電鉄技術史情報(51)

名古屋レールアーカイブス 白井 昭
2005/3/20

電車制御器の普及版 MKとHL

 1912年頃以後の日本の電鉄、特こ私鉄の総括制御器としてMKとHLはポピュラーな存在であった。本来のGE、芝浦のMK、WH、三菱のHLのほかに日本では同類をMK、HLと通称することもある。例えば加越能の5010はMKかHLか等と言っている。

MK、HLの開発

 世界最初の総括制御は1898年のスプレーグの電動ドラムで始まり、1901年にGEの電磁スイッチに発展し、1904年よりWHの電空スイッチが加わった。
 GEではこれらをMコントロールと呼び、自動進段を主として手動進段もあった。
 WH社の初期は電空スイッチのバッテリー制御で、これをAB形とする資料もぁるがオリジナル資料がなく不明である。古いWHの資料では例えばターレット型電空スイッチ制御器のように称している。これも自動(AB相当)と手動(HB相当)とあった。
 当初大都市では混結のため自動進段が多かったが1910年頃から市内電車や支線の総括化が進むと手動進段も増加した。当初はその都度一品メニューで多種のものが件られたが、やがてアメリカの電鉄の爆発的発展に伴いGE、WH両社とも標準化、量産化により低価格化と販売促進を図るに至った。
 フォードTに比せば小量だが考え方は同じであった。こうして1912年頃に生まれたのがMKとHLである。

MKコントロール

 当初はできるだけ簡易化、標準化を図りサーキットブレーカーの廃止、主制御器のワンボックス化、Rスイッチを最少にし短絡渡り(渡りは大正時代には移りと呼んでいた)にするなど、統一を図った。しかし実際には用途により標準外のものも作られたが、これらもGEではすべてMK型と呼んでいた。
 日本へは開発当初から南海、阪神、近鉄、院電など多く抽入され市場を独占し、南海ではGE設計のAEG製まで使われた。
 初期のものはMKとして輸入されたか疑問だが日本では皆MKと呼んでいた。
 電車のEMU化の遅れた関東私鉄にMKはなく、省電昇圧後私鉄に払い下げられたMKが存在した。
 甲武のGE車は日本最初のMコントロールで、C14マスコンのM手動であった。
 欧州も長い間電磁スイッチを主としたが1920年頃からGEと並んでカム式に注力した。
 GEはMK開発当初に自動進段をMAと呼んだが、この呼称は全く普及しなかった。1914年の省電モハ1は自動進段だが、単にMコントロール、或いはマスコン形式を付しC36付きMコントロールと呼んだ。
 WH社を含め標準化以前はマスコン又は主制御器の形式で分類していた。

MKのバリエーション

 HLも電制付きなどあったが、MKは更に変化に富んでいた。
 1914年の近鉄1型のMKは標準型でなく急勾配(33%)に備えてRスイッチ多数、10ノッチの高級品であった(現車保存あり)。1922年〜の61形40両は日本初の弱界磁制御付き、1925年の400形は電制付きとなった。これらはすペてMKでマスコンの形式で区別していた。
 箱根のMKも後に電制常用したが、その効果は大きく、奈良線でも普及すれば戦後の大事故も防げたかも知れない。しかし両数が限られたまま次の600形のHLFは電制なしとなった。

初の弱界磁はMKから

 アメリカでは補極モーターの成熟する1912年頃より弱界磁が普及し、日本では新京阪が最初と言われたが実は前記1922年のMKが最初と思われる。
 本件は私鉄の研究不充分のためか今まで未発表であった。
 これらの近鉄の電磁スイッチの仲間はすペてMKと呼ばれるが、MKの中では最高級のものでGEも急勾配、大強送の奈良線こは技術的に力を入れていた。

