昭和19年の名古屋工場

2007年4月21日

白井 昭(名古屋レールアーカイブス)

ここに昔のメモを抜書きして残しますが、当時私は幼稚でどの車両がどこへ行った程度のお粗末な内容です、戦中の記録としてお許し願いたい。
昭和19年11月9日、私は鉄道省名古屋工場などを見学した、戦局は最悪だったが見学は許可された。まず笹島の検車区では名ナコのオハ35などが並んでいた。これらは東海道(トカホセ)、関西、武豊線用で国内最高レベルの客車であり、全国の他線区はほとんど真っ黒な木造のナハであった。ほかにナハ12725、オ八二25827などが居り、スハ32553から32555の3両が並び番でいた。
ここでの注目は休車のキサハ43500で青白の車体は真っ白になっていたが、暗い戦時色の中で夢のように見えた。
名古屋機関区は矩形庫に転車台がありC53、D50、C57、C59が並んでいた。
2445(中)とD50333 (中)が煙を上げていたが、鉄道趣味によれば後者は昭和10年から中津川の配属であった。
名古屋工場は省の客貨車の定検に全力のほか私鉄の工事が多く入り、すでに豊橋市電の締め替えなどをやった他当日は藤相線の木造客車の締め替えをやっていた。
この頃の中央締は相変わらずD50に真っ黒のナハが主力だったが、大曽根の三菱輸送のだめラッシュには木造3軸スロハ改のスハ18230や、もと佐久鉄道のホハ2380など珍車を増結し長大な編成で走っていた。その歴史を考えると興味深かったが、実際は戦争でそれどころではなかった。


白井 昭:
名古屋レールアーカイブス会員、産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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