大井川鐵道に残る広軌用車輪

2008年2月

白井 昭(名古屋レールアーカイブス)

 大井川鐵道には広軌の代車に狭軌の車輪を付けた車両が走っている。代表的なものは戦前の標準型客車、オハ35系約20両で、今もSLに牽かれてほぼ毎日走っている。
 大正末期、日本は中国占領を考え内地(国内)の客貨車を小改造で大陸へ送れるよう、すべて広軌の台車、軸受けと広狭軌可変の車軸(長軸と呼んだ)を用いるようにした。オハ35の相当数は戦争中、中国へ渡ったままである。
 日本での戦後の新造は狭軌用短軸に戻り、今のJR、名鉄などは短軸である。
 今も広軌の歴史を残すものとして大井川線のオハ35系、チキ300、廃車保存中のト20000がある。しかし大井川鐵道以外のSL客車は戦後派の短軸で車体だけレトロ風にしたもので歴史の証人にはならない。
 新金谷駅前の藤棚にオハ35の車輪を使った珍しい椅子があるが、長軸をよく眺めることができ、椅子も歴史教材になっている。
 今、大井川鐵道で走っている近鉄のクハ571は近鉄の広軌化に伴い、スイス(シュリーレン)の設計の広軌、長軸台車をつけている。大井川鐵道で工事用に使う陸軍97式貨車は今、鉄道連隊のE型SLを乗せているが、この車両は今も軽便、狭軌、広軌、ロシア広軌の可変ゲージになっており、どこを占領しても走れるようになっていた。戦前の産業遺産である。この軍用車は戦時中、大井川線を東海道本線のバイパスにする工事で日本陸軍が使い、そのままとなった。
 このように大井川鐵道はSL以外にも産業遺産の宝庫となっており、産業遺産イコール国家の歴史であることを思わせる。SLで旅をするときは客車も広軌の遺産であることを思い出していただきたい。なお、特別の見学には予約をお願いします。

写真1 チキ300形の広軌形台車
エンドビームの穴は昔のバッファ(鎖連結器)の跡
写真2 オハ35形客車の広軌形台車、TR23型
写真3 近鉄571形のスイス形広軌台車(側面では分かりにくい)
写真4 長軸の見本 新金谷駅の椅子席(上の藤棚は筆者の寄付)
写真5 陸軍97式貨車(上に鉄道連隊のE形SLを載せている)
写真6 97式貨車の可変ゲージ用ブッシュ

白井 昭:
名古屋レールアーカイブス会員、産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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