Mコントロールの色々

 アメリカの初期手動Mコントロールには簡易形から高級形ませ色々あった。
 アメリカでは1914年頃のPCの開発と以後の普及によりMKの新造は終わり、日本でも1925年頃よりMKの輸入新造は稀となった。
 しかし電磁スイッチ、手動進段は最も簡素で運転のフレキシビリティーに富み、寒冷にも適するので日本では一般機械用を含め戦後まで多く使われた。
 メーカーは国産各社にわたり富山、黒部、都電、トロバスなど1500V用を含め多数新造され今も活躍している。
 技術史の研究家ではこれらも通称MK(のたぐい)と呼んで便利である。
 例えば名古屋市電3000はMKの予定だったが入荷しなかった等と使っているが、ずつと古いEC40やED40ではさすがにMKという人はいない。
 アメリカではMオートマチックが主力で大量使用に対し、日本では僅かにモハ1とED31のみで、三信300,名鉄3100等はモハ1系の払下げである。しかし伊那松島のモハ1はよく復元してあり、日本唯一のMオートマとして貴重な存在である。

Mコントロールの機器

 主制御器のうち接触器箱(WHのスイッチグループに当たる)は初期はDB15形などの形式が与えられていたが、MK以後では見いだせない。モハ1のそれも不明で資料あればご教示戴きたい。
 初期のマスコンは自動はC9、手動はC14などが多かったようだが、標準化以後自動はC36が長らく主力となり国鉄MClの原形になった。しかし手動はノッチ数も多種でC70代まで多種にわたった。
 MKの種別を言う場合C何形のMK,又は近鉄400形のMKのように区別した。

H Lコントロール

 HLはMKと同時に同じコンセプトで発売されたライバル商品である。
 WH社の電空スイッチも当初は自動進段を主力とし、大都市用に制御電源をバッテリによるものが主体であった。これを手動進段、制御抵抗、最少のRスイッチ、短絡渡り、サーキットブレーカーの廃止、ワンボックス化などMKとほぼ同じ手法で簡易化、標準化し、市電やローカル線の連結運転にも適したものとした結果、大量販売で全米から日本など世界に普及した。
 標準化はMKより徹底し、サンフランシスコ市電(MM)、PEハリウッド線(3M)から日本の600V-HLまで同類で、1500Vや電制つき(神鉄など)の
み異なるが、それでも尚多くの変種がある。
 ただ日米の研究者は同類もHLと呼ぶ習性あり注意を要する。HL発売後もWH、三菱ではELは決してHLと呼ばずマスコン形式やELの形式で呼んでいる。
古いAB,HB系のバッテリーの充電、保守は資力の弱い鉄道には負担であった。

日本のHL

 日本では初期に南海がWHの電空スイッチを輸入したが、HLか否かはっきりしない。甲武のWH車はHL以前でオリジナルはWH12形(マスコン形式)電空スイッチ制御の如く呼んでいたようで、HB、HLと呼んでいない。
 1920年代になると日本の大小私鉄の急増に伴い、HLの簡易さと優秀さからMKをリードして日本の中小私鉄に全国隅々まで普及した。例示すれば、小田急、京王、名鉄、宮城、信濃、琴平、一畑の如くである。
 この標準化HLは極限まで簡易化され真に名作と言うことができる(シンプルイズ・ベスト)。
 操縦性はカムに比しレスポンス早く、緩急自在で乗務員に愛された。私もHLの運転が好きでアメリカの動態保存のそれを楽しんでいる。
 保守は単位スイッチに互換性があり、戦後も長く電空スイッチ制御にこだわった私鉄もあった。名鉄では200両の3700形鋼体化HL車が戦後長く使われたが、今や各私鉄の現役車はさすがに少なくなった。
 これらの多くのHLが規格形が多いのに対し近鉄大阪線1000、1100のHBFと、奈良線600形のHLFは勾配用にRスイッチもノッチ数も多い高級なHL系となっている。1000系をHLFとするものもあるが、名鉄3700もHB化以後もHLと称していた。また名鉄PBも戦前はPMと呼び、あるいは名鉄AL形とのひどい例もあるが、成るべくは正当な名称で呼んでほしい。矧こ原点が分かって使うのはよいが、単なる間違いではアメリカの研究者からも批判されよう。
 近鉄6300のALFは誤りでABFであり、これは必ず結線図を見て言ってほしい。
 電制つきHL、HBは神戸では長らく常用されたが、長野は少数派のため主力化できなかった。

