US ARMY 8500の来た頃

2002年12月

白井 昭(中部産業遺産研究会・名古屋レールアーカイブス)

新川工場で整備中の8589
1956年7月8日

■アメリカ軍により日本国内に持ち込まれる

 GE製の44tDEL(ディーゼル電気機関車)8500香代は、戦後に連合軍の進駐とともに日本に上陸したが、これが米軍より国鉄、名鉄へ売却されたのは昭和31年のことであった。当時、名古屋鉄道では東名古屋港駅からの臨港線(現在の名古屋臨海鉄道の一部)と小牧の米軍第5空軍基地(現在の名古屋空港)、各務現線の米軍岐阜キャンプへの貨物輸送が長らくSLで行われており、早くからDL化が望まれていた。
 しかし、国産のDLは技術的に劣るうえ、高価で導入することができず、そこへ米軍からの払下げ品は格安で優秀な製品とあって大いに歓迎された。この頃の小牧飛行場線と岐阜キャンプの貨物は、すべて米軍関係のものだったため、8500形はこの両線で使用が開始された。
 名鉄の8500形は、昭和31年6月にUS ARMY 8584と8589の2両が到着。新川工場で整備、改造と関係者の教育が行われ、この教育を私が担当することになった。
 このとき、「UNIITED STATES ARMY」の文字が消され、番号は名鉄式のボールド文字になった。塗色は、名鉄DB3のグリーン、DC60形などの黄色に対し、国鉄のEF15などと同じ栗色だった。なお、名鉄としての形式はDED8500形となった。2両の購入契約は昭和31年9月に成立し、これを待って試運転が開始された。

■SLからの置替え

 試運転は、昭和31年10月に行った。初めはSLまたはELと垂連で行い、次いで単機で行ったが、大きな問題はなかった。空制もSLと同類のウエスチングハウス社製のDL-14で、取り扱いは同じ。日本の貨車との貫通制動もでき、力行制御もディーゼルエレクトリックのために容易だった。
 全体としては、無煙化が行われ、空転もダなく牽引力も向上するなどと、よいことばかりであった。しいていえば、この頃はSLの乗務員も自動車を運転できる者がなく、エンジンの知識に乏しいことくらいであった。
 8584は、さっそく小牧飛行場線で使われたが、電圧の関係もあって高山線鵜沼〜小牧〜飛行場へと直通運転を行った。これで、SLが犬山橋の路上で黒煙を上げることもなくなった。
 一方の8589も昭和31年10月より各務原線の新那加、三柿野、岐阜キャンプ(現在の各務原飛行場)で使われたが、この頃は米軍の移動により軍関係の列車は減少しており、ここでの活躍はわずが1年弱の短期間に終わった。
 8500形の調子は上々であったが、検査時には予備となっていた700形や1000形のSLが使われた。

■東名古屋臨港線への転出

 昭和33年6月に米軍が岐阜キャンプを撤収するのに先立ち、5月に8589は東名古屋臨港線でSL5500形と重連で試運転を行った。7月からは本使用を開始し、各務原線から移動した。
 それまでの東名古屋臨港線では、SLの1000形や5500形が使われていたものの、貨物の急増により牽引力不足に悩んでいた。8500の入線後は、重負荷でも粘り強い直巻きモーターの特性を生かして牽引力を発揮した。SLは検査予備となったが、DLの検査時には5500形が明治の汽笛を港に響かせた。
 なお、東名古屋臨港線の入換えは手荒いことで有名で、入換えマンは“カッポレ”と呼ばれ、引き逃げ(逆突放)など、猛者ぶりを誇っていた。

■ベルとポーリングポット

 アメリカ形の特色として、8500形には床下のベルと自連の両側に隣線の客貨車を棒で押すための穴である“ポーリングポット”があり、この穴はエンドビームではなくトラック(台車)に付いていた。棒は床下の箱に入っていたが、日本の客貨車にはポットがないため、押し棒を使うことはなかった。ポーリングポットは、かつてアメリカの鉄道車両には必ず付いていたが、国鉄ED14形など日本に輸入されたアメリカ車にはなく、珍しい存在であった。
 ベルは、岐阜キャンプで多少使われただけで、他の線では使用されなかった。
 なお、車側下部にはGEのプレートがあり、GE社のモデルナンバーをはじめ、DELとしての詳細なデータが示されていた。

今はなき小牧飛行場線での8584の試運転
1956年10月
東名古屋臨港線での8589
1958年12月
汐見橋(現名古屋臨海鉄道汐見町付近)

