとした広場があれば飛び立てるハリアーは、前線への分散配置に最適である。さらに、軽空母に載せる戦闘機としてもちょうど良い(現代において大型の正規空母を持っているのは、米国と面子の国フランスくらいのものだ)。民間機では経済性が最優先とされるが、軍事部門では別の淘汰圧力がかかってくる。小回りが効きつつ、固定翼機の利点をそれなりに備えたハリアーは、一つの新しいニッチを開拓したわけだ。

 ハリアーの成功の秘訣は、ペガサスエンジンにある。エンジンの良し悪しで飛行機の性能は大半が決まってしまうのだから、当然と言えば当然だ。ペガサスは、1個のエンジンの左右に2個ずつ、計4個ついたベクタードノズルの噴射方向を、下方から後方へと回転することによってV/STOLを実現する。こんな変てこなエンジンは他に無い。メインエンジンとは別に垂直上昇用エンジンを必要とするYak−38とは、ここが決定的に違う。空へ上がってしまうとデッドウェイトにしかならないリフトアップ専用のエンジンを用いないので、比較的効率が良いわけだ。
 だが、ハリアーとて、突然真っ直ぐに飛び上がったわけではない。その足元には、様々な先達の屍が埋もれている。米国においては、ロッキードXFV−1、コンベアXFY−1、ライアンX−13、ベルX−14などが果敢に垂直上昇へ挑戦したが、試作機のXと実験機のXが示すとおり、実用段階に進むことはできなかった。ティルトウィング式のヒラーX−13、カーチスライトX−19、ダグテッドプロペラ式のX−22Aもモノにはならなかった。おフランスでもダッソーがバルザックVを試作したが、実用化できなかった。
 しかるに、英国はそれをやってのけた。第二次大戦後は予算不足で航空技術の予習復習を怠り、米ソに一歩も二歩も遅れをとっていたあのイギリスが。航空最先進国アメリカでさえ、↑あれだけやって失敗続きだったのに。ジョンブル魂、あなどりがたし!
 昔から英国人は、伝統を重んじ、地味で紳士的をモットーとし、地道に堅実に物事を進める一方で、時々わけの解らない変てこなモノを作ったりする。氷山空母を計画してみたり(結構ナイスなアイデアだった)、巨大ねずみ花火兵器パンジャンドラムの実験にあけくれてみたり(こちらは物理法則に反しており完全な失敗)。そういえば、タンクと称する動く鉄箱を戦場にもちこんだのもイギリス人である。「伝統的に」そういう新奇なアイデアが好きなのかもしれない。あるいは、どんな国にも変なコトを考える奴は必ずいる、ということか。
 ハリアーは、その新奇さと地道さの見事な結合である。他国が次々とドロップアウトする中、英国のホーカー社は1950年代からコツコツと研究を続け、ホーカーP.1127、ケストレルといった試作機を経て(米国と西ドイツが計画に参加したと思ったらバイバイする一場面もあったりしたが)、ついに1967年にハリアーGR.Mk1を実用化へともちこんだ。その間に社名がホーカーシドレーに変わってしまうほどの長い道のりであった(現在はさらに変わってBAEシステムズ社となってしまった)。まさに執念の産物である。

 まず英国空軍で採用されたハリアーは、米海兵隊ではAV−8Aと呼ばれ、英国海軍に行くとシーハリアーへと進化する芸を見せた。インド海軍、イタリア海軍やスペイン海軍にも適応放散をとげている。しばらくは「たかだか亜音速ていどのあんな変な戦闘攻撃機が本当に役にたつのか?」と白い眼で見られる日々が続いたが、フォークランド紛争でアルゼンチン軍を相手に大活躍し、万人を唸らせた。やはり実戦で真価を示した兵器の持つ説得力は大きい。その後もハリアーII(クィーンズイングリッシュでは優雅にHarrier GR.Mk7などと発音する)へと発展して勢力拡大に励んでいる。
 もはや艦載戦闘攻撃機の分野においては、ハリアーは「変」でも何でもなく、むしろV/STOLこそが一般化しつつあるのだ。
 現在、米空軍・海軍・海兵隊および英海軍は、F−16、A−10、F/A−18、AV−8B、シーハリアーといった機体の後継機としてJSFを開発中である。JSFの米海兵隊・英海軍型はSTOVL=短距離離陸・垂直着陸機となるが、ハリアーも実際の運用ではV/STOLと言うよりもSTOVLなので、これはまさしくハリアーの後を継ぐ者である。STOVL型を基本とし、その派生形としてSTOVL能力を省いた米空海軍型を開発するというのがJSF計画の骨子だ。米海兵隊はF/A−18とAV−8BをJSFに置き換えるから、海兵隊の固定翼戦術機は全てSTOVL機になる。もちろん米空海軍型の方が生産予定量は多いが、V/STOL機はここまでの重要な地位を築きあげたのである。
 V/STOL機の有効性を世に知らしめたハリアーの功績は、「足を生やして陸に上がった変な魚」イクチオステガの偉業に優るとも劣らないものと言えるだろう。

2000.5.31

(この文章に資料的価値はおおむねありません)



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