130キロを出したHB車

 アメリカの有名なエレクトロライナー(1942年)はWN×HSCブレーキなのにコントローラーはHBであった。HBで130km/hで走ればどんな気持か一度運転してみたかった。条件によりHBの130kは可能だがWNとHSCは必須であった。
 このライナーは15年後に生まれた日本のSE車と似た所が多いが、SEの設計当時あまり参考にはしていないと言う。

H Lコントロールの機器

 WH社では機器形式名を明示することが多く、スイッチグループは最初期は丸型配置で、直列化しても多種あったが1910年頃にはWH251などが多く作られた。
 HL化後は600VではWH264、480(ワンボックス)など、1500V用は272(分離形)などが代表的で、名鉄ではHL272形などと区別していた。
 1930年頃から三菱設計となり、後には1500V用もCBlO(三菱)などワンボックス化された。
 最初期のマスコンはタテハンドルでWH11(自動)、12(手動)が使われたが、HL化の時点で600Vは15B,1500Vは15Dに統一された。
 これらはアメリカ全土、日本全国、カナダで同じ機器が見られた。

MK、HL標準化のまとめ

 MKとHLはともに標準化の申し子と称し事実大きな成果をあげたが、現実にはニーズに応じ若干のバリエーションが生まれた。この場合単位スイッチのMK、HLではカムシャフトに比しその組合せで設計が自由にできる利点があった。
 しかし特に日本のHLにおいて中小私鉄や勾配の少ない関東私鉄での標準化は見事に徹底された。

HL、AB Fとその仲間

 制御システムの呼称、商品名としてWH社は標準化以前はMコントに比すべき呼称はなく、HLの売出しとともにシステム化した可能性がある。この点今後のアメリカでの調査を期待したい。できれば日本の研究者に期待したいが、将来ITの普及で可能と考えている。
 アメリカの文献も1940年以後では初期WHをABとし、手動はHBとしてているが、さすがにELについてはHLとしていない。ED22はWH00(マスコン)電空スイッチ制御の如くである(ED22は15D2と思うが要再見)。WH社のEMUコントの品揃えは結果としてすべての名称のものが実在し、AB、ABF、AL、ALF、HB、HBF、HL、HLFのすべてが揃っている。
 近鉄では戦後HLのスイッチグループをそのままで自動化したものがあり、ABと呼んでいた。アメリカではバリエーションとしてABFLやABM、ABSなどが生まれた。日本では阪神200、南海に多数のALMが使われ、戦後は三菱のABFMが全国に普及したが、カム制御まで同名にしたので混乱を招いている。
 アメリカのMはGEのMと総括可能、日本のMは多段を示す。
 日本での普及(新造)はHLは1920年頃から戦後まで、ABFは1930年から1955年頃、それ以後ABFMとなりその頃からカム化が進んだ。
 アメリカのHLは市電などに1925年頃まで投入され、ABFは地下鉄などに1913年頃から1940年頃までGEのPCと共に主力として量産されニューヨークだけでも数千両が新造された。
 そして1948年の単位Sの尭成版ABS(スボッティングつき)をもって単位Sの時代を終わった。

あとがき

 今回は日本でポピュラーだったMK、HLの概説を試みたが速報未整理をおわびするとともに、内容も未成晶であるので大方の補遺訂正をお待ちします。
 本稿にMオートマチック、ABFなどを加えればアメリカ系単位S制御概説となるが、今以上にアメリカの舞台が多くなり負担が増えそうである。

以上


白井 昭:
名古屋レールアーカイブス会員、産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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