■8500形の評価

 実際に8500形を使ってみた結果は、大いなる成功であった。故障だらけの国産DLに対して丈夫、キャタピラエンジンなどのパーツも完備。荒い使い方でラジエータの半壊やギアケースの欠油ミスなども続発したが、よく使用に耐えた。また、GEの低圧トラクションモーター(重ね巻き)は優秀で、とにかく丈夫なことに感心した。
 軸重が小さいことも線路状態のよくない外地や臨港線などの使用に向いており、軸重が大きいことから入線できる線区が制限された国鉄DD13形に比べ、万能型の設計であった。
 補修の面でも、大井川鐵道井川線の国産35tDLなどとは対極にあった。設計面ではエンジン、発電機、トラクションモーターと3重装備にも関わらず、限られたスペースと重量内にコンパクトに納めているが、国産では今の技術でも困難だと思う。その原点は、キャタピラエンジンをはじめ、パーツの優秀さにあった。
 8500形は、日本のDL技術史上で一紀元を画したが、結局日本でGM、GEの技術が普及することはなく、現在まで高価で国際性の低いDLで終わってしまった。

■伊勢湾台風の復旧時に活躍

 東名古屋臨港線へ移動してから約1年半彼の昭和34年9月、東海地方は伊勢湾台風に襲われた。埋め立て地にあるため臨港地域は壊滅的な被害を受けたが、東海地方のエネルギー基地となっていることもあり、復興への大きな使命を担うことから復旧が急がれた。
 名鉄では、ELが全滅した中8589は健在で、直ちに線路復旧の工事列車に使われた。さらにELが水没したことにより、かなり長期にわたってELの代行として本線貨物を牽くなど昼夜兼行で大活躍。ここでもGE製のDELの頑丈さを誇った。
 また、水没した線路の復旧は電路関係者が必至の水中作業で建柱したが、安全を確認するため最初の試運転はDLの牽引で行われた。

■名機8500形の終蔦

 東名古屋臨港線は名古屋港管理組合が所有し、運転が名鉄に委託されたものだったが、昭和40年に名古屋臨海鉄道へ移管された。また、小牧空港への輸送もトラックに代わった。
 このため、活躍場所のなくなった8500形は昭和41年に廃車になりフィリピンへ売られたが、最後までその機能は健在であった。
 現在では、小牧空港支線の廃線跡も僅かとなってしまい、かつて外国製のSLやDLが行き来していたことを知らない人も多くなった。
 また、8500形は日本に上陸して以来、日本の各メーカーが細かに検分したが、ついにこれに及ぶDLを造ることはできなかった。

■連合軍の8500形

 昭和30年11月8日に東海道本線の大高でEF1567に牽かれて下る回送中の8585を撮影しているが、US ARMYでなく連合軍マークとなっている。呉か鷹取への回送かと思われるが、不明である。キャブの下にベルが見えるが、エアーにより鳴らすものだった。

■国鉄DD12形

 日本に来たGE製の8500番代DLのうち5両は、名鉄と同じ昭和31年に国鉄へ払い下げられ、後にDD12形となった。東京近郊の各所でB6とともに働いたが、常にDD13形との技術的優劣を比較されたらしい。こちらにもポーリングポットを見ることができる

■アメリカの8500とその正体

 8500形は、GEのBB90/90モデルの標準設計で、同系はアメリカ各地の工場などで使われたが、西海岸のオレンジ鉄道博物館には、今もUS AIRFOCE(元US ARMY)の8580が動態保存されている。
 こちらは標準軌間だが、キャタピラ17000エンジンなどの中身は、ほとんど日本に来たものと同じで、製造も同じ昭和19(1944)年。さすがに今ではパーツの入手に苦労している。
 90/90とは粘着重量、機関車重量90,000ポンドであることをを示す。なお、USA8500番台の番号は軍番号と思われるが、その全体像は判っていない。

 以上、GE製の8500番代DLが活躍した名鉄での思い出を紹介した。本稿の作成にあたって、ご教示を賜った渡利正彦氏にお礼申し上げる。
(写真はすべて筆者撮影)

【追記】会員の岡井明氏によれば、昭和21年当時のUS ARMY8500は、東京機関区に6両くらいあり、塗色は栗色。品川の入換え、鶴見から東横浜、横浜港へ行く通称臨港線で米軍貨車を牽引していたとのこと。

伊勢湾台風の復旧列車を引く8589 1959年10月14日 名和付近

常滑線のEL運用を代行する8589
1959年10月24日
伝馬町信号所(神宮前−豊田本町)
東海道本線を下る8585
キャブ下にベルが見える
1955年11月8日
大高
東海道本線を下る8585
字体は米軍と同じもので車体食は黒だったと記憶している。
1955年11月8日
大高
国鉄DD12形(DD123)(品)
台車端梁にポーリングポットが見える
1963年3月12日
国鉄線で貨物列車を牽引するDD123+2137(品) いずれも有火
1956年3月

白井 昭:
名古屋レールアーカイブス会員、産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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